第479話 水音は強く、響き渡る
「…………」
水が落ちる音が、室内に響き渡る。
学園の校舎三階のシャワー室。そこで俺は、雨を洗い流していた。
「…………」
どうも慣れない。
学園でシャワーを浴びることはこれまでも何度かあった。
けれど『女性用』シャワー室で浴びるのは初めてだからだ。
勘違いして欲しくないのだが、俺はこのシャワー室に間違えて入ったわけでも、入りたくて入ったわけでもない。
「先生、いらっしゃいますか?」
「……いるぞ」
隣でシャワーを浴びているリアに、泣いて懇願されたからだ。
彼女の衝撃の告白の後に、俺はリアを連れて校舎へと戻った。
とてもリアを振り切って魔物狩りをするような気持ちにはなれなかったからだ。
とはいえすでに雨は降っていて、俺たちはびしょ濡れ。
なので雨を洗い流そうとしたのだが。
『お願いです……一緒に……一緒にいてください……』
シャワー室前でリアに服を掴まれ、離してくれなかった。
何度か言葉を交わしたものの、リアの意志は鋼のように固く、決してこの手は離れないんだろう、と思い、仕方なく折れたのだ。
(……イヴ達にバレたら何を言われるか。怒られる……とまではいかないと思うが……)
シャワーを止め、体を拭き、ブースから外に出る。
待っていて欲しい、と言われたために、仕切りの壁に背を預けてリアのいるブースの方には目を向けないようにしつつ、腕を組んで目を瞑った。
今日の魔物狩りの代理は、物理職員室にいたサナに頼んだ。
たまたま授業が少なく、頼んでも快く引き受けてくれそうな人員という意味では最適だった。
サナは雨に濡れた俺たちに驚いてはいたが、『お任せくださいっ!』と言っていたので、きっと大丈夫だろう。
(……それよりも、今はリアの方か)
そう思ったとき、シャワーの音が止んでリアが動く音が耳に響く。
布が擦れる音を無心で聞き流しつつ、待つこと数十秒。ブースの扉が開いた。
「……いる……いる……」
「…………」
触れられる感触に体の向きを変えれば、当然リアが視界に入る。
体にバスタオルを巻いている女性が目の前にいるのは、男性からすると魅力的に映るシチュエーションかもしれない。
けれどリアは目の前の俺という存在を確かめるように、俺の腕を何度も握っている。
それが、彼女が校庭で告げた発言が真実だと示していた。
「着替えるぞ」
そう言って、リアを伴ってシャワー室から脱衣所へと移動する。
リアからは背を向けて、用意した着替えに袖を通し始めた。
「…………」
「…………」
背中を向けているためにリアの様子は分からないが、視線は感じていた。
俺がここにいることを確かめる視線は、先ほどから何度もだ。
(……雨に濡れた服は男性用のシャワー室に置いといて……この後は校長室に移動して、リアから話を聞いて……って感じか)
このあと何をするかを考えることで、気を紛らわす。
リアの校庭での発言をはじめとして気になることが多すぎて、そうでもしないと落ち着かなかった。
着替えた後でまた少し待てば、リアも着替え終わったのか布擦れの音が止む。
ゆっくりと振り返れば、予想通りに着替え終わったリアの姿があった。
ただその髪は、未だに濡れていたが。
「……はぁ」
どうやらリアは自分のことに気が回らないくらい、いっぱいいっぱいらしい。
仕方なく新たにタオルを持ってきて、頭に被せてやる。
「男性用のシャワールームに寄った後に、校長室に行く。そこで話を聞かせてくれ」
「……分かりました」
やや沈黙はあったものの、リアは受け入れてくれた。
それならということで、俺は校長室を目指す。
女性用シャワー室を出て、男性用シャワー室に雨に濡れた衣服を置くことを忘れずに。
そして廊下を歩いて、見慣れた部屋へと戻った。
「そこのソファーに座ってくれ」
「…………」
言われた通りに無言でソファーに座るリア。
タオルを頭にかけたまま放心している彼女の背後に回って、拭いてやることにした。
リアの髪は今は短くなったので、拭くのはすぐ終わる。
とはいえ水分全てを拭き取ることは不可能なので、火の魔法を使って乾かすことにした。
流石にシエラのように魔法でドライヤーのようなものを再現することはできないが、それでも近しいことはできる。
完璧に乾いたわけではないが、これで風邪をひくようなことはないだろう。
まったく。手のかからない生徒になったと思ったが、これじゃあまるでガキを相手にしているような形だ。
苦笑いしながらリアの首にかけてあったタオルを回収しようとした時。
左手を、掴まれた。
離れていく手を、離れないで、と止めるような手の動き。
そこまで強く掴まれてはいないけれど、行かないでと、リアの手が物語っていた。
「……どこもいかねえよ」
そう言って、優しくリアの手を空いている手で離させた。
それまで強く掴んでいたのに、俺の右手が触れるや否や、ゆっくりと離れていくリアの手。
タオルを回収して畳んでテーブルに置き、俺はリアの正面に回る。
息を吐きながら腰を下ろして、目の前の少女をじっと見た。
リアは、俺から視線を離さなかった。
むしろ俺を視線に収めることで、自分の気持ちを落ち着かせようとしているようにも感じられた。
(……適当に飲み物でも……淹れるか)
今のリアの前から少しでも離れるべきではないが、同じ部屋の中なら問題ないだろう。
俺はソファーから立ち上がり、棚から飲み物を取ってくる。
酒はイヴに厳重に管理されているが、それ以外の飲み物は校長室に置かれている。
時間をかけてお湯を沸かし、リースから送られてきた紅茶を淹れれば、香ばしい香りが校長室に広がった。
この香りが少しでもリアの今の心を安らげてくれれば、と思った。
二つのカップを手に、ソファーへと再び戻る。
一つをリアの前に、もう一つを俺の前に。
「……ありがとう……ございます……」
「気にすんな。俺が飲みてえからついでに淹れただけだ」
答えつつ、紅茶を一口。
カップをソーサーに置いた後で、本題に入る心の準備をした。
俺は、リアに聞かなくてはならないことがある。
「これは疑ってるとか、そういうんじゃねえ。確認だ。お前は、未来から来たんだな?」
ゆっくりとリアは頷き、まっすぐな目で俺を見る。やはり嘘は、一切ない。
「……はい」
「そうか。……なら、色々聞かせてくれるか? どうして急に魔物狩りを今日はやめたいって言い出したのか。どうして……その……俺が死ぬのか」
「…………」
リアが、ゆっくりと左手を胸へと持ってくる。
動作一つ一つが、彼女が自分を必死に落ち着かせていることを物語っていた。
「はな……します……全て……」
「ああ、ゆっくり、お前のペースでいいからな。ちゃんと聞いて、ちゃんと待つからよ」
「はい……ありがとうございます……」
リアが左手を下ろしたのを見て、俺も聞く姿勢へと入る。
雨は強くなり、大地を穿つ水滴の音が、室内にいてもよく聞こえていた。




