帰るべき場所 - Ⅱ
「……少し、喋りすぎたようじゃな。ニコン=サーニャ、しばらく安藤を任せるぞ」
「へ……?」
サリエルからの突然の物言いに、ニコンはきょとんとする。返事をする間もなく、ラヴィルとサリエルは一瞬にして何処かへと消えていった。
何事も無かったかのような静けさを取り戻したその部屋は至る所が歪み、変形しており、凄惨な闘いがあった事を否が応でも認識させる。
それでも、助かった。そんな安堵と共に緊張から解き放たれ、ニコンはその場にへたり込んでしまった。
「ニコン。……だいじょうぶ?」
ククリは心配そうにニコンに声を掛けながら、手を差し伸べる。彼女は誰よりも強い心を持っていた。あれだけの仕打ちを受けながらも、この場でただ一人、腰を抜かすこともなく動いていられたのだ。
ニコンはその強さに、恐怖とはまた違った形容のし難い違和感を覚えるが、すぐにそれを振り払って手を握った。
「大丈夫。ありがとう」
そう言ったニコンの表情が曇ったままでいることに、ククリは気付く。
「……どうか、したの?」
「……ううん、なんでもないわ」
ニコン達は気を失っていたククリの両親達を介抱し、別室へと運んだ。彼らの側にはククリが付き、ニコンは安藤が寝かせられた部屋で、一人窓の外を見ていた。
昼も夜もなく、蛍のような光をともす街灯が真っ暗な街並を照らす、いつもと変わらぬ景色を眺めながら、ニコンは亡き両親に思いを馳せていた。
***
「何の真似だ……」
ラヴィルは、サリエルの魔術によって転移させられていた。街を外れた広大な荒野の中に二人は向かいあう。
その様子を傍観するかのように、黒い空には赤い月が佇んでいる。淡い光が彼らを取り巻く全てを照らし、その荒野は僅かに赤く色を変えていた。
「あまり妙な話をして、あの場にいる子供達が感化されては困るからな。それにここの方がぬしも戦いやすいじゃろう」
「俺の目的は罪人の処分だ。あなたとやり合う気は、毛頭無い」
「でも、妾が消えればまたあっちに行くんじゃろ。なら多少痛い目にあってもらわんとなぁ」
サリエルの周囲に膨大な魔力が取り巻いているのを、ラヴィルは知覚していた。そもそも相手は三魔帝――世界で最も強いと云われる三名のうちの一人だ。しかもサリエルは、“この世の全てを知っている”とすら云われているのだから、どんなに狡い手を使っても、それは完封される。
既に異質な空間魔術に、成す術も無く動きを封じされていたのだし、ラヴィル自身に戦意などなかった。
「何故そうまでして助けようとする……。たかが《インセニル》の一人、今までだって何度も処刑してきたぞ」
「そうじゃな……。正直、《インセニル》とかいう傀儡に興味など無いわ。妾が守ろうとしているのは、戦う力も持たぬうちから“運命”に喧嘩を売った安藤とやらの、選択じゃ。妾も三百は生きているが、未知に直面したのは久しぶりでのう……。楽しみで仕方がないわ」
「その未知とやらのために、地界人を巻き込んだというのか……! わざわざ、天動級の転移魔術を用いて……!」
「そう怒るな、ラヴィル。むしろ光栄に思え。ぬしは神に選ばれたんじゃぞ? 新天地の調査のために」
ラヴィルの中に募っていた怒りが凍り付き、思考は停止する。サリエルの放った言葉の意味が、理解出来なかった。
それがサリエルの作戦だったとするならば、それは大いに成功していただろう。凍った思考は、身体の動きをこれほどかと思うまでに停止させる。
そうして生まれた隙を突いて、サリエルが攻撃してこなかったのは幸いだった。これが命を懸けた闘いであったならば、ラヴィルは確実に負けていた。
「今……なんて言った?」
「地界に帰りたいと言っておったな? 喜べ。その望み、叶えられるぞ。……まぁ、戻ったところで耐えがたい現実に出くわすだけじゃがなー」
「違う……! 何だ、新天地の調査――それが転移した者達の役割……――? まさか……」
そこから先の言葉をラヴィルは聞きたくなかったし、嘘であってほしいと心から願っていた。
それでも、残酷な事実は無慈悲に伝えられることになる。
「もう分かるじゃろう。我々――全魔界人は、新天地『地界』へと、移住する。魔神アルカはそのために、地界に住まう人類を掃討する事に決めたんじゃ」
「何をふざけた事を言っている! 掃討? 共生という選択肢だって――」
「はじめはアルカもそのつもりだったんじゃがのう……。《ノア》という組織はどうも我々を敵視しているようだし、天界のバカが機械技術の売り込みまでしておる……」
《ノア》の高度な技術に、天界の介入があったこと自体、ラヴィルにとっては知らされていない事実だったが、今はそれどころではない。
冷ややかで不快な汗が、ラヴィルの背中を流れていた。
「戦争を始める気か……」
この時、ラヴィルは悟っていた。この世界にも、とっくに神などいない事。
この世界の天にいるのは、神の面を被った、修羅道から這い出てきた悪魔だという事に――。
「案ずるな。これはあくまで最終手段――アルカは破滅を食い止めようと途方もない時間、“運命”と戦っておる……。何度も、何度も失敗して、ようやく見つけた希望の光が、あの少年――未だ自覚はないようじゃがの。それを邪魔するというのなら、殺してでも阻止すると言ってるんじゃ」
ラヴィルにとっては、魔神に刃向わなければならない理由が増えただけだった。
この世界が破滅の淵に立たされている事は、全ての生物が悟っていた。万物に永遠は無いのだから、これも人類としての宿命だと諦観しながら、ラヴィルは今までを生きてきた。
しかし、魔神の目論見は種の存亡を賭けた大移住。彼自身、地球人の強さを知っている。魔術こそ無いが、彼らには自らを滅ぼしうる程の軍事力がある。
戦争になれば、勝敗以前に住む場所がなくなるだろう。だが、魔神ともあろうものが、そのことに気がついていないはずは無い。
わかった上での決断だ。ゆえに、魔神と親交の深いサリエルも、それに手を貸しているのだ。
地球との交戦は、絶対に避けなければならない。だが、その為には僅かな希望といわれる安藤を見逃す事になる。
その二つを天秤にかければ、優先すべきは不本意ながらも決した。
「……この世界は、いつ滅ぶんだ」
「さぁ……既に未来は不確定となったからわからん。これから魔界人が歩むのは、誰も知らない時間じゃ。破滅という結末を回避するまで、余計な行動を起こすでないぞ」
「…………」
ラヴィルは何も答えず、『ナージス』に向けて歩き出した。
「勘違いするな。これは……執行猶予のようなものだ。あの地界人が粗相をしようとするならば、真っ先に殺しに行く。せいぜい教育しておくんだな……」
「ふん……。それは《灼炎》の若造の仕事じゃ。妾は見守るだけにしておく。うん、それが良い」
すれ違う時、二人は言葉を交わす。サリエルはラヴィルを追わなかった。
荒野で一人になったサリエルは天を仰ぎ、黒い空からこちらを見下ろす赤い月を眺めながら呟く。
「……アルカ。泣いても笑ってもこれが最後じゃ。絶対に救おう――この世界を」
その言葉は終わりを目前とした世界の空に溶けていく。
空に浮かぶ月はその呼び掛けに応じるかのように、少しばかり輝きを増したような気がした。
***
ラヴィルは森の中を歩く。地表はいつ起きたかも知らぬ大嵐の影響で、少しばかり湿っていた。
この世界の気候は、地球とは比較にならない程不安定だ。壊滅的な豪雨に見舞われることもあれば、それから数週間にわたって一切の雨が降らなくなることもある。
加えて、太陽を失ったことによる寒冷化で、多くの動植物は死滅した。生き残っているのは冬眠をする生物だが、見つかっても大抵は食料となる。真夏だというのに吐息は白い。
もし人々に魔術がなければ、とっくに生命は滅亡していた。原因は今もなお、解っていない。
「あなたが兵士長さんね?」
「ん……?」
上層へ登るための螺旋樹へ向かうさなか、一人の女性の声にラヴィルは呼び止められた。
声のした背後へ振り返ると、フード付きのローブを纏った影が一つあった。フードを深く被っており顔は見えないが、声色や華奢な身体つきから女性であることは確かだった。
「確かに私が兵士長を務めるラヴィルだが……。君は?」
「私は旅の魔術師……とでも言っておきましょうか」
その女性は、口元に笑みを浮かべ虚空に黒い魔法陣を展開する。大の男よりも大きなそれが、高度なものであることは間違いない。
ラヴィルは咄嗟に戦闘態勢に入るが、突然、大地を踏みしめる感覚が消えた。
「な――」
足元に、墨のように黒い領域が出来ていた。
それを認識する同時に、深く暗い影の中へとラヴィルは飲み込まれる。
この日、『ナージス』の兵士長は音もなくして失踪した。




