第478話 運命が動き出した日
「さて、今日も魔物狩りか……だいぶ戦技や魔法には慣れてきたし、強い魔物が出る領地に移っても良い頃かもなぁ」
スカイグラス学園の校舎三階の廊下を歩きながら、今日の授業の予定について考える。
リアの授業は順調で、なんの問題もない。授業をすればするほど動きは良くなり、戦技や魔法の威力が上がるので、むしろ楽しみを見出しつつあるくらいだ。
「……あー、天気が悪くなりそうだな」
階段を下りつつ、窓から空を見上げる。
今は晴れているが、空模様が少し怪しい。おそらくは魔物狩りを始めてすぐに降ってくるか。
とはいえ魔物狩りは天気に関係なく毎日するもの。もちろん雨で中止にはならない。
魔物達は雷雨でも雪でも、変わらずに活動しているのだから。
一階まで降りて、校舎玄関口を目指す。
教室に目を向けてみれば、ユウリィやムゥが座学の授業を行っているようだった。
そういえばこの時間はミルキーとロードは授業がなくて、校庭はイヴのクラスが使っていたか。
「さて、今日も頑張りますかね」
校舎から出て、校庭の方へと向かう。
もう片方の校庭はイヴクラスが使っているが、こちらはフリー。
なので校庭に在る人影は一つだけ。その人影も、校舎の方に備え付けられたベンチに腰掛けて、紙と睨めっこをしている。
「ようリア。今日も熱心だな」
「あ、先生。今日もよろしくお願いします」
近づき、声をかければ、真面目な言葉が返ってくる。
手にした紙には戦技や魔法に関する記述がびっしりと書いてあって、作るだけでもそれなりに時間を費やしたであろうことが察せられた。
「まずは前回の確認から行くか。戦技と魔法、簡単に見せてくれ。その後で魔物狩りしつつ、実践だな」
「はい、分かりました」
俺の言葉にリアはテーブルの上の紙を片付け、短剣を手にする。
校庭の方へ歩いていき、宿題の確認。戦技、魔法、どちらも素晴らしいものを見せてくれた。
短剣の戦技は何度も試したのか、かなり鋭く、洗練されていた。
魔法だって、イッテツさんお手製の的を完璧に捉え、その大部分を黒く染めることで強大な威力を示してくれた。
「今日もよくできてるな。日々の努力も窺える。頑張ってるじゃねえか」
拍手しながら称賛の言葉をかける。
リアは心を入れ替えてからというもの、宿題をやってこなかったことは一度もない。
むしろ戦技や魔法の精度を見るに、宿題以上のものをこなしていると言える。
そんな優秀なリアに日々声をかけるのだが、日が経つにつれて称賛のパターンも使い尽くしつつあった。
褒めたいという気持ちはあるのだが、どうしてもワンパターンになってしまう。
時間があるときに、褒める言葉を考えるか……。
「ありがとうございます。この調子で精進してまいります」
一方で、リアはそんな俺の気持ちなど知る由もなく、返事はいつも同じ。
満足することなく高みを目指す。言ってしまえば向上心の塊だった。
「よしっ、確認はできたし、早速魔物狩りに……あー、降ってきたか……」
リアの宿題の確認が済んだので次に進もうとしたのだが、ちょうど雨がポツポツと降り始めた。
まだ全然強くはないが、すぐに本格的に降り始めるだろう。
「こりゃあ、魔物狩りから戻ってきたらシャワー浴びてって感じになりそうだな」
「室内訓練室は使えるでしょうか?」
「帰ってきたら確認してみる。……確か大丈夫だったと思うが」
こんな時でもリアは今後の授業や自主練について考えているようだ。
とても真面目なことで。
「それを聞いて安心しました。ですが埋まっていたら、最悪校庭で濡れながらやります」
「いやいや、風邪引くから止めておけ」
「……確かにそれもそうですね。体調管理は大事だと先生から教わったのでした。それにしても、この空模様ではもうしばらく……降り……そ……う……」
ふと、リアの言葉が尻すぼみになる。
違和感を覚えて、俺は彼女を見た。
「……リア?」
リアは、空を見上げていた。目を見開いて、じっと空を見ていた。
俺もその視線を追う。けれどそこにあるのはただの雨雲だ。
雨が降っているんだから当然だろう。他に変わった点はない。
「なんだ? 何か気になる--」
「あ……あぁ……」
リアの異変に、気づく。さっきまでまっすぐに空を見つめていた薄紫の瞳が、揺れている。
動揺しているのか、体まで震えている。
「おい、リア? おいリア、しっかりしろ、大丈夫か!?」
念のために肩に触れ、リアに呼びかける。
けれど彼女の視線は俺の方には向かず、ただただ空を見上げ続けて。
体と瞳は揺れ続けて、そして。
急にどちらの揺れも、ぴたりと静止した。
「…………」
「……リ、リア?」
「……思い出した」
ポツリと、呟いた一言。降ってきた雨のせいもあり、上手く聞き取れなかった。
けれど次の瞬間、リアは俺の方に顔を向ける。
これまでの真面目で変化の少ない表情とは違い、今にも泣きそうな顔だった。
「せん……せい……」
「あ、ああ……リア、大丈夫か?」
「ええ……私は……大丈夫です……」
「そ、そうか……」
いつもとは違うリアの様子に戸惑いつつも、大丈夫とのことで少し安堵はした。
けれど視線はリアから離せない。まだ、心配だから。
「先生……お願いがあります……」
「な、なんだ?」
俺の両腕を掴むリア。それは掴みかかっているというよりも、縋っているように思えた。
「今日の魔物狩り……やめてください。中止にしてください」
「……は?」
意味が分からなかった。なぜこのタイミングで急に中止を要請するのか。
さっきまで、魔物狩りをするつもり満々だったのに。
「他のことだったらなんでもやります。雨の中の授業でも、教室での座学でも、なんでもやります。なんだったら明日、今日の何倍も魔物を狩ります。だから、だから……」
「い、いや……なんで、急に……」
「家事だってやります! なんでもしますから、だから、だからっ!」
「お、落ち着けって……ど、どうしたんだよ急に……」
「お願いします……お願いしますっ……」
理由を尋ねても、リアは錯乱したように俺に懇願するばかり。
なんで魔物狩りをしたくないのか、それは一切分からない。
分からないが、魔物狩りは日課だ。必要なことだ。
けどリアがこんなにやりたくないと言っているなら。
「じゃあ、俺がサクッと行ってくるから、お前は校舎に戻って休んでろ。ちょっと疲れてんだよ。ゆっくり休むのも、たまには--」
「ダメっ!!」
「うおっ!?」
ならリアの代わりに魔物狩りを受け持とうとしたのだが、より一層リアは声を荒げた。
掴みかかるどころか、絶対に離さないと俺の服を皺になるくらいに掴んでいる。
「か、帰りましょう? 校舎に……家に……ほ、他の人に任せれば……いいじゃないですか。……だから……だからっ……」
「い、いや……だが--」
そう呟いた、瞬間。
「あなたにっ!! 死んでほしくないんですっ!!」
声が、俺の耳を貫いた。
「…………」
真っ先に思ったことは、何を言っているんだ、ということ。
次に気づいたことは、リアが涙ながらに俺をじっと見つめてきていること。
そしてその瞳に、嘘など一片も混じっていなかったこと。
「どう……いう……」
声を発せられたのはそこまで。視界に映るリアの表情。
そして掴みかかった彼女の手に、腕に視線が行く。
強引に掴みかかったので、捲れ上がった袖。雨で濡れたゆえに、ほんの少しだけ透けた肌。
「……お前」
リアの手をとり、強引に彼女の服の腕部分を捲る。
現れたのは腕に走る、無数の線の傷だった。
「……お前、それ」
「っ」
弾かれるようにリアは俺から離れ、自分の右手首を左手で抑える。
どうしてリアに、リストカットのような無数の傷があるのか、理解ができなかった。
「どう……なってんだよ」
だから、思わずそう発言してしまって。
「…………」
俺の言葉に、リアは大きく息を吐いて、気持ちを落ち着かせる動作をとって。
俺を、じっと見つめ返して。
「……私は、未来から来ました」
そんな夢物語のような発言を、とても嘘とは思えない声色と表情で、放った。




