少女の瞳に映る過去
しばらく後に、サリエルがククリの家へと帰って来た。ニコンはそれに気付くと、思わず硬直してしまった。
いくら敵意がないと言えど、サリエルから発せられる魔力は強大だからだ。しかも、本人はどこか浮かない顔をしている。何かあったのかと、ニコンは不安になり、息を飲んだ。
「あぁームカつくのう!」
「ひぃ……! ど、どど、どうかしたのッ?」
緊張のあまり、ニコンの声は裏がえる。目の前にいるのは、十どころか百の歳月を生きていると言われる魔術師だ。見た目こそ自身よりも幼いというのに、その声色はどこかぎこちない。
「いや……こっちの話じゃ。安藤はしばらく大丈夫じゃ。安心せい。ただ――」
サリエルは腕を組み、一呼吸おいて溜息を吐く。
「……兵士長ラヴィルが、何者かに連れ去られた」
「え……?」
それまで、自身の父親とラヴィルを重ね、物思いに耽っていたニコンは、必要以上に驚いてしまう。
「得体のしれん魔力の流れを感じて、まさかと思ってラヴィルを追ったんだがのう……。妾が着いた頃には、だーれもおらんかった。どこを探してもおらんし、連れ去られた」
黄金色をしている筈のサリエルの眼の片方が、蒼穹の色になっている。今もなお何らかの魔術を使っているのだろう。しかし、その雰囲気から彼女が苛立っているのは、火を見るよりも明らかだ。
余計な事を言わないように――そう意識して、ニコンは「そう!」と一言告げた。
だがそれは逆効果だったようで、サリエルは魔術を発動したままニコンを一瞥する。
「ひぃ……」
その時、こちらに向かう小さな足音が部屋の外から聞こえてきた。そして部屋の扉を開けたのは、ククリだ。
「…………いたんだ」
部屋を一通り見渡して、ククリはただ一言そう放った。
目の前にいるのが誰か分かってるのかこいつ。
ニコンは心の中で泣きながらそう叫ぶ。
「……ニコンよ。妾はぬしら――《ノア》に手を貸した魔界人を許してはおらん。だが、ぬしには頼まねばならん事がある。安藤を『タリュカス』にいるサチュリの若造に引き渡せ。妾は少しやらねばならん事があるらしい……」
サリエルは己の魔術で、世界中を見渡す。山奥の集落から、荒野の一点、森の中の入り組んだ木の陰まで。千里眼の如きその力は、ようやく目的のそれを捉える。
「あ、あたしが……?」
「――見つけた」
「え」
「確かに伝えたぞ。ではな」
ニコンは返事をする事が出来なかった。緊張もさることながら、転移の魔術で消えていくサリエルの背には、底知れぬ殺意が宿っていたのだ。
サリエルは転移魔術の光に包まれて消えた。急激に身体が軽くなったと、ニコンは錯覚する。
「なんでどいつもこいつも、強いヤツは玄関から入ってこないのかしら……」
胸をなでおろしながら、ニコンは呟いた。
「……まだ、目、覚めない?」
「ええ。ていうかコレ、何なのよ?」
安藤を囲む白い繭のようなものは、所々光を反射して柔らかい虹色に光っている。手を触れても、物質に触れる感覚はなく、少しひんやりとしたその繭の中に入ってしまう。少し手を伸ばすと、安藤の身体に触れた。
「……風」
「かぜ?」
「かんたんな治療をしてる」
「……よく分かんないわ。そんだけの魔術、一体何処で学んだのよ」
ニコンは面白くもない家庭教師から魔術を教わった。それでも槍が眠る異空間の形成くらいしか出来ない。学校に通おうとした頃には、世界はそれどころではない悲劇に見舞われていた。
「……わかんない」
「分かんないって……」
「記憶が、ないから」
ククリは悲しそうな顔をしながら、そう明かす。同時に、部屋の灯りが徐々に弱くなっていく。充填された魔力が枯渇したのだ。ククリはすぐに電灯に書かれた刻印に手を触れ、魔力を補充した。再び部屋は明るくなる。
「そう、なんだ……。……なんか、ごめん」
「ううん、いいの。今、三魔帝の人が居たけど、何かあったの?」
「ラヴィルが失踪したらしいわ。それを追ったんじゃないかしら。アンドウはもう大丈夫だって」
「……よかった」
「ラヴィルの心配はしないのね……」
「あの人、ヒロキ虐めた。この部屋壊した。許せない」
ククリの言う通り、今居る部屋は魔術によって床や壁の至る所が歪んでいる。この国の樹木は岩よりも硬いと言われているし、修復にはそれ専門の助けが必要になるだろう。
「……ニコンは違うの?」
「うーん、複雑ね……。確かに恐ろしいヤツだったけど、あいつは子供のために地界に帰ろうとしてた。すごく必死そうな顔して、ね」
「……?」
「普通だったら、三魔帝相手に手出しはしないわよ。きっと、それだけ家族を愛してるの。何か、それに感化されちゃった」
「ニコンも、家族を愛してる?」
「……ええ。愛してるわ」
ニコンは地球に転移する前――世界の破滅が始まったあの日のことに想いを馳せながら、そう答えた。




