目覚める
目を覚ますと、まず眼前に広がるのは少し不気味さも感じる巨大な繭の外殻だった。
外からの明かりで薄透明になったその部分から、糸の束のようなものがこちら側に伸びている。
その線を辿ると、糸は僕の胸部と連結し、ラヴィルによって受けた傷を塞いでいた。
「おわっ!?」
さすがに驚きを隠せず、その糸の束を引っこ抜こうとしてしまう。
出血するかもと思ったが、それは瘡蓋を剥がすよりも容易く、ぷすぷすと抜けていった。
胸には凄惨な傷跡が残っており、皮膚が元通り、という訳ではないものの、致命傷と言えるほどの傷が癒えているのだから不満などあるはずも無い。
むしろ健康状態はかなり万全だった。
久し振りにぐっすりと眠れた気がする。
引っこ抜いた糸は光の粒子にかわり、心地のよいそよ風を吹きながら霧散していく。
繭そのものが跡形もなく消え去った。まるで羽化した昆虫の気分である。残念ながら翼はないが。
それはさておき。
ここは僕が魔界に来てから世話になっていたククリの家の一室だ。どうやらまた、介抱されて運ばれたようだ。
僕は彼女に助けられてばかりだ。しかし言葉の通じない彼女にどうやってお礼を伝えるべきなのだろう。
そんなことを考えていると、部屋の外から誰かが駆けてくる音が響いた。
「ヒロキっ!」
安堵と喜びに満ちた声を上げながら、部屋に飛び込んできたのはククリだった。
泣きそうになるのを我慢するような表情を見せ、彼女は僕のところに飛び込んできた。
「おはよう、ククリ」
言葉は通じないが、僕は彼女に挨拶した。
どうやら言葉の雰囲気から意味は伝わっているようだ。
『ヒロキっ……。よかった。目を覚まして……』
「ははは……」
彼女が何を言っているのか分からないが、僕が目覚めたことを泣きそうなくらいに喜んでくれているのは分かる。
ククリはただ僕の胸元に抱きついていた。僕は彼女の頭を優しく撫でた。彼女のふわふわな髪の毛の中に、何かゴツい感触があったものの、もはやなんでもありの魔術の世界だ。僕はそのことを不思議に思いながらも、気には留めなかった。
そんな温かい無言の時間はしばらくの間続いた。
『ヒロキ。イッターダキマス』
「ん?」
その後、落ち着きを見せたかと思えば、ククリは僕の腕を引き下階へ連れ出そうとする。
廊下から漂ってくる香りで察した。どうやら今は食事の時間だったらしい。
「ごめんククリ。食事中だったんだね」
『……?』
ククリは目を丸くして首を傾げる。
「いや……行こう。レツゴーククリ」
……言葉が通じないのは、どうしようもなく不便だ。
通訳係のニコンはどこへ行ったのやら。
『レツゴ』
とりあえず僕たちは、ククリの両親の待つ食卓へ向かった。
両親たちも僕の快復を喜んでくれたようで、家族の温もりを実感せざるをえなかった。
実家のことを思い出して、今にも泣き出しそうなのを必死で堪えながら、これまで生きてきた中で最も美味しいとすら感じる素朴な料理を、ゆっくりと噛みしめていた。
***
食後、ククリは何かを両親と話し合い、僕を家の外へ連れ出した。
少し開けた場所に出るやいなや、安全を確認して、風の力で浮かびあがった。
さながら、手を使わずに鉄棒をさせられているようなものだ。正直言ってかなり怖い思いをしているが、表には出さなかった。
怖がっている様子を面白がって、また高所から飛び降りでもされたら困る。
『平気なの?』
「うん?」
『じゃあ、行くよ』
「何?」
『さん、に、いち――』
「ちょっ……」
ククリがカウントしているのだけは理解した。
阻止する間もなく始まったのは――重力に逆らったスカイダイビングだった。
僕たちは風に乗り……否、捕まれながら、森の高いところに向けて飛び上がっていた。空気の壁が僕の顔をえぐり取ろうとしている。とにかく速い。あっダメ吐く――。
内臓の全機能を停止するのに専念しはじめたところで、僕たちは着地した。
「がはっ……。はっ……、はっ……!」
酸欠になったのか、頭がくらくらとする。飛行時間は一分にも満たなかったが、とんでもない思いをした。この世界には病み上がりを労わる習慣はないのか。
『行こ』
「うん……大丈夫……」
ククリは再び僕の手を握って歩き出した。
しかも呑気な見た目の割に力が強い。少しばかり強引な性格の持ち主なのかもしれない。
天を仰げば、枝々の隙間から明けることのない夜空が見える。
村の中でもかなりの上層部に来たようだ。
幹の部分には、大きな家が一つ造られている。この村で言うところの屋敷だろう。入り口には武装した警備の者が二人立っており、まだ距離があるにも関わらずこちらを警戒しているようだ。
『連れてきた。インセニルの浄化者』
『……ここで少し待て』
ククリと警備の者が短いやり取りをし、一人が建物の中に入っていった。彼は何らかの確認を済ませ、すぐに戻ってきた。
『入るがいい。蒼眼とて長老には失礼のないように』
『……そっちこそ、余計なことしたら許さない。行こ、ヒロキ』
男に促されて、僕たちは屋敷の中に入った。樹木を掘って造った建物とは思えない、精巧な間取りの家は絶景であり、僕はただ目を奪われていた。
入ってすぐの広間は庭園のようになっており、樹木の中を伝う水を利用して池を造っている。小さな庵もあり、客をもてなすこともできるようだ。
様式は違えど、建築技術は圧倒的に地球人の域を超えている。
ここが大樹の中とは到底思えないが、方々にある巨大な柱がそれを物語っていた。
道なりに進むと壁伝いに階段があり、高い目線で庭園を一望できるようにもなっている。
別室へと進む扉はその先にあった。
『異邦人め』
「……?」
先頭にいた警備の者は僕の方を一瞥しながら、舌打ちをした。
その素振りから歓迎されていないことは容易に察することができる。
扉の向こうには一風変わった雰囲気の空間が広がっていた。
大聖堂にも似た内装をしているが、奥には男一人が大の字で眠れるくらいに大きな玉座があり、しかも布団が敷いてあった。
『……ナロウ様。異邦人を連れてまいりました』
警備の者が呼びかけるが、反応しない。
『ナロウ様? ……ナロウ様っ!』
『フゴッ』
布団の中から妙な声がきこえ、穏やかな面持ちの老人が、些か慌てながら起きあがる。
『例の異邦人を連れてまいりました。どうか起きてください』
『ああー……。ありがとねぇ、下がっていいですよ』
『失礼いたします』
警備の者が頭を下げ、退室する。
老人はそれを見届けながら、大きなあくびをした。
『いやはや、とんだ無礼をすみませんね。なに分、いい歳なものですから……。執務がない時はこうしてすぐに眠りこけてしまうのですよ』
当然ながら、この老人が何と言っているのか僕は理解できず、ただ黙って見ていることしかできなかった。
この老人、どう見てもこの村の重要人物である。やはりこういう時は跪いて敬意を表するべきなのだろうか。
しかしククリもまた僕と同じように棒立ちしながら老人のことをガン見しているので、なにが正解なのかがわからない。
そんな僕の様子を察してか、老人は一言気付いたように、
「ああ……」
と呟いた。
「え……」
僕は思わず目を丸くした。
そのたった短い〝嗚呼〟という言葉の発音に――明確な親近感を覚えてしまったのだ。
そして、その微かに湧き出た期待はすぐに現実のものとなる。
「こちらの、言葉のほうが宜しかったでしょうか。アンドウ、ヒロキくん」
その老人は優しく微笑みながら、紛れもなく流暢な日本語を以って僕に語りかけたのだった。




