長い夜だ
その晩、いつもなら横になった途端にすやすやと心地よい眠りにつくイリーナは珍しくいつまでたっても寝つけなかった。
理由はとても単純で、
「あ、あの、レヴィアさん……やっぱり……へ、部屋は別の方が……」
お世辞にも広いとは言えない部屋の中、ベッドの上で口まで毛布を引き上げながらイリーナがごにょごにょと言う。ほんの少し離れた所では、コートを脱いだレヴィアが刀を抱くようにして床の上に座っていた。
「何度も言わせるな。部屋はここ一つだけだ。俺を意識する必要はない」
目を閉じたまま冷たく吐き捨てるレヴィアだが、そう言われても意識しないなんてことはできない。イリーナにとっては男性が同じ部屋の、しかもそう離れているわけでもない場所で寝ているというだけで心臓が張り裂けるんじゃないかと思うくらいの早鐘を打ってしまうのだ。例えその男性が床に直に座っている上に刀を抱いている警戒心だらけの体勢で、しかも暗い中だとますます女性のようにしか見えない顔立ちだったとしても関係ないのである。
しかしイリーナも一応見て回ったのだが、彼の言うようにこの家にはダイニングと寝室以外の部屋がない。聞いたことがないくらい小さな家と部屋だが、どうやらレヴィアにはこれで十分らしい。無理を言って泊めてもらっている立場である以上、レヴィアを強引に部屋から追い出すこともできないまま今に至るわけだ
レヴィアも一応、イリーナの方を向かないようにするくらいのことはしてくれているが、気恥ずかしさはどうしようもない。目を閉じて眠る努力をしてみても、眠気は一向に訪れそうになかった。同時に、もしかして本気で女の子と思われてない……? と若干の不安がお年頃の心を襲う。この状況で意識されると困るのは事実だが、しかしまったく意識されないというのも複雑な気分なのだ。
そんなことばかり考えていていつまでも寝つけないので、イリーナは思い切ってレヴィアに会話を振ってみることにした。泊めてもらうついでに一気に距離を縮めて友達になろう、という目的もあるわけだし、この静寂も正直言ってかなり辛い。
決心を固めるようにイリーナは毛布の中で頷くと、
「あ、あの、レヴィアさん!」
「うるさい。眠れ」
瞬殺だった。
「な……っ!? い、いくらなんでも冷たいです!」
「俺は貴様と縁を切ったと言っているだろう。泊めてやっているだけありがたく思え」
「確かにそうですけど……いきなりうるさいって言うことないじゃないですか」
「だったら何を言おうとしていたか言ってみろ」
「ふぇ?」
レヴィアは目を開こうともせずに適当に言葉を投げかける。その意固地な態度までどこか子どもっぽいものだった。いや、それよりも今の彼女には重大な問題がある。
「(な、何を言うか全然考えてませんでした!)」
そう、気まずい空気を変えることだけを考えていたせいで、問題の会話の内容はまったく気にしていなかったのだ。ぽかんと開いたままの口をわなわなと震わせ何とか話題を絞り出そうとするが、そもそも二人は今日出会ったばかりだ。共通の話題が分かるわけもなく、昼間のように下手なことを言ってレヴィアを怒らせてしまうことを想像するとさらに話しにくい。
「何もないなら、それでいいだろう」
「い、いや……えっと……」
慌てて何か言おうとするイリーナだが、続く言葉は出てこない。レヴィアが今すぐにでも眠ってしまいそうな雰囲気を纏っていることがそれに拍車をかけた。そもそもこの会話の間すら、彼は目を開けてもいないのだ。
焦りが極限まで高まったイリーナは大きな覚悟を決めるかのようにぎゅっと目を瞑り、シーツを強く握りしめて、
「れ、レヴィアさんのベッドっていい匂いですねっ!」
思わず、静寂の中にとんでもない爆弾を放り込んでいた。
もちろんおかしな考えがあってのことではなく、焦りすぎて頭が真っ白になり、咄嗟に出てしまった一言がそれだっただけのことだ。咄嗟に出る言葉が匂いのことと言うのも問題な気はするが、冷静さを失くした人間が何を言うかなんて分かったものではない。
何はともあれ、イリーナがこれ以上ないくらいの失言をしてしまったことは間違いない。レヴィアには無視されるか、悪ければ怒鳴られるだろう。いや、あるいは今からでも追い出されて路上に放り捨てられる可能性だってある。
イリーナはだらだらと冷たい汗が自らの頬を伝うのを自覚する。今までの人生で一度も味わったことのないような緊張感を彼女は感じていた。ただでさえ何が何だか分からなくなっている頭が、さらに真っ白になっていく。
いずれにせよ黙っていてはろくな未来がないのは疑いようのないことだった。今すぐにでも謝罪するべきだろう。
さっきよりさらに慌てて口を開こうとしたイリーナだが、
「……はっはっはっはっは!」
少年らしい快活な笑い声に遮られ、謝罪の言葉は出てこなかった。
「もう少しまともな言葉はなかったのか、はっはっは!」
声を出して笑っているのは、なんとレヴィアだ。目を細めた上に大きく口を開けた満面の笑顔、お腹を押さえていかにも大人っぽい雰囲気の彼らしくない少年っぽい笑い方をしている。どこからどう見ても演技などではない、本気の態度だった。
「れ、レヴィアさん……?」
予期していなかったレヴィアの行動に、イリーナは目を丸くする。さっきまでの冷たい姿勢はどこへ行ったのか、というか、何がそんなに彼のツボにはまったのか。
「貴様、面白いな」
笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を拭いながら、レヴィアはそんな評価を下した。
「面白い……ですか?」
「ああ、面白い。今まで俺にそんなことを言った人間はいなかったぞ。友達になりたい、というのもそうだ。冷たいことを言ったが、正直、俺も貴様のことは嫌いではない」
その言葉に、イリーナはがばっと勢いよく体を起こした。レヴィアの方を見ると、どうやら彼は今の会話の流れで機嫌が非常によくなったらしく、ついつい本音を漏らしてしまったような感じらしい。
彼の本音の吐露は、さらに続いた。
「他人との関わりを断ち続けてきた俺には難しいことだが、友達というのも、貴様となら悪くないのだろう。今日一日のみでの話だが、人付き合いというものが苦手な俺も貴様とはそう気を張らずに向かい合うことができる」
その一言一言が彼の本心からのものであることは明らかで、イリーナは信じられないものを見たような目で彼を見つめていた。あんなにも冷たい態度を取っていたレヴィアが心の中ではこんなことを思っていたとは、とても信じられなかったのだ。
しかしそれは疑いようもない彼の本心で、だからこそ彼も今みたいな機嫌のいい時に、年相応の笑顔を浮かべながら語るのだろう。
純真な少年そのもののレヴィアはいかにもごく平凡な人間で、トランプでの壮絶な過去(あくまでイリーナの推測だが)を感じさせない。そのせいだろうか、イリーナは本来訊くべきではないことを何の抵抗もなく訊いてしまっていた。
「……レヴィアさん、七年前に何があったんですか?」
途端に、室内の空気が凍った。




