土曜日 1
土曜の朝、いつものように、美織は6時には目が覚める。
今日は仕事はお休みだ。
来週からは、とりあえず、時間のシフトは変わらず、職種だけが変わるらしい。
だから、しばらくは、土日が休みの平日勤務になる予定だが、どんな仕事が回されてくるのかは不安だ。
でも、今は、それについて、考えたくない。
美織は、こたつでいい気持ちで寝ている成哉を見ながら思う。
そして、いつもは、早く起きても、コンビニのパンにかじりつくことぐらいしかできないが、今日は、朝ごはんをつくってみることにした。
目玉焼きにウインナ―、レタスの横にほうれん草とミックスベジタブルを炒めたものを添え、プチトマトを乗せると、見た目のきれいな朝ご飯のできあがりだ。
昨日の、から揚げは美味しかった。
誰かに夕飯をつくってもらう経験は、母親を亡くしてから、10年以上も皆無だった
そのお礼というわけではないが、本当に、何年かぶりかで作った朝ご飯らしい朝ご飯だった。
その気配で、成哉が目を覚ました。
「美味しそうなにおいで、目が覚めたよ。すごいな。」
と、嬉しそうに、そして、当たり前のように、キッチンテーブルにつく。
きれいに平らげたあとは、茶碗を洗ってくれる。
ごくごく、自然に、行動するのが、不思議だった。
まるで、生まれた時から、一緒に住んでいるかのように、彼の行動が、美織の家に馴染み、美織の生活に馴染み、美織自身に馴染んでいた。
どんな生活をしていたんだろう?
どんな教育を受けてきたんだろう?
記憶が戻ったら怖いと、本人よりも、美織の方が強く感じているのに、成哉のことを、知りたいと思ってしまう。
彼は、一体、どんな過去を持っていたんだろう?
ずっと前から、ここにいるように、いつも、自然体で、リラックスしている。
彼なら、どこにいても、こんな感じなのかもしれない。
自分が自然体だからなのか、美織にも、そこにいて、圧迫感を感じさせない。
身体こそ、美織より大きいが、そばにいて疲れない。
黙っていても、気遣う必要のない楽な空気感だった。
他者との間に必要なパーソナルスペースが、日を追うごとに、小さくなっていくことを感じる。
近くにいても、嫌な気持ちにならない。
自分の城に、自分とは違う価値観をもつものが存在しているのに、違和感を感じない。
美織にとって、成哉がいることが自然だという気がするのは、多分、成哉の方が、美織といることに、不自然を感じていないからだ。
いろんな話ができるわけじゃない。
共感をしてるわけじゃない。
けれども、美織は、成哉と一緒にいる空間を、とても居心地のいいものに感じていた。
空は快晴だった・
簡単に掃除をして、成哉が一週間、ずっとこもっていたこたつ布団をベランダに干した。
景観のため、布団などは、外から見える干し方はできない。
そのかわり、ベランダが広いため、大き目の布団干しが楽に入る。
成哉と一緒に、その物干しにこたつ布団をかける。
何だが楽しかった。
お昼になる前に、成哉が、軽くグラタンを作った。
はじめて、成哉が料理するところを見るが、やはり、手際が良く、少なくとも、調理の経験はありそうだった。
そっち方面の仕事をしていたのかもしれない。
美織が真似できない包丁さばきだった。
時はゆっくり流れていた。
成哉自身が、料理こそ手早いが、他のことは、全てゆったり構えた感じでいて、その、のんびりしたマイペースさが、美織には、心地よかった。
そろそろ、買い物に行かなければならないと思った美織は、成哉が外に出たら、どうなるんだろうと考える。
記憶を失ってから、今までは、ずっと、家にいた。
頭の怪我もあったし、ずっと家にいることが、成哉にとっての自然だったはずだ。
けれども、怪我も癒え、外の世界をどんどん知ってしまったら、私の傍にいたがるだろうか?
ペットの家猫は、マンションから出してはいけないと言う。
外の世界を知ってしまったら、猫は、帰ってこなくなるのだ。
世の中には、もっともっと楽しい場所がいっぱいあることがバレてしまうから。
そう思いながら、また、考え出している自分に気づく。
だから、どうだというの?
成哉は、私のペットなんかじゃない。
私のものなんかじゃないのだ。
考えを振り切ろうとする瞬間に、出てきた言葉は、今の美織の心情とは真逆の言葉だった。
「そろそろ、買い物に行こうか。」
と言ってしまった美織に、成哉は、
「そうだね。」
と笑った。
何も考えてなさそうだった。
外の風は、柔らかく暖かく、春の風になっている。
成哉は、ゆったりと歩く。
美織を気遣って、ゆっくり歩いているというわけでもなさそうだった。
歩いているうちに変わっていく、いろんな景色を面白そうにながめている。
言葉を交わさなくても、楽しそうな様子は伝わってくる。
今の目的は、買い物だと、はっきりしているが、美織にとって、外に出ることは、目的を果たすだけでしかなかったことに、改めて、気づかされる。
成哉が楽しそうに見ている町の雑踏を、美織はほとんど見てはいなかった。
スーパー、駅、バス停…そういう目標物しか見えていなかった。
目はちゃんと開いていたのに、そこに存在するものは、見ていなかった。
茶色の、小さな喫茶店があったり、閉じられたシャッターにポップな絵が描かれてあったり、民家の塀の上に何故かシーサーがあったり、生計が成り立つんだろうかというくらい目立たない小さな団子屋さんがあったり、この2年、ここで過ごして、この道も飽きるほど往復しているというのに、気が付かなかったのだ。
今、成哉と一緒に歩いて、成哉の見る視線をたどると、今更ながらに気が付いたものがいくつもある。
スーパーまでの、短い距離が、とても新鮮だった。
そして、何故だか、とても、楽しかった。
スーパーに行くことが、面倒くさいことじゃないなんて、今まで思ってもないことだった。
目的であるスーパーまでの道のりという過程は、今までの美織にとっては、不必要な時間だったからだ。
不思議な感覚だった。
新しい感覚だった。
このまま、成哉と一緒にいると、今よりもっと楽しいことが増えるんだろうか。
美織が、そう思った時だった。
一台の車が、すれ違ったと思ったら、スーッと止まったのだ。
黒のホンダCR-Zだった。




