第85話 雨、桜の木の下にて
サナはすぐに見つかった。
彼女はクジャクミヤ家本邸の中庭、そこに聳える桜の木の下に立っていた。
背を向けていて、表情を伺い知ることはできない。
「サナ!」
小雨の中を走って、彼女の元へ駆けより、隣に立つ。
「サナ……」
「せん……せい……」
ゆっくりと顔をあげて俺の方を見たサナは雨に濡れていて、艶やかな黒髪の向こうの表情は少し暗い。
彼女は俺から視線を外すと、桜の木を見上げた。
「……綺麗ですよね。桜っていうんです。わたくしがこれまで過ごしたセイランの屋敷にも……あったんです」
「……ああ、綺麗だ」
同じように桜を見上げて、そう返した。
「セイランは少し暗くて……夜はまた違った美しさがあるんです。でも……雨に濡れる桜も……綺麗ですね」
「……ああ」
「……先生、わたくし、クジャクミヤ家の人間じゃなかったんですね。……どこかから連れてこられた生贄の娘。選ばれたと思っていたのに、その相手はおひさし様という名前の神様……いえ、魔物だったんです」
「…………」
桜の木は、雨を少しも受けてくれない。
ただ俺たちの上に、細かい雨が降りしきる。
「でも、だから先生や、イヴ先生や、ムゥ先生に会えたんです……だからわたくしは……わたくしは……そこまで悪いことじゃなかったと思っています。皆さんと一緒に過ごした日々は……間違いなく幸せでしたもの」
「そう……か……」
「けれど……やはり悲しいものです。これまでわたくしがした努力は無駄でした」
「…………」
雨が、強くなる。夜が近づいてきたからか辺りは暗くなり、雨粒は小粒から大粒に。
俺たちの体を、冷たく濡らす。
「クジャクミヤ家の娘なんて……結局は幻で……そんなもの、どこにもいなくて」
雨の音が、強くなる。地面を打ち付ける雨音が響く中で、サナの声は鮮明に届く。
「相応しくなりたいと思ったクジャクミヤ家さえも……結局は幻で……」
強い雨に、桜の花が揺れる。
打たれて、一厘の花弁が落ちる。
ひらひらとではなく、視界から消えるように雨の重さで、一瞬で落ちる。
「いえ、わたくしという存在自体……幻だったのかもしれません」
打ち付ける雨の音が、まるで泣いているようだった。慟哭しているようだった。
大きく息を吸う。冷たい空気が体の中に入る。
見上げた桜は、目に入った雨の粒で滲んで、よく見えない。
目を瞑り、顔を下げる。瞼から零れ落ちた雨が、頬を伝った。
「幻じゃねえ」
目を瞑っていても、雨の音が響いていても、すぐ傍に彼女の存在を感じる。
「確かにクジャクミヤ家の娘のサナも、クジャクミヤ家も幻だった。でもよ」
降りしきる雨の大きな音に負けないくらい、はっきりと、伝わるように。
「お前が生きてきた、頑張ってきた日々だけは、幻じゃねえ」
雨脚が……弱まる。
「短い時間だった。人からしたら大して長くねえ時間だと言われるだろうさ。でも俺はその間、誰よりも近くでお前が頑張っているのを見た。それは夢でも幻でもねえ、現実だ」
目を開き、サナの方を向く。
雨に濡れて、俺の方を向いていたサナと目を合わせる。
その瞳の中に、語り掛ける。投げかける。届けと、そう願って。
「お前は頑張った。一生懸命取り組んだ。頑張った……お前は頑張ったんだよ、サナ」
「……っ」
「俺なんかに言われても別にって感じかもしれねえけど、でも――っ!?」
胸に、衝撃を感じる。
雨に濡れていた少女は俺の腕の中にいて、顔を胸に押し付けていて。
弱まったけれどまだ、雨はわずかに降っている。
「わたくしは……わたく……しは……」
「……無理しなくて……いいんだ」
雨で跳ねた枝が、それまで桜の花弁に溜めていた雨水を落とす。
それを最後に、雨は上がった。宵闇が、辺りを支配する。
沈黙の中でサナの声はやけに大きく聞こえた。
「わたくしは……わたくしはっ! わたくしはただ……お父様に認められたかった! ただ、ただそれだけだった!」
「ああ、そうだよな……そうだったん……だよな」
サナの瞳からも一筋の線が流れる。重力に従って、落ちていく。
「お父様に……受け入れてもらおうと……お父様に……愛されようと……お父様に……相応しくあろうと……」
「ああ、本当に頑張ってた。頑張ってたんだ。よく……やったよ。サナは、よくやった」
「っ! うわぁぁぁぁぁああん!! あああぁぁぁ!!」
天を見上げて、雨上がりの風に揺れる桜の花びらが目に入った。
あぁ、今日は本当に、雨が強いな。
屋敷の方が騒がしくなったのが聞こえる。
大方ツカサが兵を突入させたんだろう。
最初にナバラで会った時からツカサはサナを警戒していた。
あれはきっと、サナがクジャクミヤの人間だからだ。
セイランの王家がクジャクミヤ家を捕らえるのを悟らせないため。
おそらく王家は事前にクジャクミヤ家の悪事を掴んでいて。
それで、たまたま俺たちがクジャクミヤ家に行くタイミングと、セイラン王家が動いたタイミングが被ったんだろう。
クジャクミヤ家はもう終わりだ。幻のように消えてなくなるしかない。
「……なあ、サナ」
胸の中でひとしきり気持ちを吐露し終えて、落ち着き始めたサナに声をかける。
「お前、俺の家に来い」
「……え?」
胸の中のサナが真っ赤な目で顔をあげる。
普段は優雅な彼女のそんな一面を見て、少しだけ微笑んだ。
「行く場所ねえだろ。だから、しばらく俺の家に居ろ。いいな?」
「いいん……ですか?」
「当たり前だろ」
この状況でサナを一人置いていくことなんてできるはずもない。
そう思って笑いかけると、彼女は胸の前に腕を持ってきて、そして。
「はい……よろしくお願いします。先生」
ぎこちないながらも笑顔を見せてくれた。
無理をしている様子は全くない笑顔だった。
サナを連れて屋敷の出口へと向かう。
廊下を歩くが、セイランの兵が多く入っているようで少し騒がしい。
けれど俺の事はツカサから共有されているのか、誰も何も言ってこなかった。
「……エンディ様」
そしてクジャクミヤ家の玄関口のところに、ツカサは立っていた。
様子を見るに、既にレンヤやタケルは連行された後か。
「今回は、ご協力ありがとうございました」
「いや……別に何もしてねえよ」
頭を下げるツカサにそう告げると彼は頭をあげる。
「初めからお気づきだったと思いますが、今回、私はクジャクミヤ家の者を捕えるためにここに居ます。……今回の一件、クジャクミヤ家が関わっていると分かった場合に、伝えて欲しいとリュウガ王からの言伝があります。お伝えしても?」
「ああ、頼む」
「……『一つにできていないとはいえ、形式上は我が臣下。クジャクミヤ家が、大変申し訳ないことをした。アガート陛下経由で、教室に関する弁償や賠償は行わせてほしい』とのことです」
「そうか」
「誠意を示すために直接出向いて謝罪したい、とのことでしたが……」
ツカサの言葉に少し考え、首を横に振った。
「いや、そこまでには及ばねえよ……ただその分、賠償金に色はつけてくれや」
アガートさん曰く、リュウガ王はまだ国内を一つにまとめ切れていない。
だから今回のクジャクミヤ家の事件の責任が全て彼にあるとは思わない。
それに、きっとそういうことはアガートさんがやってくれるだろう。
俺としては教室を弁償してくれて、しかも金がもらえるならそれでいい。
謝罪を受けるためだけに国王を呼び出すってのもめんどくさいし。
俺の言葉にツカサは「畏まりました」、と告げ、サナを見た。
「現在、我々の方ではクジャクミヤ家で監視していた生贄候補の少女達を保護しています……そちらのお嬢様ですが――」
「っ」
びくりと震え、俺の後ろに隠れるサナ。
それを見て、彼女を守るように前に出た。
「サナは俺が保護する。そうセイラン王にも伝えてくれ……まさかクジャクミヤの関係者としてサナを処罰するわけでもねえだろ?」
「もちろんです。少女たちの話から、彼女たちにはなんの罪もないことが分かっていますので。……ではリュウガ陛下には、私の方からお伝えします」
「頼んだ」
俺のまっすぐな思いと言葉が通じてくれたらしい。
ツカサはもう話すことはなくなったとばかりに、最後に一礼してくれた。
俺も軽く頭を下げて、最後に「ありがとう」と告げれば、「いえ」と短く返してくれた。
きっとこれから、彼はリュウガ王の代理としてクジャクミヤ家解体に忙しくなるだろう。
踵を返し、サナを引き連れて玄関口を出る。
「あ、エンデー」
「先生、お待ちしておりました」
出てすぐのところではイヴとムゥが待っていた。
彼女達はサナにすぐ気づいたものの、気遣ってか意図的にそっとしている。
その心遣いはサナにとってもありがたいものだろう。
「帰るか。家に」
来た時と同じように三人で、俺たちは家へと帰る。
雨はすっかり上がって……セイランにしては珍しく、夜空には星が輝いて見えた。




