第97話 背中を押した、言葉
アガートさんはすぐに動いてくれたらしく、王城に帰って行った彼から教室に手紙が届くのに時間はかからなかった。
そして手紙に書かれていたアガートさんとレヴィミール女王陛下の来訪日。
それが今日だった。
「エンデー、緊張?」
夕焼けの日差しが入る俺の教室で、隣に座るムゥがいつもの表情で見上げて尋ねてくる。
今回来訪するのはムゥの出身国であるマルク・マギカのレヴィミール女王陛下。
ムゥと女王陛下は知り合いらしく、俺の方から同席を依頼した。
「……そりゃあなぁ。ちょっとは緊張するだろ」
アガートさんと初めて会ったときは、急な来訪で心の準備をする暇がなかった。
けれど今は十分な時間があったからか、少し落ち着かない。
むしろケロッとしているムゥとイヴがおかしいんだ。
「でも、ムゥ曰く面白い人……なのよね?」
「ん。レヴィ、エンデー、似てる。ちょっと失礼」
「失礼なのはお前もだけどな」
というかこのクソガキはなんで女王の事を呼び捨てなのだろうか。
アガートさんの事も呼び捨てだし、本当マイペースというかなんというか。
けれど今はその図太さが少し羨ましかった。
「女王陛下自ら訪問ということは……そのライアスという娘、何かあるということかもしれませんね」
「会ったこと、ない。でも、優秀、聞いた」
「そうなのか?」
「ん、太陽、言われてた」
「へえ」
国内でそんな風に呼ばれることやムゥが聞いたことを総括すると、問題児ではなさそうだ。
ひょっとしたら普通に依頼されて、サナのような手のかからない子を任されるかもしれないな。
「でも……」
「あ?」
「ん、なんでもない」
ムゥにしては珍しく歯切れの悪い言葉に、なんだ? と思った時。
魔馬車の車輪の音を、聞いた。
少し待ってみれば音は小さくなり、校舎の前で止む。
それからさらに時間が経てば、校舎の玄関口が開く音を聞いた。
廊下に人影が現れ、教室の扉がスライドし、アガートさんが顔を出した。
「やあエンディさん、イヴくん、ムゥくん。今回は時間を取ってもらってすまないね。早速レヴィ女王をお呼びしても?」
「あ、ああ……」
緊張して答えると、アガートさんはニッコリと笑って、側の兵士に声をかけた。
彼はそのまま部屋の中に入り、前回と同じ椅子に座る。
空いているのは、初めてきたときに女性秘書が座っていた椅子だけだ。
緊張する俺を他所に、時間は過ぎていく。
コツコツ、という足音と共に、教室に足を踏み入れる一人の女性。
灰色の長い髪を靡かせ、すらっとした長身の美女が入ってきた。
今回依頼されたライアスという少女の祖母にあたる女性だが、見た目はどう見ても若い。
正直、母だと言っても通じるくらいだろう。
自信満々で、それを感じさせるような凛々しい顔立ちと雰囲気。
俺の目の前に来た彼女は不敵に微笑み、手を差し出してきた。
「初めましてエンディ・スカイグラス殿。私はレヴィミール・ミストルティン。この場で貴公のような素晴らしい教育者に出会えたこと、とても幸運に思う」
「あ、えっと……その……ど、どうも……」
あまりにも威厳たっぷりに言うものだから、思わず立ち上がって握手に応じた。
するとレヴィミール女王陛下は笑みを深めて、首を横に振る。
「そんな畏まった態度をする必要はない。アガートからすべて聞いている。敬語も不要だし、私の事はレヴィと親しみをもって呼んでくれ」
「え、えぇ……?」
「ほら、レヴィ、と」
「れ、レヴィ……さん?」
「ああ、ありがとう。……ふむ、私もエンディさんと呼んでいいかい?」
「も、もちろん……だ」
え、何この人、カッコいい。
握手をした後で手を放し、ムゥを見る。
お前この人の事俺と似てるって言ってたの? あまりにも失礼すぎるだろ。
「それに久しぶりだな、ムゥ・アスガルド?」
「ん、レヴィ、元気そう」
「お前は相変わらず気だるそうだなぁ」
「失礼、色々、考えてる」
「……本当か?」
胡散臭そうなものを見る目を向けた後でレヴィさんは席に着いた。
その様子を見て、俺も席に座る。
すぐにイヴがお茶を人数分、出してくれた。自分を含めた全員の前に一つずつ。
それを見て、ムゥがふふん、と得意げに口を開く。
「ん、ご苦労」
「ムゥ、あなた今日の夜おかず一品なしね」
「!!??」
ふんぞり返ってそういうことを言うからそういう目に合うんだぞ。学習しろクソガキ。
ふざけていたムゥは、イヴから夕食一品抜きの刑を言い渡されていた。
ちなみに前科は間違いなく10犯はある。
イヴも椅子に座るのを見届けてから、アガートさんが口を開いた。
「それではレヴィミール女王陛下、どうぞ」
「公式の場ではないのだからレヴィと呼べばいいものを……まあいい。エンディさん、エンディさんにぜひ依頼したいのは他ならぬ私の孫娘、ライアス・ミストルティンなんだ」
「ああ、事前にアガートさんから聞いているよ。それで何を教えてほしいんだ? やっぱり魔法か?」
返事をすると、レヴィさんは頷いた後に、少しだけ目を伏せた。
「うん……何から話したものか。もちろん、教えて欲しいのは魔法ということになるんだろう。……その、エンディさん。この教室は生徒がここを訪れない限り、教わることはできないのだろうか?」
「……んん?」
どういうことだ、と思って首を傾げると、アガートさんが助け舟を出してくれた。
「レヴィ、それでは伝わらないだろう」
「ああ、すまない。そうだな……実を言うとライアスは今、屋敷から出られない状態にあるんだ。そこで依頼したいのは、エンディさんにマルク・マギカまで来て、ライアスを教えて欲しい、ということなんだ」
「……おぉ?」
出られない? とはどういうことだろうか。
聞き返すよりも先に、左隣のイヴから冷たい空気を感じた。
「こちらを訪れるではなく……先生を訪れさせる?」
「落ち着けイヴ」
不穏な空気を発し始めたイヴを制止して、俺はレヴィさんに尋ねる。
「なんでそのライアスって子は屋敷から出れないんだ? まさか王族だからこんな片田舎の教室に教わりに来るなんてもっての外……ってわけじゃないだろ?」
これがモルボルのような傲慢な貴族なら可能性はあるが、先ほどからレヴィさんは目じりを下げて辛そうにしている。
時折俺を見る目も何かに縋るような、そんな気持ちを感じていた。
「……ライアスは昔の事件の影響で心に深い傷を負い、屋敷の部屋から出ることができなくなった」
「……事件?」
「ああ、邪神教の連中に攫われたんだ」
邪神教。マルク・マギカを中心に活動する邪教徒の集団だと聞いたことがある。
こんな地獄のような世界では、一致団結して戦おうという善の人も居れば、それを真っ向から否定する悪の人もいる。
邪神教は、居るかどうかも分からない邪神の復活を企み、魔物以上の力を持つ邪神に自らを救ってもらおうという教えを持っているらしい。
正確にはどんな風なのかは分からないが、概要を聞いただけでも分かる。
完全に頭がイっている。そもそも邪神ってなんだ。邪神教の話でしか聞いたことねえぞ。
けれど、信じるものがあれば救われる人が居るのも事実。
そしてそれが一般的に悪と考えられるものでも、その連中にとっては善になる。
だからこそかなりの人数が居るのでは、とも予想されていた。
(それにしても態度だけデカ男といい、クジャクミヤ家といい、邪神教といい……魔物よりも恐ろしいのは人間ってのはつくづく思うな)
シエルエイラやアーセラスでも犯罪の発生はよくあることらしく、治安維持に軍の一部が割かれているくらいだ。
「ライアスを攫った邪神教の拠点を特定し、そこに居る邪教徒は一網打尽にした。……だが、遅かった。地獄のような場所で、ライアスの心は折れてしまっていた」
「……地獄か」
この世界を地獄と呼ぶ人間は多い。
けれどそのライアスという少女が味わった地獄はその比じゃないだろう。
幼い年で経験すれば、心が折れて引きこもるのも無理はない。
「……最初は人と会うのも怖がっていたが、今ではだいぶ良くなってね。私やアイリス……娘が紹介した人なら会ってくれるようになった。それで色々なものを再開したんだ。その中で、部屋でできる授業はできるだけやった。……だが魔法に関しては流石に部屋から出ないとできなくてね……いや、それ以上に私はライアスに外に出てほしいのだよ。また昔のあの子に……とは言わない。でも少しでも、ほんの少しでも前を向いて欲しいんだ」
ライアスを想うレヴィ女王の気持ちが、声音には乗っていた。
「これまで、何人かの教師には頼んだけれど、皆上手く行かなくてね。……頼むエンディさん、引き受けてはくれないだろうか? 貴方が頼れる最後の人なんだ」
「う、うーん……」
正直、話を聞いてライアスという子が不憫だとは思った。
思ったけれど、それはそれとして考えてみると、これはもはや教師ではなくカウンセラーのような役割なのでは? とも思っていた。
魔法を教えるから教師ではある。でもそのためには閉じこもったライアスをなんとかする必要があって。
これまで培ってきたものはほとんど使えないだろう。だからこそ、安易に受けることができなかった。
「も、もちろん報酬は支払う。感謝の気持ちとして色を付ける……いや、いくら払っても構わない。それこそアガートと同じように私も後ろ盾になろう。頼む……頼むよ、エンディさん」
「う……」
ついにレヴィさんは机に手をついて、頭を下げてしまった。
それでも返事ができない。
何とかしてやりたいな、という気持ちはある。報酬だってきっと破格だろう。
それこそ今までで一番大きな仕事と言っても過言ではない。
レヴィさんだって、俺を最後の希望を見るような目で見ている。
だが、思ってしまう。俺に出来るのかと。
「エンデー」
声が、聞こえた。
右に視線を向けると、ムゥはいつもの表情で、けれど朱色の瞳をまっすぐに俺に向けていた。
「できる」
「……は?」
「エンデー、できる」
「いやいや、お前――」
「できるよ」
そう言ったムゥの顔は真剣そのもので、そんな彼女に見つめられて、なんて返せばいいのか分からなくなってしまった。
口角を少しだけ上げて、ムゥは笑う。
「自信、ない?」
初めて出合ったあの時と同じ言葉を、ムゥは紡ぐ。
「私、エンデー、出来る、思う。あなた、自信ない?」
「…………」
ああ、そうか。そうかよ。
小さく笑い、俺はレヴィ女王に再び視線を向けて、口を開いた。
「レヴィさん……俺は教師だ。正直、そのライアスって子をなんとかしてえとは思うが、どうすればできるのかは全然分からねえ」
「え、エンディさん……だ、だが――」
「だがな」
焦るレヴィさんの言葉を遮って、告げる。
ムゥが背中を押してくれたからこそ言える言葉を、告げる。
「それでもやるってなら全力を尽くして、やれること全部、やってみるぜ」
「エンディさん……」
「まあ……そのライアスって子にまずは会ってみてってのはあるがな。流石に教わる気がないとか、めちゃくちゃ我儘とかじゃなさそうだから大丈夫だとは思うが……ただ、あんま期待はしないで欲しいし、無理だったとしても悪く思うなよ」
「途中、まで、完璧。最後、カッコ悪い」
「うるせえ」
ムゥの指摘に悪態をついて返すと同時、手をレヴィさんに掴まれた。
「ああ……ああっ! ありがとうエンディさん! ありがとう! ……ありがとう」
「お、おいレヴィさん……気が早えって……まだ正式に受けるってわけじゃ……まあ、受けるようなもんだが」
瞳を潤ませて感謝を告げるレヴィ女王を宥める。
「……エンデー、私、救ってくれた。すごいの、教えるだけ、違う。エンデー、本当、すごい……生徒、思う、気持ち」
宥めるのに夢中だったからこそ、隣から聞こえてきた嬉しそうな声は聞こえないふりをした。
でも……ほんの少しだけ、胸は温かくなった。




