第82話 激動の一日、その瞬間
アガートさん来訪の予定日。
国王陛下が訪問するとは言っても、それまで特に何か変わったことをするわけじゃない。
今日も今日とて、俺はサナに世界の国や場所、常識を座学で指導していた。
「っていう感じで、セイランは少し前まで、それぞれの地主が力を持つちょっとした混沌時代があった。けど今の国王であるリュウガ王が他の領地をまとめ上げる形でようやく国として一つになったってわけだ」
「そ、そうだったのですね……」
「セイラン国出身だから知っているかと思ったが、ここらへんの歴史も習ってないか?」
「ご、ごめんなさい……先生様からは……」
「そうか」
気にしてないことを分かってもらうために少しだけ笑みを浮かべて頷いた。
「といっても、セイランはまだまだすることが多い。アーセラス聖国、シエルエイラ国とのやりとりや、廃領、黒天地からの魔物被害の対処、それに内部の統一だって完全じゃないだろうさ。まあ、三大君が揃っている今の時代なら、統一に関しては時間の問題な気がするがな」
今、セイラン国は以前に比べてノリにノッている。
そのことを伝えると、自分の国が急成長していて嬉しいのかサナは目を輝かせていた。
「とまあこれで今のセイランに繋がると。セイラン国の歴史についてはこんなところだ。次はアーセラス聖国の歴史を説明するのも良いかもな」
この世界の情報を調べるときに覚えたことがまさかこんなところで役立つとは思っていなかった。
そんなことを思いつつ、窓から外を見る。そろそろ丁度良い時間か。
「よし、じゃあ今日の授業はここら辺にして、最後に息抜きに刀でも振るか」
「はいっ! わたくし、楽しみにしていました!」
長い間机に向かって集中して授業を受けていたのに、サナには疲れた様子一つない。
いや、そうなるくらい刀を振るのが嬉しいのだろう。
俺たちは立ち上がり、教室を後にしようとした。
扉に手をかけ、引こうとしたとき。
「う……あ……」
苦悶の声を聞いて振り返る。
俺のすぐ横に立っていたサナが、胸をおさえていた。
「サナ?」
彼女はすぐに耐えられなくなって膝をつく。
息は荒く、目は強く瞑っていてかなり苦しそうだ。
以前俺の部屋での発作の時よりも、痛みは強そうだった。
「くぅっ……あ……っ……」
「サナ! サナ! ちっ……待ってろ、今人を――」
「時期尚早だが、これはいい」
声色はサナのものだが、到底彼女のものとは思えない声を聞いた。
「あ?」
今、サナが声を発したのか?
それを確認するよりも早く、彼女の白魚のような手が俺の腰に伸びる。
目にもとまらぬ速さに、それを止めるのは無理だと判断し。
「っ!?」
体が勝手に動き、左手で鞘を腰から外し、体の前に持ってくるので精一杯だった。
直後、衝撃が身体を突き抜ける。
まるで電車かトラックに轢かれたかと思うような衝撃。
それを感じて咄嗟に俺は身体を左に逸らすことができた。
否、サナが付き出した俺の刀の切っ先の一撃を、逸らすことができた。
轟音。それを聞くと同時に吹き飛ばされる。
風を感じ、視界に映るは茜色。さっきまで窓から見ていた色が、鮮明に目に入ってくる。
「ぐっ!?」
背中に衝撃、続いて右腕、左足。
地面を転がっているのを感じ、遅いながらも受け身を取って衝撃を何とか殺す。
けれど受けた衝撃以上に、サナの刀の突きを受け止めた左腕の方が痺れている。
「なんだってんだ……」
鞘を杖に、立ち上がる。すぐさま自分自身に回復魔法をかけ、状況の把握に努めた。
ここは外。そして目の前には、土煙の上がる穴の開いた俺の校舎。
そしてその奥から歩いてくる、俺の刀を持ったサナ。
否、いつもの瞳の色とは違い、血のように真っ赤な瞳に怪しい光を携えて。
到底彼女のものとは思えない邪悪な笑みを浮かべた女が、そこに立っていた。
「てめぇ……誰だ?」
「ほう? 生きていたか。死にゆく者に伝える名などないが、今は気分が良い。答えてやろう。儂はおひさし様だ」
「おひ……さし……?」
聞いたことも無い名前に聞き返すものの、目の前の女からの返答はない。
俺に対して興味が失せたのか、自分の身体を見下ろす女は満足そうに笑う。
「クカカカカッ!! 素晴らしい! 素晴らしい身体だ! 分け与えたときは多く取られ、結果として色々と不都合があったが、これならば期待以上だ! これだけの力があれば、あの者どもを血祭りにもあげられよう!」
「何が楽しいのかは知らねえが……」
目の前でただ笑うこの女が、無性に気に食わなかった。
「てめぇ、その子の身体でそんな気味悪い笑顔を浮かべるんじゃねえ……」
真っ先に思ったことを、告げた。
俺の声にピタリとやむ女の笑い声。そして赤い瞳が俺を捉え。
「まずは試しに貴様を斬って――」
「どういうつもり」
声と共に、音もなく俺と女の間……いや女の目の前に現れる白色。
金属音を響かせ、俺の刀が横へ飛び、地面を転がる。
突然の出来事に俺と女は唖然とすることしかできなかった。
かと思いきや、次の瞬間には女が地面に伏した。
「ぐ……お……おぉ……」
「サナ、何してる? 校舎、壊した。許されない」
前門の虎、後門の狼という言葉が頭を過った。
今あの女にとっては前門のイヴ、後門のムゥだが。
「加えて先生に危害を加えるなんて、返答次第では容赦――」
「ふ、ふざけ……なんだ……なんだこの力は!?」
「……お前、誰だ?」
女の首筋に剣を添えたイヴが、女がサナではないことに気づいて眉を顰める。
女の後ろから前に回り込んだムゥも、首を傾げた。
「? 誰?」
「きさまらぁ! 儂を誰と心得る! おひさし様なるぞ! 神なるぞ!」
「イヴ、ムゥ、よくやった」
正直一撃受けた感じの怪力ではかなり手こずると思っていた相手だ。
今この時間に、校舎にイヴとムゥが居てくれて本当に助かった。
俺は二人の元へ向かい、女を――いや、おひさしとかいう奴を見下ろす。
「てめぇが誰だかはどうでもいい。だがもう諦めろ、こうなった以上お前はもう終わりだ。……その娘の中から出てきて、大人しく消えるんだな」
やや嫌な予感を感じつつも、おひさしに警告。
すると悔しそうに歯を噛みしめていたおひさしは、愉快と言わんばかりに大笑いし始めた。
「くははははっ! 何だ貴様!? この娘が心配なのか!? 無駄よ、無駄無駄!儂はこの娘と繋がった! 儂を殺したければこの娘ごと殺せ!! できるものならなぁ!!」
「あ? ちっ……てめぇ……」
今すぐこのおひさしとか言う奴を殺したいと思うものの、そうするとサナが死ぬ。
突然の状況にまだ混乱しているが、かなりムカつく状況になっているのは理解した。
「……ムゥ、なんとかできねえか?」
一縷の望みをかけて、俺はムゥに尋ねる。
魔法の鬼才である彼女なら何か良い案を知らないか。
そう思ったものの、ムゥは目を伏せて首を横に振った。
「しらない」
「……そうか」
ムゥがだめなら、とりあえず色々するしかない。
知っている限りの聖魔法や回復魔法をおひさしにかける。
それで何とかなれば良いと、そう思ったが。
「無駄よ! 諦めよ! この娘を殺すか? それとも儂を逃がすか!? はははははっ! 早く選べ! 選べぇ!!」
「うるせえ! 黙ってろ!」
おひさしに叫び、俺は知る限りの策を講じる。
ムゥも魔法をかけてくれるが、一向に効果はない。
サナの身体はおひさしに囚われたままだ。
「分かったか? 分かったかぁ!? 儂をこの娘から離すことは不可能! 不可能なのよ! くははははははっ!!!」
「っ……てめぇ……がたがたとうるせえ。……せいぜい吠えてろ」
それならとりあえず身柄を拘束して、その後でどうするか考えるだけだ。
そう心に決めたとき。
視界に白が映った。
おひさしにすっと近づいたのは、これまで成り行きを見守っていたイヴだった。
彼女はおひさしの頭のすぐ近くに立ち、まっすぐに見下ろしている。
これまでにないほど無機質な瞳で、見ていた。
「……イヴ?」
声をかけたとき。
――カチリッ
音を聞いた。スイッチが切り替わるような音を確かに耳にした。
刹那、イヴの身体が白い光を生じる。
彼女は右手を前に、おひさしを冷たい瞳でじっと見つめ。
「切り離し、閉じる」
そう、何の感情もこもっていない声で呟いた。
白い光の風が、おひさしに殺到する。
「……??……っ!!?? なっ! な、なんだこれは!? やめろっ! やめろぉっ!! ふざけっ、この身体は儂のものだ! 儂が見出したものだ! よせっ、やめろぉっ! よせええええええぇぇぇっ!!!」
絶叫。
断末魔の叫びともとれるような大声が響き。
おひさしの、いやサナの身体から黒い靄が生じた。
それはサナのすぐ隣に集まり、気味の悪い矮小な化け物の形を作る。
声でない鳴き声を発し、目にもとまらぬ速度で遠くへと逃げる化け物。
「ムゥ!!」
それを追おうとして、けれど思った以上に速いことを悟り、すぐムゥに頼んだ。
刀が手元にあれば自分で何とかするが、今はない。
それでもムゥなら何とか出来るはずだ。
「ん、んむっ!?」
けれどすぐに聞こえたのはムゥの戸惑う声。
振り返ると、ムゥの上にイヴが覆いかぶさるように倒れていた。
「イヴ!? おいイヴ!」
「むー!」
体格差のあるイヴに押し倒されている形になっているムゥは藻掻くものの、抜け出すことはできない。
俺は膝をついて、イヴの肩を揺らした。
サナだけじゃなくてイヴも変になっちまったのか。
そんな最悪の状況が頭を過る。
「ん……」
けれどイヴは、少し眉を動かした後で瞼を開いた。
そこから覗きこんだ瞳はいつもの彼女のもので。
「あれ? 私、なんで……」
「イヴ……良かった。急に倒れるからどうしたかと思ったぜ」
「むぅ!」
「わっ!」
抗議の声を聞いて、その場から退くイヴ。
下敷きになっていたムゥは息を大きく吸い、声の限りに叫ぶ。
「重い!」
「……ちょっとムゥ、なんてこと言うのよ」
「事実!」
「なっ……あ、あなたねぇ……」
ふるふると震えるイヴを見て、体格差があるんだから仕方がないだろと、一瞬思って。
「っ、サナ! サナ!」
すぐにサナのことを思い出し、もう一人の倒れた少女に声をかける。
その身体を仰向けにすれば、上下に動く胸を見て、まだ生きていることを知った。
ほっと一息つく。どうやら眠っているだけらしい。
「……な、なんだこれは……一体何が……」
声を聞いて、そちらを向いた。
穴の開いた校舎から目を丸くしたアガートさんが俺たちを心配そうに見つめていた。




