一転して
各々がそれぞれの夜を過ごし、地平線から朝日が輝き始める。
朝なのか夜なのか判断のつけにくいほのかな紺色の空の下を、グストは歩いてミルトまで戻ってきていた。
「……いかん、さすがに疲れた」
くあ、っと大きく口を開いて欠伸をするグスト。昨晩の異常とも言える変化はなくなり外見は十歳前後の少年に戻っているが、その仕草の一つ一つがどうしても老人のそれのように見えるのは実年齢故だろうか。
ぼさぼさの白髪をがりがりと掻きながら歩くグストは、確かに疲れ切っているように見える。もしこの場にレヴィアがいて昨晩からの事情を知っていたなら、それも仕方のないことだと言っただろう。昨晩のグストの異形への変形は彼の業による能力だが、実はかなりの体力を消費してしまうのだ。
ほんの数時間前の決意はどこへ行ったのか、欠伸を連発しながら自宅へとグストは急ぐ。別に気持ちが変わったわけではないが、あれだけの緊張状態を常に保ち続けるなんてそもそもできるわけがない。今の彼はロクローンのようにただただ休むことだけしか考えてはいないのだ。
と、彼の歩く道の先に二人組の姿が見えた。二人組の片方は機嫌が悪そうで、もう一人は上機嫌に見える。二人はどうやらもめているらしく、
「……出ていけと、俺はそう言ったぞ」
「だから、家からは出たじゃないですか」
「それは屁理屈だ」
「レヴィアさん、友達じゃないですか」
「……くそ、余計なことを言うべきではなかったようだな」
一瞬、グストは自分の目を疑った。欠伸をしすぎたせいで流れてきた涙をごしごしと拭い、疲れも眠気も忘れて目を開く。しかし、向こうから近づいてくる二人組の光景はさっきまでと何も変わらなかった。
思わず、その光景に近寄って声をかけてしまう。
「……お主ら、何をしてるんじゃ?」
どうやら声をかけられるまでグストの存在にはまったく気がつかなかったようで、二人組の内の少年の方――レヴィアが、露骨に顔をしかめた。声にこそ出さないが、面倒な奴に遭遇してしまったと顔に書いてある。
「グストさん、こんにちはです!」
それとは対照的に機嫌のいいもう一人は当然、イリーナだ。昨日の昼間のこともあって少しはグストのことを警戒しているかと思いきや、無邪気に手を振って挨拶をしている。美しい花の開花を思わせる屈託のない笑顔は普通、敵かもしれない相手に向けるものではないだろう。
いや、この際それはいい。グストが気になっているのはもっと別のところだ。
彼はいかにも深刻な事態を受け止めるかのように大きく深呼吸をして、目線をゆっくりと下げていった。
顔、肩、胸、肘……たっぷりと時間をかけて下がっていった視線は、ある一点で静止する。
それは、手。
グストの見間違いでなければ、レヴィアとイリーナはがっしりと手を繋いでいた。
あの、レヴィアが。
「わ、ワシが留守にしていたほんの半日の間に……」
「妙な勘違いをするなっ!」
恐怖におののくかのような声を震わせわざとらしく青ざめるグストに、レヴィアは怒鳴り声と強烈な蹴りを放った。どす、と鈍い音が響いて鋭く振るわれたレヴィアの脚がグストの横腹に直撃する。
「よ、幼児虐待!」
「実年齢を言ってみろ」
「高齢者虐待!」
「自分で言っていて都合がいいと思わんか?」
冷たく切り捨て、レヴィアはイリーナと繋いでいる手を振りほどこうとする。しかし彼女はよほどがっしりと手を握っているようで、簡単には離れなかった。
「これは、こいつが勝手にしているだけだ」
「その割にはお前さんもやけにしっかり握っておらんか?」
「もう一度言ったら今度は頭を蹴り飛ばす」
言い合いでは分が悪いと思ったのか、実にあっさりと脅迫行為を始めるレヴィア。これにはさすがにイリーナも黙っているわけにはいかないと思ったのか、さらにぎゅっと力をこめてレヴィアの手を握り、
「わたしとレヴィアさんは友達になったんです!」
高らかに宣言した。
✚✚✚
普段は丸一日寝ていることも珍しくはないロクローンがたった数時間の睡眠で起床した最大の要因は、何よりも全身の痛みだった。
激しく痛むわけではないがぎしぎしと錆びているような、軋んでいるような鈍い痛みが続くのもかなり耐え難い。しかもソファの上で体を丸めて寝ていたものだから、関節が固まってしまったかのような不快感まであった。
「だから素直にこっちで寝ていればよかったりしたんだよ」
ちなみに快適なベッドの上で快眠を果たしたミーヤはいつの間にか起きていて、怠惰を具現化したような存在であるロクローンが朝からストレッチをしているのを呆れたような目で眺めていた。ベッドの端に座って足をぷらぷらと遊ばせている彼女の体躯は年相応に小さくて、ロクローンと二人で並んで眠ったとしてもベッドには十分なスペースがあることは間違いないのだが、
「法に触れそうだから遠慮するよ」
「ロクローンくんはミーヤのことをなんだと思ったりしているのかな?」
じとっとしたミーヤからの視線も応えず、ロクローンはストレッチを続けていった。本当は教育上悪そうだから、という保護者的な思考があるのだが、どうせ正直にそう言っても納得しないだろう。ミーヤなら大丈夫だったりするんだよ、といういかにもな台詞を簡単に想像することができる。
もっとも彼女の人見知りの性格もあって、ここまで心を許しているのはロクローン一人だけだ。もちろんそれは嬉しいことでもあるのだが、
「ミーヤは僕以外の友達を作った方がいいよ」
子供の成長を心配する親のように、ロクローンはゆるゆると首を振った。そう、ミーヤは彼一人しか友人と呼べる存在がいないのだ。心を許しているのは彼一人と言うより、心を許せているのが彼一人と言うべき状態である。実験の成功者でしかもこれだけ幼い少女だから周囲が気を使ってあまり近づきすぎないようにしているということもあるが、それにしてもあまりよろしいとは言えない状況だ。
「ミーヤはロクローンくんがいてくれればよかったりするんだよ」
「なにそれ口説き文句?」
とてつもなく重たい台詞を真顔で言うミーヤは外見だけ見れば十歳前後の少女だが、ロクローンは適当な調子で聞き流す。実はこのやり取りも半ば定番になってきているもので、毎度同じことを繰り返し続けているせいで慣れているのだ。
「もうちょっと面倒臭がりじゃなくなったら、恋人になってあげてもよかったりするんだよ」
「はいはい、善処します」
投げやりな口調で答えて、定番の会話は終了。ミーヤの恋人にしてもいい発言は冗談なのか本気なのか実はまだよく分かっていないロクローンだが、どっちにしてもこう答えるのがいつものことだからこれでいい。仮に本気だったとしても、現在の関係がちょうどよくて気に入っている彼は今と同じように答えるだろう。
そんないつも通りのやり取りとストレッチを終え、ロクローンはソファに体を投げ出すように座り込んだ。まだまだ体は堅いが、どうせ今日は一日何の予定も入っていない。ゆっくりほぐしていけばいいのだ。
しばらくはぼーっと何をするでもなく時間を潰すが、それにしても外はまだ日が出始めたばかりの時間だ。こんな時間に起きていることが滅多にないロクローンにとっては特にすることもない暇な時間。寝直そうにも目は完全に覚めてしまって、ただただ退屈な時間を過ごすしかない。
「そういえばさ」
せいぜい数分の沈黙の後で、ロクローンが思い出したように口を開いた。
「あのお子様には友達っていたっけ?」
その問いにミーヤは首を傾げる。
「そういえば、いなかった気がするんだよ。あの子も変わり者だったし、あんまりここに馴染めてなかったりしたんじゃないかな?」
「あの子って言ったけど、ミーヤより年上だからね?」
まあでも確かに外見は結構幼いけどさ、とロクローンは苦笑いした。
「でも、思い返してみればあのお子様が僕やミーヤ以外と仲良くしてるところって見たことないよね。……僕と敵になっちゃって大丈夫なのかな?」
「今頃はミルトに友達でもいたりするんじゃないかな?」
「そうかな……今さらだけどそれができるとも思えないんだよね、あのお子様に」
むう……とロクローンは思案顔になってあごに手を当てる。本当に今さらのことだが、彼の言うところの『お子様』のコミュニケーション能力では、もしかすると計画がご破算になるかもしれない。もし『お子様』が未だにレヴィアと親密な関係にでもなれていないのなら、そもそも計画の根本が台無しになってしまうのだ。
計画がそれなりに進んできている今になってそれに気がつくのも彼らしいといえば彼らしいのだが、気がついたからといって特に対策を講じるわけでもないのは一際彼らしい。ミスがあったからと今から計画を止めることなどどうせできないし、計画の微調整なんていうこの上なく面倒な作業はロクローンのやることではないのだ。
「いざとなったら強行突破でいいか」
実際に、ロクローンにはそれを可能にするだけの力がある。トランプから与えられている数字は六番という中堅程度のものだが、彼が面倒臭がりのその性格を直しさえすればこの数字は必ず大きくなると誰もが断言できる。
ロクローン・ディメンダの唯一にして最大の問題点はその性格。
彼を知るトランプの構成員のほとんどが、そういう見解を一致させていた。
だからと言って、性格を矯正するための努力をするようなロクローンではないわけだが。
「ミーヤ、睡眠薬持ってない?」
「ついには自力で眠ることすら面倒がらないでほしかったりするんだよ」




