クライアスはもういない
七年前のとある日。
それはクライアス・ラーネルが死んだ日。
それはレヴィア・エルクルが一人だけで生きることを決めた日。
その日に一体何があったのか、イリーナは知るためにミルトまで来た。
何やら事情を知っていそうなグストの話から推測を立てることはできたが、それは確実なものではない。その日の真実を知るためには、当事者であるレヴィアから話を聞き出すしかないのだ。七年前の過去を知ることができたならば、イリーナはミルトから去ることもできるのだから。
そう、もしも真実が彼女の推測通りならば、彼女はいつの間にかミルトから立ち去っているだろう。
しかし、もし彼女の推測とは違う、別の真実があった場合――
その場合は、イリーナがレヴィアの敵になる未来だってありうる。
だから、いつまでも訊かずに引き延ばすわけにはいかなかったのだ。
レヴィアがあまりにも上機嫌で普通の少年にしか見えなかったというのも一因としてはあるだろう。しかし同時に、それだけの覚悟を持ってイリーナは尋ねていた。
七年前に何があったのか、と。
予想していた通りと言うべきか、レヴィアから笑顔はなくなった。たった今まで笑っていたはずの表情は凍ったように固まり、目には冷たい光が宿る。昼間にクライアスの名前を出した時と同じ反応だ。だが、昼間のように怒り出したりはしない。それは彼がほんの少しでもイリーナのことを認めたからか、あるいは突然のことで口を開くこともできないのか。
「俺は七年前に死んだ」
止まったようにすら感じる時間の中、レヴィアはぽつりとそう言った。
「トランプに、殺された」
その言葉は果たしてどういう意味を持っているのだろうか。一人きりで居場所もなく冷たい世間に放り出された十歳の少年は、確かに殺されたと言ってもおかしくはない。全てを奪われ、失った過去――きっとレヴィアはそういう意味で殺されたのだと言っているに違いない。
「貴様はトランプの本当の姿を知っているか」
ふいに、レヴィアがイリーナに訊いた。半ば独り言のような調子で、少し離れた場所のイリーナに声を投げる。
――トランプの本当の姿。
それはグストも言っていた言葉だ。同時に、イリーナが知らないであろうことも示唆していた。
「……知らないです」
しばらく考えて、彼女は頷いた。彼らが何を指してトランプの本当の姿と言っているのかは分からないが、少なくともイリーナには心当たりのないことだ。ここで知っていると嘘をつく理由もない。
イリーナの返答からまた少しの間を置き、レヴィアは再び口を開く。
「スペード、ダイヤ、クラブ、ハート……さらには一から十三までの番号による厳正な階級分け。おかしいとは思わんか。なぜそこまでする必要があるのか、と」
「それは……世界規模の組織ですし、より効率よく動くために……」
「違う」
イリーナの言葉を遮り、レヴィアは強く断言した。
「世界規模の警察機構……それは表向きの姿でしかない。トランプの真の目的はそれと真逆の位置にある」
淡々と、レヴィアは語る。その口調からも、彼が七年前までトランプに所属していたのはほぼ間違いないだろう。そうでなければトランプの本当の姿だとか真の目的だとかいうことも知っているわけがない。
ぐらり。
イリーナの中で、何かがほんの少しだけ傾いた気がした。
「トランプが業の人為的発現実験を世界中のどの組織よりも意欲的に進めているのはなぜか分かるか? トランプに能力者ばかりが所属しているのは、決して偶然ではない。能力者を探し出し、集め、巨大な戦力を作っているのだ。なぜそうやって戦力を探しているのか、知っているか?」
ぐらり。
傾きがさらに大きくなった。
一体何が傾いているんだろう、と見えない何かに不安を覚えるイリーナに、レヴィアは最後の一言を投げかける。
「トランプの真の目的は、トランプという組織が世界の頂点に立つこと。幼稚な言い方になるが、世界の征服だ」
ぐらぐらぐら。
心の中で激しく揺れているものが今日の昼間にも揺らぎかけたものなのだと、イリーナはようやく気がついた。
それは、トランプへの信頼だ。
なぜこんな話をしているのだろうと思った。
七年前に何があったのか。それを知りたかっただけなのに、どうしてこんなにも心の内が動揺するような話を聞かされているのだろうと思った。
「トランプの構成員の者はこの目的を知った上で、組織に賛同し、尽力している。しかしクライアス・ラーネルにはそれができなかった。だから殺された。それだけのことだ」
吐き捨てるように、レヴィアは言った。
「俺も昔はトランプに所属していたが、クライアス・ラーネルが死んだことで居場所を失った。だから世間を放浪し、結果この村に辿りついた。……貴様が知りたいことは、これで全てだろう。貴様が七年前のことを調べている理由は訊かんでやるからこれで納得しろ。」
腹の奥に溜まっていた重苦しい異物を吐き出すように、レヴィアは長く長く息を吐いた。吐き出されたため息には、彼の七年間の苦悩の全てが込められているかのようなどんよりとした暗さがある。
「ついでに教えておくが、俺の存在はトランプも知らんはずだ。そういう風にあそこから抜け出した。だが、それでも俺はトランプの裏切り者のようなもの。万が一俺の存在が知れた時、共にいれば危険が降り注ぐ」
再び目を閉じ、レヴィアは背後の壁に体重を預ける。
「それが、俺が他人を寄せつけん理由だ。個人的には俺も貴様と友達になりたいと思わないわけではない。しかし、そうなれば貴様にも危険が生じる」
だから、と彼は続ける。
「最初に言った通り、明日の朝には出ていけ。それで俺と貴様の関係は終わりだ」
そう言われても、イリーナは何も返すことができなかった。
思考が止まっているわけではない。呆然としつつも、頭はちゃんと働いている。その話が本当ならレヴィアと対立する必要はない。この村に居続ける必要ももうない。冷静にそういうことを考えている自分は確かにいる。
その一方で、何も考えられなくなっている自分も確かにいる。原因はたった今知ってしまったトランプの本当の姿の話。それはトランプを絶対の正義だと信じて疑ったことのないイリーナにとってあまりにも衝撃的なことだった。
ぐらぐらと揺れる信頼は、下手をすれば彼女の人生そのものにさえ関わってくる。
「……? 聞いているか?」
返事をしないイリーナを怪訝に思ったのか、レヴィアが眉を寄せて訊く。
はい、とイリーナはかすれた声で何とか返した。




