第483話 サナは父の気持ちに気づく
「ほっ、ほっ、ほっ、ほっ」
小さく息を吐きながら走り、見えてきた学園を視界に捉えます。
お父様から依頼された魔物狩りは、いつものように何の問題もなく終わりました。
ですが先ほどの豪雨の影響で地面はぬかるみ、さらに一度は止んだものの、わたくしが魔物を狩っている途中で再び雨が降ってきたので、体は濡れてしまいました。
豪雨と呼べるほどではなかったのですが、服が雨で肌に張り付いて、少し気持ちが悪いですね。
「うー……学園に戻ったらシャワーを浴びましょう……イヴさんやムゥさんのように魔法が使えればこんなことには……」
シエラさんやロードさんもそうですが、わたくし以外の方々は魔法が使えるので、雨を防ぐために全身を風の魔法で包んだり、上空を幕で覆うことで小さな屋根を作ることもできます。
便利で羨ましくはありますが、そんな高等技術ができるのはイヴさん達だけ。
わたくしやお父様にはできません。つまりわたくしとお父様は同じなのです。えへへ。
「というよりも、雨をえいっ、と避け続ければ濡れないのでは……? あ、ですが、ものすごく疲れるので汗をかいてしまいますし、流石にいつまでもは避けられませんね」
独り言を呟きながら、校舎へ到着。
びしょ濡れのわたくしに驚く生徒達に苦笑いをしつつ挨拶をしながら、校舎の廊下を歩きます。
すると魔法職員室の扉がスライドして開き、中からちょうどムゥさんが出てきました。
「あ……サナ」
「ムゥさん、お疲れ様です」
「びしょ濡れ」
「ええ、ちょうど降られてしまいまして。大丈夫なタイミングを見計らったんですが、失敗しました。今からシャワーを浴びてくる予定です」
「……そう」
会話をした後で、じーっとわたくしの一部分を見つめるムゥさん。
目に光はなく、睨んでいるように思われました。
「早く、行く」
「? はい」
「けっ」
そっぽを向くように教室の方へ向かってしまうムゥさん。
何かしたのでしょうか? よく分かりませんが、後で抱き枕になってもらい、機嫌を直してもらいましょう。
ムゥさんが閉じる教室の扉の音を聞きながら、階段を上がります。
二階を経て三階に上がると人の気配は急になくなり、静かな階へと出ました。
三階は言ってしまえばお父様の階。生徒の姿はなく、教師もお父様かあるいは資料保管室に用事がある人しか来ません。
あとはわたくしと同じようにシャワー室を使う人くらいでしょうか。
使い慣れた女性用シャワー室に入り、一息つく間も無く服を脱ぎます。
身につけた刀を棚に置き、上着も下着も全て脱いで籠に入れました。
「うぅ……気持ち悪さからは解放されましたが、ちょっと寒いですね」
わたくしは人よりも数十倍は体が頑丈ですが、それでも寒さは感じるものです。
こんなことで風邪は引かないのですが。
扉を開けて、シャワーブースへと移動します。
すぐに雨を流したかったので、一番近いブースへ。
そこに入り、シャワーを起動すれば、温かいお湯が体に降り注ぎました。
「ふぅ……生き返ります……」
お湯が雨を洗い流し、身体の芯から温めてくださいます。
最も生き返る瞬間は家でのお風呂ですが、学園でのシャワーも気持ちが良いですね。
雨で濡れていたのと魔物狩りで疲れていたから、というのもあるかもしれません。
体をさっと洗ってしまい、続いて雨を吸ったであろう長い髪を泡立てます。
わたくしは体がやや大きく、さらには髪も長いのでちょっと時間がかかってしまいます。
「ですが綺麗であるのはお父様の娘として当然の義務。それに、体や髪を洗うことは好きですから」
ポツリと独り言を呟くと、頭の中に声が響きました。
『……いつ見ても、あんたはすごい体してるわね』
「わぁっ!? び、びっくりしました……急に驚かさないでください、ランちゃん」
『いや、私達から声をかけるなんて普通のことでしょ。……っていうか、よく私って分かったわね。スズと声が同じはずなのに』
「分かりますよ。細かいところが違いますから」
『へえー。じゃあ今度スズのフリして、テストしてあげるわ』
『ラン、私で遊ばないでよー』
頭の中でスズちゃんとランちゃんの喧嘩する声が響きます。
それを微笑ましく聞いていると、不意にため息が聞こえました。
『でもランのいう通り、サナちゃんはお姉ちゃんっぽい体で羨ましいなぁ……私たちはずっと子供のままだし』
『ただ、サナの視界を借りるのは楽しいのよね。見下ろすと床が見えないとか、サナの体じゃないと体験できないし』
「あの……わたくしの体で遊ぶのはやめてください」
スズちゃんと同じようなことを呟くと、頭の中でくすくすと笑い声が響きます。
全くもう、お調子者の子供達なんですから。
「浴び終わったので、もう戻りますよ」
『わぁ! 見て見てラン! バスタオルで胸が……胸がっ!』
『ひゃー、すっごいわねえ』
「もう目を瞑ります」
『あー、ズルいー!』
『目を開けないと危ないわよ、サナ』
「いえいえ、わたくし、五感も優れているので、余裕です。……あ、痛っ」
脱衣所に続く扉に軽く頭をぶつけましたが、わたくしは目を瞑っても問題ないのです。
扉を開けば、視界を封じているからか冷たい空気を肌で感じました。
いつもの場所に移動し、体や髪を拭いて、一息。
そして自身の体を見ないようにして、用意されていた着替えに身を包みました。
『うぅ……最後まで見れなかった……』
『いつもは怪力の癖に、細かい動きもできるんだから……』
スズちゃんとランちゃんの恨めしい声を聞き流しつつ、バスタオルを片付けようとした時。
「……ん?」
ふと、ある気配を感じました。誰かが、この脱衣所を使った痕跡があります。
一人なら、思いつく子がいます。お父様の今の教え子、リアさん。
ちょうど大雨が降っていたので濡れてしまい、わたくしと同じようにシャワーを浴びたのでしょう。
ですが……。
「……二人?」
感じ取った形跡は二つ。リアさんだけでは数が合いません。
それは、つまり。
「…………」
『……あ、ラン、ちょっと私たち、向こうに行ってようか』
『そ、そうね……じゃ、じゃあね、サナ』
「……ええ」
頭の中で遠ざかる二人を感じつつ、次の瞬間にはわたくしはシャワー室の脱衣所から飛び出していました。
向かう先は廊下の最奥。校長室。素早く移動し、扉をノックすれば、『開いてるぞ』という声。
扉を開ければ、そこには執務机に向かうお父様。
「お父様--」
お話があります。と続けるはずでした。しかし。
「あぁ、ちょうど良かった。お前に頼みたいことがあったんだ」
心の底から安堵した様子のお父様に、言おうとした言葉は引っ込みます。
お父様、どこか疲れているような?
「なんでしょうか? 何なりとお申し付けください。お父様の願いならば、どんなことでも」
「そんな大きな事じゃねえよ。ただ家で、リアを引き続き面倒を見て欲しくてな。なるべく声をかけて、気にかけてやってくれ」
「? は、はい、分かりました」
「頼む。こいつはお前にしか頼めねえからよ」
「っ……は、はいっ!」
な、なんという事でしょう。お父様がわたくしを求めてくださっている。
これほど嬉しいことがあるでしょうか。
しかもお前だけということは、イヴさんではなく、わたくしだけ、ということ。
尽くせること、そしてちょっとした優越感を感じて嬉しくなります。
(ですが……このタイミングでのお父様からの依頼……リアさんとの授業で、何かあったということでしょう)
伊達に長らくお父様の娘をやっていませんから、分かります。
きっとお父様はリアさんの問題に触れて、それをなんとかしようとしている。
「それで、何か用事があったのか?」
「あ、いえ……魔物狩りが終わったので、その報告に」
「おお、ありがとな。……後でイヴにも話すつもりなんだが、リアとの授業から魔物狩りの頻度を減らそうと思っていてな。ひょっとしたらお前達の負担が増すかもしれねえ」
「分かりました。お父様は心配なさらないでください。わたくし達は誰も気にしませんし、むしろ喜んでお力になりますから」
「助かる……ああ、あと、今日少し離れた場所で不思議な魔物を見たんだ。全体的に黒くて、全身を硬い殻で覆ってる。二足歩行で右手がデカくて、棘が生えてた。多分新種だと思うから、見かけて倒したら報告してくれ。もし強かったら無理せず逃げて、応援を要請してくれな」
「? はい、分かりました」
一応魔物狩りでいつもと違うことが起きた場合は報告しているのですが、お父様から言いつけられたのは初めてですね。
「では、失礼します」
「ああ、お疲れさん」
「お父様も、あまり無理をなさらずに」
「ああ、そうだな」
お辞儀をして、校長室を後にします。
廊下を歩きながら、シャワー室の方に一瞬だけ視線を向けました。
(……今回のシャワー室の件に関しては、誰にも言わないでおきましょう。お父様も大変そうですし、親孝行ができるということで、わたくしも、とても嬉しい気持ちでしたから)
上機嫌で、わたくしは階段を降りていくのでした。




