第77話 サナの教室での日々
「で、このシエルエイラの北にあるのがマルク・マギカだ。文字で書けるか?」
「はい……えっと……こう、ですか?」
「おお、いいじゃねえか」
サナとの授業は全て座学での進行になった。
イヴやムゥの時は屋外での実戦も経験させていたが、サナには剣も魔法も教えないからだ。
とはいえ、こうして一つのテーブルに向かい合って教えるというのは少し懐かしさを感じた。
「完璧だな……流石、飲み込みが早い」
「ありがとうございます。先生のご指導の賜物です」
サナはその見た目と比例するかのように聡明だった。
一を教えれば十を知る、とまでは言わないものの、しっかりと一を物にしていくタイプ。
最初に教えたこの世界の文字も、ここしばらくの指導の甲斐あって使いこなせていて、彼女の手元にはノートもある。
「マルク・マギカは言ってしまえば魔法が得意な奴らが多い国だ。だからマルク・マギカ魔法国って呼ぶ奴もいるな」
「確か、ムゥ先生もこの国出身でしたよね?」
「そうだ。よく覚えていたな。この国の役割は、冒険者の輩出はもちろん、魔災の対応にある」
「魔災……ですか?」
首を傾げるサナに、俺は尋ねた。
「魔災は知らないか?」
「はい、申し訳ありません……」
「いや、それなら今から知っていけばいい」
まただ、と俺は思った。
サナの知識は、偏っているように感じる。
例えば、魔物という存在は知っていて、国の位置関係も知っている。
けれど魔災や各国がどのような役割を世界的に果たしているかの知識がない。
それが俺には、まだ導入を学んだだけ、というよりも意図的に知識の穴を作り出しているような気がしてならなかった。
とはいえサナが悪いわけでもないから、どうすることもできないが。
「魔災っていうのは、天から降る危ない光みたいなもんだ。それが地面に落ちて、広範囲を吹き飛ばす。規模はその都度違うが、大きなものだと街一つを余裕で吹っ飛ばすほどだ」
「……そ、そのような恐ろしいものが……」
「といっても、魔災は本当にたまにしか降らねえがな。だからそいつを防ぐために、マルク・マギカは魔災の降る場所に行って、何十人、何百人で防御魔法や結界魔法を使って被害を最小限に抑えるんだ」
「なるほど……わたくし達が無事なのは、マルク・マギカの皆様のおかげなのですね」
サラサラとペンを動かし、ノートに書き込んでいくサナ。
最初はペンの持ち方も教えたな、なんてことを思い出しながら、その成長に喜ぶ。
ここに来てから時間が経ったが、読み書きについては概ね順調だし、常識的な知識についてもそのうち教え終わるだろう。
家ではイヴが料理を、ムゥが掃除や洗濯を教えているし、タケルさんの要望を叶えるのは難しくなさそうだ。
(……これであんだけの金が貰えるなんてな)
嬉しくはあるが、なんというか微妙な気持ちだ。
もちろん貰えるもんは貰うが、仕事量と報酬が良い意味で釣り合っていないというか。
いや、貰うもんは貰うけど。
「まあ、俺はやることやるだけか。……でだな、マルク・マギカ国を治めるのが女王と呼ばれる――」
その後、時間をかけてマルク・マギカ国について基本的なことを説明した。
長たるレヴィ女王や、ムゥが所属していた魔塔、北西にある絶海に面する四大魔境の一つ、「氷結の大地」についても説明した。
その間、サナはとても真剣に耳を傾けていて、熱心にペンを動かしていた。
最初に教えたときからずっとそうだが、サナはとても真面目で熱心な生徒だ。
集中力を切らすことなく、全身全霊で俺の授業に向き合ってくれる。
まるでそうすることが使命であるかのように。
「……とまあ、今日はここら辺にするか。シエルエイラとマルク・マギカについて説明したし、明日はアーセラスとお前の出身国であるセイランを説明する」
「はい、ありがとうございました」
「どうする? 先に帰ってるなら鍵を渡すが」
そう尋ねてみると、サナは少しだけ逡巡する様子を見せた。
「いえ、今日も先生達を待っています。他の学生の皆さんとも仲良くなったので、少しお話してきますね……あ」
丁度そのタイミングでムゥの授業が終わったらしく、扉の開く音が響いた。
サナは嬉しそうな顔をして教室を飛び出す。
それを苦笑いで見送り、俺も教室を出て控室へ向かった。
廊下に出てムゥの教室を見てみれば、もうサナは教室の中に入っていて、一人の女子生徒の話を熱心に聞いていた。
あれは確か、シンシアか。
「私もライオット教授から聞いた話だけど、試験の時のムゥ先生は雷の魔法を使ったみたいなの。『トールハンマー』って名前で、空を裂いて雷が降ったって! まるで神様のお怒りみたいだったそうよ!」
「ム、ムゥ先生の魔法はすごい威力なのですね……」
「そうよ、なんたってムゥ先生だから!」
なんだあれ、新手の宗教か。
あれを聞いているムゥはさぞかし悶絶しているだろうと思って小柄な姿を探したが、見つからない。
おや? と思って控室の方を見てみれば、そちらにムゥは居た。
「早いなムゥ。授業終わったばかりだろ」
「…………」
俺をジト目で見て、ふいっと目を逸らすムゥ。
あれはきっとシンシアの新興宗教が毎日繰り返されるから避難している、察しろ馬鹿エンデーというところだろう。
扉を閉め、俺も自分の椅子に移動。
そしてムゥから受け取った生徒の資料に目を通し始めた。
何も言わず無言でそれに目を通していると、外が少し騒がしくなったのを聞く。
(? なんだ?)
念のためにムゥの方を見たが、彼女は彼女で何か魔法式の改良に勤しんでいるらしく、集中していた。
当然、音を気にするような様子もない。
そんなムゥは置いておいて、確認をしようと席を立ったところでざわつきが収まっていく。
静かないつも通りの校舎になったことで部屋を出る理由がなくなって、椅子に座りなおした。
と同時、心地の良い扉のスライド音が耳に入る。
部屋に入ってきたのは、イヴだった。
「少し騒がしかったが、何かあったか?」
「あぁ、先生。そこを通りかかったときにサナが胸の痛みを訴えていたので、それで少し」
「痛み? 大丈夫なのか?」
タケルさんからは聞いていないし、昨日までにそんな様子はなかった。
「回復魔法をかけたら和らいだようです。サナに聞いたところ、昔からよくあることらしく……彼女は環境が変わったからだと言っていましたが」
「ああ、そういうのはあるかもな……」
これまで箱入り娘だったのに、急に外の世界へ来たんだ。
本人が気づいていないだけで、ストレスもあったのかもしれない。
「最終的にはケロッとしていましたが、念のために様子を見ますね。あまりにも酷いようならまた報告します」
「ああ、頼む……というか……」
「?」
目の前に立つイヴの姿を見て、こいつも随分変わったなと思う。
「もうすっかりお姉さんだな。生徒からの評判もいいし、サナのこともここまで気にかけてくれるなんてよ」
「……ふふっ」
褒めたつもりが、花のような笑顔で返されてしまった。
手を後ろに持っていき、少しだけ前傾姿勢で嬉しそうに。
「先生の教え子ですから」
そう言って、イヴは自分の席へと向かっていってしまった。
「??」
よく分からなかったが、奏でられた上機嫌な彼女の鼻歌が耳に残った。




