第78話 サナが居る日々
俺の家では、サナは家事に精を出した。
彼女は持ち前の明るさでイヴやムゥにも受け入れられている。
「サナ、料理、上手」
「まだ少ししか教えていないのに、教えた分は完璧ですね」
「あ、ありがとうございます!」
今日は久しぶりの休日ということで、昼食をサナが作っていた。
今回の献立はさっぱりをテーマに、野菜をふんだんに使った特製冷やしスープ。
ハーブの香りも効いていて、食欲をそそる。
味付けも濃すぎず、薄すぎず、パンを浸しても合う優れものだ。
そこまで手間は掛かっていない、とサナは言うが、これまで料理未経験だったとは到底思えない。
「……ムゥに爪の垢でも煎じて飲ませてやりてえ」
「失礼、作れる」
「えっと……ムゥ先生の料理、食べてみたいです」
ムゥの不満の声に空気を読んだのか、サナがおずおずとそう言った。
すると隣に座っていたイヴがその手を掴んで首を横に振る。
「サナ……気持ちだけで十分よ。人には、越えられない壁があるの」
そう……一つは成長限界。そしてもう一つはムゥの料理……っておい。
「で、ですがたまたま先生とイヴ先生のお口に合わなかっただけかもしれません。わたくしの口にならひょっとしたら……もしダメでも、そこから改善できるかもしれませんし……」
「サナ、良い子。夜作る」
「やめろ、夜中にやってくれ」
あと食材はこのあと街に行って一緒に買って来いよ、と念を押しておいた。
ムゥにはジト目で見られたものの、俺はそれを無視して、サナに心の中で黙とうした。
後ほどムゥはサナを連れて街へ行き、食材を購入していた。
サナもサナで街を楽しんだらしく、帰ってきたときには楽しかったと笑顔を浮かべていた。
そして今、そのサナは引きつった笑顔を浮かべている。
夜も暮れる頃、そろそろ寝るかと最後に軽く水を飲もうと思い居間に向かうと、明かりがついていた。
中に入ってみると、その中にはムゥとサナの後ろ姿があった。
「おい?」
声をかけてみるも、返答はない。
近づいてみるも、サナは引きつった笑顔を浮かべている……いや、そもそも上手く笑えていない。
そしてムゥは、何やらどす黒い色をしたスープをお玉でかき回していた。
「ど、どうして……」
泣きそうな声で呟くサナを、流石に不憫だと思った。
「サナ……」
「先生……わたくし、分かりません。野菜は野菜、果物は果物であっていますよね?」
「ああ、合っている。合っているぞ」
「わたくし、何度も止めたんですよ? ムゥ先生、それは果物で野菜ではないですよと。けれどムゥ先生は、これがいいと聞かなくて……」
「ああ、聞かないよな。本当、料理に関してはマジで話聞かないよなこのクソガキ」
昔を思い出して遠い目をする。
あぁ、そういえばあの日も、俺の言いつけをガン無視してオリジナル料理……いや、オリジナルな何かを作り出していた。
懐かしいなぁ……別にしみじみともしないが。
「しかも……しかもムゥ先生は味見が大事だとスープをわたくしに渡してきて、ほんの少しでしたが、今でも舌が……舌がひりひりと……」
「ああ、しかもこいつはケロッとした顔で味見するからな」
「ど、どうしてなのですか? なぜムゥ先生は平気なのですか? わたくしには全く分かりません。助けてください先生」
「サナ、よく覚えておけ。世の中には理解不能な奴がいるんだ」
ムゥの手元の鍋から視線を外してそう答える。
そして頭に思い浮かぶ理解不能な連中を列挙した。
「例えば一日で部屋や家を作る大工様や、剣や魔法も使いこなせる奴、そして最たるものが、この理解不能な舌を持つ奴だ」
そう考えると俺の周り、理解不能な奴ら多すぎない?
と思った時。
「あ、エンデー」
その理解不能なクソガキに、気づかれた。
「見て、できた」
「おー、すげえな。でもそれ、できたとは言わねえんだ。お前、やっぱりこれから先厨房出禁な。そのスープはちゃんと自分で責任を持って食べるように?」
「……異議あり」
「ダメだ。多数決だ。俺とイヴは反対」
いちいちイヴを起こして聞くまでもない。
イヴが俺側に着くことを考慮に入れなくても、普通の感性の奴なら反対だ。
けれどクソガキは、まだ諦めていないようで。
「こっち、私、サナ、これで2」
「ごめんなさいムゥ先生……わたくしには……わたくしには首を縦に振ることなど……」
「う、裏切り!?」
ガーンという効果音が似合いそうなムゥ。
けれどこれで三対一。圧倒的に俺らの数的有利である。
ムゥの厨房使用禁止が決まった瞬間だった。
この日以来、サナはムゥ相手に料理の話を一切しなくなった。
それどころか、食材の話すらしない徹底っぷりだった。
トラウマってああいうのを言うんだろうなと、ちょっと可哀想に思ったりもした。
◆◆◆
サナのトラウマとなったムゥ料理事件から一週間が経った。
サナは相変わらず真面目に勉強に打ち込み、家事もしっかりこなしている。
何事にも全力で取り組み、なんでも吸収しようと思っている様はむしろ微笑ましい。
もちろん、イヴやムゥ、ルイだって真面目な生徒だった。
けれどサナは、それに加えて一生懸命という言葉が似合う。
イヴやムゥが気にかけるのも、なんとなく分かるというものだ。
「先生、失礼します」
「ん? おお、サナか」
部屋へと入ってきたのはサナだった。
彼女は掃除用具を持っていて、どうやら家を掃除してくれているらしい。
「休日なのに、任せて悪いな」
「いえ、先生達はお忙しいですから……わたくしにできることはなんでも致します」
ニコニコとした笑顔で散らかった部屋を片付けてくれるサナ。
その後ろ姿を見て、世間話でもしようと声をかけた。
「他の部屋も片付けたのか?」
「はい、イヴ先生とムゥ先生の部屋を」
「あー、ムゥの部屋は散らかってただろ」
そう言うと、本棚に本を戻したサナは困ったように笑った。
「正直、かなり。ですが片付け甲斐のある部屋でした。逆にイヴ先生の部屋は綺麗に整頓されていて、片付けるものもほとんどありませんでした」
「だいぶ対照的だよな、あの二人も」
ムゥは片づけが面倒なタイプ。一方でイヴは身の回りが完璧なタイプだ。
「先生、こちらはまだお使いになられますか?」
「あ? ああ、置いといてくれ」
「はい」
サナに応えると、彼女はてきぱきと本を本棚へと仕舞っていく。
その動きを見て、あることに気づいた。
(……あ?)
俺が以前置いていた位置に、本を戻している。
現にちょうど今、俺が思っていたところにサナは本を仕舞った。
「おー、すげえ。そこに戻せるのか」
「え? あ、あの先生、なにかまずかったでしょうか?」
「いや、よく本の配置を覚えているなって……俺の部屋、そんなに何回も来たわけじゃねえだろ?」
話をするときに俺がこの部屋に居て、サナが訪れたことは何度かある。
けれど毎回ってわけでもないし、数えるほどの筈だ。
記憶力が良いんだな、と思って褒めると、サナは照れくさそうにはにかむ。
「あ、ああ、そうでしたか。……いえ、なんとなくで完璧には覚えていないのです。でも別の場所に仕舞ってしまうと先生が困ると思います」
「ああ、そうだな。ありがとう」
「い、いえ……そんな……」
てれてれ、という感じで顔をそむけるサナ。
その様子が微笑ましいなと見ていた時。
「っ……」
不意に、サナが胸の前で拳を作った。
本棚に空いている左手を置いて、何かを堪えるように目を瞑っている。
「おい? おいサナ?」
思わず椅子から立ち上がって近づくものの、彼女の息は少し深い。
何をすればいいのか分からなかったが、とりあえず背中を摩ることにした。
もしも痛みが引かなければイヴやムゥ辺りも呼んで、と思った時。
ゆっくりと、皺の寄っていたサナの眉が戻っていく。
どうやら痛みが引いたらしい。
「サナ、大丈夫か。ほら、無理せずここに座れ」
「は、はい……ありがとうございます。すみません……」
ベッドにサナを座らせ、様子を見る。
困ったように笑っているものの、痛みを堪えているような様子はない。
「大丈夫か? 何か必要なものがあれば、持ってくるが……」
「いえ大丈夫です。ちょっと変な感じだっただけですので……」
「その胸の痛み、いつからなんだ?」
尋ねてみるとサナは少しだけ目を見開いたものの、すぐに答えてくれた。
「物心ついた頃から、ですね」
「病気なのか?」
「いえ、お医者様からは特に悪いところはないと……ただ、日ごろから少しざわざわしたものは感じているんです。それが強くなると痛むというか……あぁ、でも痛むと言っても本当に小さくでして……」
「そうなのか……」
医者に見せているなら、とりあえず問題はないということなのだろうか。
あれだけ金払いの良いクジャクミヤ家ならサナを何度も医者に見せているだろうし。
とはいえ少しだけ、嫌な予感がした。
「薬とかないのか?」
「一応発作用の薬はありますが……毎回それを飲む前に痛みが引くので……お医者様も正体不明だと……」
「そ、そうなのか……分からないのか……」
何とかしようとしても出来そうにない。
するとサナは申し訳なさそうに目じりを下げた。
「すみません先生、ご心配をおかけして……」
「いや、そんなことは気にするな」
「はい……あっ、そういえばまだ片づけが途中でした」
「いや、今日はもういいぞ。居間で本でも読みながらゆっくりしててくれ。片づけは俺がやるから……な?」
「…………」
あんな姿を見せられてまだ片づけを頼むほど鬼じゃない。
だからそう言ったが、サナは少しだけ寂しそうな顔をした。
けれど気遣われるのは慣れているのか、すぐに笑顔になり、「ありがとうございます」と言って部屋を出て行く。
まだ散らかっている本を見て、俺はそれらの片付けへと移った。




