目覚め
どこかで、木が軋むような音がした。
それが現実の音なのか、夢の残滓なのか分からないまま、私はゆっくりと瞼を開いた。
天井が見えた。
粗末な宿の天井ではない。
石造りでもない。
温かい色の木材で組まれた、静かな家の天井。
「……ここは……?」
声が掠れて、自分のものとは思えなかった。
身体を起こそうとすると、肩に柔らかい布が滑り落ちる。
毛布だ。
誰かがかけてくれたもの。
私は慌てて周囲を見回した。
見知らぬ部屋。
清潔で、整えられた客間。
窓から差し込む光が、床に柔らかい影を落としている。
そして──
部屋の隅に置かれた椅子に、ひとりの男が座っていた。
黒鉄の鎧を脱ぎ、深い灰色の瞳でこちらを見ている。
その視線は鋭いのに、不思議と怖くはなかった。
「……目が覚めたか」
低く落ち着いた声。
聞き覚えがある。
地下で、魔物に囲まれたとき──
光に包まれた私を見つけた男。
帝国騎士団長、クラウス・ヴェルナー。
私は反射的に身を縮めた。
逃げなければ。
正体を知られてはいけない。
また誰かに利用される。
そう思ったのに、身体は動かなかった。
力が入らない。
胸の奥がまだ熱く、脈打っている。
クラウスは立ち上がり、ゆっくりと近づいてきた。
威圧感はあるのに、足音は驚くほど静かだった。
「安心しろ。ここは帝都の私邸だ。君を傷つける者はいない」
私は言葉を返せなかった。
信じていいのか分からない。
でも、彼の声は嘘を含んでいないように聞こえた。
クラウスは寝台のそばに膝をつき、私の目線に合わせるように顔を近づけた。
「名は…?」
「リオン」
胸が痛んだ。
その名は、私が生き延びるために作った“殻”だ。
私は小さく頷いた。
嘘ではない。
でも、本当でもない。
クラウスはしばらく私を見つめ、静かに息を吐いた。
「……あの光。あれは何だ?」
私は息を呑んだ。
答えられない。
答えられるはずがない。
自分でも分からないのだから。
沈黙が落ちる。
けれど、責めるような空気ではなかった。
クラウスは立ち上がり、背を向けた。
「言いたくないなら言わなくていい。だが、君は危険だ。魔物の異常発生の中心にいた。放ってはおけない」
その言葉は、命令ではなく、決意だった。
私は初めて気づいた。
この人は、私を“道具”として見ていない。
胸の奥で、微かな光がまた脈打った。
目覚めた翌日、私は静かに部屋を出ようとした。
迷惑をかけたくなかったし、長居する理由もない。
だが、扉を開けた瞬間、クラウスが立っていた。
「どこへ行く」
低い声。
怒っているわけではないのに、胸が跳ねた。
「……外に。邪魔になるので」
「邪魔ではない。むしろ、勝手に出歩かれる方が困る」
困る?
どうして?
クラウスは腕を組み、わずかに眉を寄せた。
「君は昨日、魔物の群れの中心にいた。何者かに狙われている可能性がある。保護下に置くのは当然だ」
それは理屈として正しい。
でも、彼の声にはそれ以上のものがあった。
「……怪我はないか」
「ありません」
「本当にか?」
私は言葉に詰まった。
こんなふうに心配されたことは、ほとんどなかった。
クラウスはため息をつき、私の肩にそっと手を置いた。
「君は、自分の身を軽んじすぎる」
その言葉が胸に刺さった。
誰にも言われたことのない言葉だった。
リオンが部屋を出ようとした瞬間、胸がざわついた。
理由は分からない。
ただ、彼女を外に出すのが“危険”だと本能が告げた。
彼女は怯えた目でこちらを見る。
その目が、妙に胸を締めつける。
「……君は、誰かに守られたことがないのか」
問いかけると、リオネッタは小さく首を振った。
その仕草が、あまりにも痛々しかった。
私は思わず手を伸ばし、彼女の頭に触れそうになって──
寸前で止めた。
「……すまない。無遠慮だった」
だが、止めたところで気持ちは隠せない。
この少女を守りたい。
短く切られた髪が痛々しい。
ただ、彼女を傷つけるものをすべて排除したい。
そんな衝動が胸の奥で静かに燃え始めていた。




