第480話 絶望の未来の、話
校長室に、激しい雨音だけが響く。
篠突く……と言えるほどの音を聞きつつも、俺とリアの間には沈黙が流れていた。
じっと……彼女が口を開くのを待つ。待ち続ける。
「……私は……今から数年後の未来から来ました。正確に何年後なのかは分かりません」
「どういうことだ?」
数十年や数百年ならともかく、数年で時間の差が分からなくなるのだろうか?
そう思い尋ねると、リアは静かに目を瞑り、小さく口を開いた。
「師匠が転生魔法を使用したときには、私がいた世界が何年なのかはもう分かる状態ではありませんでしたから」
「…………」
絶句した。もちろん、リアの言うことを信じてはいた。
こんな魔法や魔物がある世界だし、未来から来たというのもあり得る話だ。
俺自身、転生者なわけだし。けれど『転生魔法』と来たか。
「……念のために確認するが……その、師匠ってのは……」
「今、学園で授業をしている、ムゥ先生です」
「……そう……か」
現状、『転生魔法』が使えるのはムゥだけ。
そしてそのことを知っているのは俺やイヴを始めとする家に住んでいるメンバーだけだ。
リアは家に住んでいるが、彼女に話したことはない。イヴ達も話していないだろう。
つまりリアは本当に、ムゥの魔法で未来から現在へと戻ってきた、ということか。
というか転生で未来に行くだけじゃなくて、過去にも行けるとは。
改めてムゥの規格外さを知ったが、それと同時に、なぜ彼女がそこまでしたのか、嫌な予感がした。
「私は師匠の魔法で過去……いえ、今へと魂を飛ばされ、この時間軸の私と融合しました。先生と授業をした際に髪を切っていた日がありましたが、あの二日前のことです」
「……つまり急に真面目になったと思ったあの日の時点で、お前は心を入れ替えたんじゃなくて、本当に心が変わってたんだな」
「そうなります」
そこまで話してから、リアは自分の胸をゆっくりと左手で押さえた。
逡巡すること数秒。何度も痛みを堪える表情を見せた後で、リアは口を開く。
「仮にこの世界を先生の世界、私が元いた未来を私の世界と呼称します。私の世界で一体何が起こったのか……まず、私の世界ではずっとリア・レリーフはお調子者で、ぐうたらで、才能にあぐらをかく、どうしようもない愚か者でした」
『どうしようもない愚か者』。あまりにも強い言葉に、息を呑んだ。
リアの目は怒りに満ちているが、それが向いているのが彼女自身であると悟った。
「私は先生に注意されて少し反省はしたものの、相変わらず適当にやり過ごし、やる気が起こらない、の一言で全てを片付けました。短剣は宿題をやらなくなり、遅刻は常に。先生から叱られたのも一度や二度ではありません。今だから分かりますが、私は……先生に甘えていたんです。いえむしろ甘えて、先生のことを舐めてすらいた……とんでもない馬鹿です」
「…………」
「そして……運命の日。愚かな私は先生と共に魔物狩りに出かけます。そこでも私は調子に乗り、魔物をハイペースで狩り、奥まで行って……行って……」
強く胸元を握りしめ、何かを堪えるような仕草を見せるリア。
その手は震えていて、けれど彼女は話すのを決して止めなかった。
「奥地で、新種の魔物に出会いました。二足歩行で棘の生えた大きな右腕を持ち、体中を硬い殻で包んだ巨大な黒い魔物。漆黒の靄のようなものを纏っていて、他とは違う雰囲気でした」
「…………」
リアから語られた情報から姿を想像するが、俺の記憶の中には該当する魔物がいない。
新種の魔物、ということか。
「先生は、私に逃げろと言いました。けれど愚かな私はそれを聞かずに魔物に挑み……窮地に陥りました。調子に乗った冒険者の末路なんて、たかが知れています。場所がシエルエイラの片田舎だからこそ、よく知っている土地だからこそ、普段出会う魔物が圧倒的に格下だからこそ、愚かな私は本当に愚か者であると、大怪我をして地面を転がって、初めて知ったのです」
話は次のフェーズへ。リアは俯いたままで、滔滔と話し続ける。
抑揚はなく、ただ経験したことを話しているだけ。
いや、そうしなければ心が壊れるからだろう。それは、きっと。
「その後、先生が助けてくれました。けれど先生でも件の魔物の相手に苦戦し……最後には……あ……あっ……」
「……相打ちか」
聞かされる、自分の死。衝撃を受けたが、正直それどころではない。
ただ事実を話し続けるリアから、目が離せない。
唇を強く噛んだリアは数回息をする。必死に、気持ちを落ち着かせているようだった。
「……何度も呼びかけて、何度も回復魔法をかけましたが……先生が……先生が目を覚ます……ことは……な、なくて……それでも、学園に戻れば……まだ、まだなんとかなると……」
確信がある。話は、まだこれでは終わらないと。
「……異変に気付いたのか、学園の先生達が駆けつけてくださいました。シエラ先生、サナさん、師匠……そして、イヴ……先生……」
リアの身体の震えが、大きくなる。
俯きつつも唇は真っ青で、強い恐怖を抱いているのを示していた。
「助かると……これで……大丈夫だって、思ったんです。……先生は死なない。死なないって……シエラ先生が、師匠が……手を、手を尽くして……もう、ダメ……って、言うまで……は」
「落ち着けリア。俺はここにいる。生きてる」
大丈夫だと、彼女の手をテーブル越しに取った。
そんな俺の手に、彼女は恐る恐る、そこに在るだけで感極まっているように、震えた自身の手を重ねた。
「はっ……はっ……はっ……はぁー……っ……はぁ……はぁっ……」
「大丈夫だから」
半ば過呼吸になっているリアに語りかけることで、次第に彼女は落ち着きを取り戻す。
呼吸が、普通のものへと戻ってくる。
しばらくして彼女の呼吸はいつも通り穏やかなものに戻り。
「イヴ先生が……変わりました」
衝撃を、告げた。
「何かを呟いた後で、イヴ先生はイヴ先生ではなくなりました。全てを破壊する、まるで凶悪な魔物のような……いえ、それ以上のものに、変わってしまったんです。……私が……私……がっ……変えて……しまったんです」
「イ、イヴが?」
思わず聞き返す。あのイヴの変わりようを聞いて、到底信じられなかった。
けれどリアの体は相変わらず震えていて、それが真実だと物語っている。
「空虚な瞳で、話も通じず……世界を破壊する……存在。私はサナさんに連れられて、師匠と共に逃げました。……シエラ先生が残りましたが、彼女は……そのまま……」
「ま、待て待て……イヴとシエラの実力はほぼ拮抗している筈だ。いくらイヴが変になったとはいえ、サナやムゥもいて止められない訳が--」
「あの白い光の前では、全てが無力でした。……サナさんの剣技も、師匠の魔法も、シエラさんの派生技も」
「----」
知っている。リアは全部知っている。ムゥの『転生魔法』もイヴの『白い光』も。
本当に全部、経験してきたから。
「……そう……か」
そして俺も知っている。イヴが白い光を纏ったときの強さを。
普段の彼女とは明らかに違う、それこそ格を、次元を一つ上がったであろう力。
サナとおひさしの連結を解除するのみならず、『厄災の巨獣』を一撃で葬り去る力。
あのイヴが相手なら、シエラやサナ、ムゥでも……流石に……。
「……それから、私たちは逃げました。世界を壊しつつ追ってくるイヴ先生から。……ここからは風の噂で聞いた話ですが、イヴ先生は世界各国から脅威として指定を受け、何度も討伐隊を組まれたそうです……ですが、イヴ先生はそれらを……全て……」
「止められるわけ……ねえか」
勇者や準勇者を始めとして多くの英雄や天才を見てきた自負はあるが、その中でも白い光を纏ったイヴの力は理解の外側にいる。
どれだけ戦力を集めようと、倒すのも止めるのも、きっと無理だ。
「……お前達は、そんなイヴから逃げられたのか?」
「毎回ギリギリでしたが、逃げられは……しました。……シエラ先生が、命と引き換えに……イヴ先生の片腕を……斬ってくれたので」
「そう……か……」
あの白い光のイヴ相手に戦い、片腕を持っていく……シエラじゃないとできないことだ。
けれどそれでも、イヴはムゥやサナを追い詰めた。止まらなかった。
そして、そんなイヴから逃げ続けたリア達。
光景を思い浮かべて、思ったことはただ一つ。あまりにも……壮絶だ。
俺は俯き、ゆっくりと言葉を紡ぐことしかできなかった。
「逃げて逃げて……そりゃあ……どれくらいの時間が経ったかとか……分かんねえよな」
「……はい。シエルエイラ国を徒歩で逃げて、マルク・マギカにまで逃げて。その途中で……多くの……本当に多くの領地や街が滅びました。……シエルエイラ国は国として機能しなくなり……マルク・マギカも、機能不全に……」
「その逃亡生活の中でお前の姿も性格も……変わっちまったってことか」
「生き残るために、おしゃれなんてしている場合じゃありませんでした」
無理もない話だ、と理解し、拳を強く握る。
リアが経験してきたことは、地獄なんて二文字じゃ生ぬるい。
「……師匠はずっと考えていたんだと思います。崩壊した世界を元に戻す方法を……かつての幸せを取り戻す方法を……本当にずっと……私達と会話をほとんどしないくらい……」
「それが、『転生魔法』か」
一回だけ、リアが頷く。
「戻る直前に説明を受けました。もう私達は、イヴ先生から逃げられない。だから『転生魔法』を使う。未来に魂を送れるなら過去にだって送れる。けれど師匠は自分自身は無理だから……だから私を送り出したんです」
「……『転生魔法』は一度使ったやつはもう使えない、から」
かつてのムゥの説明を思い出す。
ムゥは魂に方向性が付与されるから、二度は使えないと言っていた。
当然これも、リアに話していないことだ。
「……サナさんは最後に時間を稼ぐために、洞窟から出て行きました。師匠は『転生魔法』を……全ての魔力と、自分の存在そのものを引き換えにして私に施しました。……こうして……こうして、私は……あらゆる人を巻き込んで……戻ったんです。戻ってきたんです」
震えが、止まる。俺の手を掴んでいたリアの手の力が、強くなる。
顔を上げたので、目がリアと合った。決意に満ちた目が、強すぎる目が、そこにはあった。
「絶対に先生を死なせない。何をしても、あの死を回避してみせる」
「……お……前」
「それが全てを終わらせてしまった私がしなくてはならない、使命なんです」
その発言を終えた瞬間に、一度だけ眩い光が視界に映り、続いて大きな雷音が響いた。




