第96話 アガート王からの依頼
それはある日の夕暮れ時のことだった。
授業もそろそろ終わり、この後の家での過ごし方をぼんやり考えているときに、魔馬車の車輪の音を聞いた。
次第に大きくなる音はやがて校舎の前で止まり、しばらくしてから玄関口が開く。
『エンディさん、いるかい?』
名を呼ぶ声が聞こえて、控室にて資料に目を通していた俺は顔を上げた。
向かいの席で書類仕事をしていたイヴと顔を見合わせれば、黄緑色の瞳がすっと動いた。
「アガート陛下がいらしたようですね」
「……あれ? 今日って来る日だったっけか?」
「いえ、確か予定にはなかった筈ですが……」
イヴに間違いはないので、本当に突然の来訪なのだろう。
まあいいやと思い、席を立って部屋を出る。
校舎の玄関口にはアガートさんが立っていた。
「アガートさん、どうしたんだ?」
「やあエンディさん。教室運営はどうだい?」
「まあ、ぼちぼちってところかな。アガートさんのお陰もあって、何とかやっていけてる」
そう軽く会話をすると、アガートさんは苦笑いをする。
「私はちょっと手を貸しているだけだがね……おっと今日は少し話したいことがあってね」
「じゃあ、そこの教室で話すか」
「ああ、お邪魔させてもらおう」
アガートさんをすぐ近くの俺の教室へ招き入れる。
サナ卒業後は授業ではなく面接などの目的で使っているために丁度良い。
俺はいつもの席に、そしてアガートさんは向かいに座る。
奇しくも初めてこの教室で話したときと同じ位置。
違いがあるとすればアガートさんの方には女性秘書さんが、俺の方にはイヴとムゥがいないことくらいか。
「失礼します」
そんなことを思っていると、イヴがお盆を片手に教室へと入ってきた。
俺、アガートさんの順に用意したであろうお茶を出してくれる。
その様子に、アガートさんは目を見開いて驚いていた。
「こ、これはこれは……感謝するよ」
「いえ、お気になさらないでください」
イヴは本当によく出来る子に育ってくれた。
これがムゥならどうなっていたことか。あいつがお茶なんて用意する筈がない。
「授業の方は大丈夫なのかね?」
俺の横の席に座るイヴに尋ねるアガートさん。
イヴは首を振って、そして微笑んだ。
「現在はムゥが授業をしていますので、私は自由時間です。それに今日の教室の授業も、もう終わりですし」
「そうなのか……それにしても……エンディさんはすごいな……」
「???」
なぜか急に褒められたが、今までの流れでどこに凄い要素があったのか分からなくて首を傾げる。
しかしアガートさんは詳細を語ってはくれず、イヴも嬉しそうにニコニコ笑っているだけだった。
アガートさんは出されたお茶を一口飲んだ後に、早速本題へと入る。
「こほんっ……エンディさん、前にした話を覚えているだろうか? もしも教えて欲しい者が現れた場合に、というものだったのだが……」
「ああ、覚えているよ」
むしろそれを考慮してなるべく生徒を持たないようにしていたのもある。
といっても、アガートさんと約束してからそもそも教えたいと思ったのはサナしか居なかったわけだが。
「エンディさん、今、受け持っている生徒はいるかい?」
「いないぜ」
「そうか! それならば是非、話を聞いて欲しいのだ。教えて欲しい者の名は、ライアス・ミストルティン」
「……ミストルティン?」
聞いたことのある家名に思わず聞き返した。
記憶が正しければ、その家名は。
俺の疑問に答えるようにアガートさんが頷く。
「ああ、現マルク・マギカ女王、レヴィミール・ミストルティンの孫娘だ」
「……えぇ」
話を聞いて真っ先に思ったのは、すごい所から依頼が来たなということ。
そして次に、女王の孫娘なら金もたくさん入ってきそうだということ。
最後に、でも女王の孫娘だから我儘傲慢娘なんじゃないかってことだ。
「孫娘……ですか。アガート陛下、前々からの取り決めではあると思うのですが、先生が授業をするかどうかは、先生がお決めになることですよ?」
俺が聞こうと思っていたことを代わりに聞いてくれるイヴ。
そんな彼女の言葉に、アガートさんは少しだけ目を伏せた。
「もちろんだ……だが……事前に彼女の保護者であるレヴィミール女王と話をしてもらうことはできるだろうか?」
「……? ん? え?」
言葉の内容が飲み込めなくて混乱していると、アガートさんは詳しく語ってくれた。
「まずこの教室にレヴィミール女王が訪れる。彼女とエンディさんの間でライアス・ミストルティンに関する話をしてもらい、色々な情報を共有した後で、受けるかどうかを決めてもらいたいのだ……私の口から多少は語ることもできるが……今回の一件は彼女たってのお願いでね……どうだろうか?」
「う、うん……? ちょっと待ってくれ」
落ち着いて、今までの情報を整理する。
要はサナの時と同じで、まずは保護者のような立ち位置のレヴィミール女王陛下と話をするということか。
「その……ライアス? っていう子は何歳なんだ?」
「現在12歳と聞いている」
「12……」
まあその歳ならまずは保護者のレヴィミール女王陛下が話をするのも分からなくはない。
特に問題なく、とりあえず腑に落ちたので一度頷いた。
「そういうことなら、前例もあるし問題ないぞ」
「そうかっ! 助かる!」
「お、おう……」
まだレヴィミール女王陛下と話をすることしか決まっていないが、アガートさんは破顔して喜んでいる。
その様子を見ながら、「うーん」と唸った。
「それにしても……アガートさんに引き続きレヴィミール女王陛下か。なんだか、大物がいっぱい来るから実感がわかねえな」
「いえ、ようやく世界が先生に追いついてきたのです。これこそが本来のあるべき姿です」
うんうん、とドヤ顔を見せるイヴに、冷めた視線を向ける。
いや、こうなるのが遅れたのは元はというとお前が教室を宣伝してくれなかったからだろうが。
そうは思ったものの、その一件はもう終わっているし、今イヴは教室に無くてはならない存在なので、言うことはなかった。
「それでだね、エンディさん」
「ん?」
何か言いづらそうにするアガートさんに聞き返すと、彼は静かに口を開いた。
「今回のライアス・ミストルティンの指導終了後……か、あるいは指導をしないと決めた後、もう一人面接を希望している人が居てね」
「まだいるのか……誰なんだ?」
「アーセラス聖国のシルビア・プロミア聖王だ」
「また王様じゃねえか!」
思わず叫んだ。
でも仕方ないだろう。まさか魔法国の女王の後に聖国の聖王とは思っても居なかった。
「いやぁ、各国の王とは仲が良いのだが、エンディさんの話をしたところ皆興味を持っていてね。リュウガ王も注目していたし」
「えぇ……いや、そんな各国の王様とか……」
「皆この世界を守るために藁にも縋る思いなのだ。もちろん、エンディさんの意志を優先するのが絶対とは伝えてある。……それになにより彼らは一国の王達。金銭、後ろ盾……色々とエンディさんにとっても嬉しいことではないかな?」
「…………」
アガートさんに、レヴィミール女王、アーセラスの聖王。
お、おお……金だ。金が見える。俺の夢見たスローライフが、もうゴールを迎えようとしている。
感動して薄笑いすら浮かべそうになったとき。
「良かったですね先生。これで教室ももっと有名になります……そのうち働かなくてもよくなるかもしれません」
イヴの弾んだ声と、そして最後の小さな声が、やけに大きく聴こえた。
背筋がひんやりとする感覚に襲われる。これには覚えがある。
かつて宿の時も感じた、あの不思議な感覚。
急速に体の熱が、頭を浮かしていた熱が、興奮が引いていき、冷静な思考が返ってくる。
「……いや、俺は教育者だ。どれだけ成功しようと、生徒のために尽くすことは変わらねえよ」
自然と、声が出た。
じっとイヴを見て、そして。
完璧なまでの笑顔のまま、イヴが頭を下げる。
「失礼しました。先生はそういったお方だとよく知っているのに、私ったら。ふふっ、それではこれからも変わらずお支えしますね。先生」
「あ、ああ……」
なんかよく分からないけど、何か大きな物を乗り越えたような、そんな気がしていた。
「え、エンディさん……あなたという方は……本当に素晴らしい方だ」
「お、おお……あ、ありが……とう……」
感動しているアガートさんにそう返すので、何故か精いっぱいだった。




