覚醒 - Ⅰ
駅のバス乗り場に着くと、たくさんの観光バスが並んでいた。
一台の乗車扉の前に、『株式会社ノア 様』と書かれたプラカードを持つ男が居るので、僕は声を掛けた。
「あの……これって……このバスで合ってますか?」
首元の爆弾を指差しながら、男に尋ねる。
「ええ。お名前は?」
「安藤弘樹です」
「いいよー、乗ってー」
先日とは違う運転手だったようで、特に何も言われずに乗車する事ができた。
早めに来て正解だった。まだ車内には数人しか居ないようで、最後列の席も空いている。
これならば先日の騒動の奴だと騒がれる事なく『ニヴェルヘイム』まで戻れるだろう。
僕は極力顔を伏せながら、出発を待っていた。
しかし、それにも限度がある。
目を瞑りながら、イヤホンで音楽を聴いていた時、誰かが隣に座った。
恐る恐る目を開くと、それは秋夢だった。
「……やぁ」
「……ども」
顔を見ると、彼女の目の隈がいつも以上に酷くなっていた。
「大丈夫? ……その顔」
「いつものことやで……」
「その、昨日はごめん。いきなり家に押しかけちゃって」
「……別に気にしてないよ」
バスが動き出す。
中々会話が続かないのがどうも気まずい。
彼女の首元にも、僕や他者と同じ銀の装置が付けられている。
それが爆弾である事は、彼女には言わないでおいた。
「……ちょっと寝るわ。疲れた」
彼女はそう言って目を閉ざしてしまった。
確かにこの気まずい雰囲気の中、起きているのもぎこちない。
彼女の目元には、泣きぼくろが一つある。
ネットゲームでは強者だったのに、現実では中々うまくいかない――僕と同じ人種のようだった。
僕も外していたイヤホンを再び付け、徐々に沈んでいく意識に身を委ねた。
***
バスの乗員が降車しようとする物音で、僕は目を覚ました。
秋夢はよだれを垂らしてニヤニヤしながら寝ている。どんな夢を見ているのだか。
申し訳ない気もあるが、置いていかれる方が惨めだろう。僕は彼女を揺り起こす。
「おーい、秋夢ちゃん。着いたよ」
「宿ったァ!」
「……何が?」
「え? ……あ」
状況を理解した彼女は、何とも居た堪れない表情をしていて、やはり僕の中に後悔が渦巻く。
言葉から察するに、夢の中で高難度の装備強化に成功でもしたんだろう。
鍍金の剣は僕の手によって粉々に砕かれてしまったようだ。
「なんかゴメン」
「いや……いいよ」
一応許してはもらえたので、僕達は車を降りて輸送艦に乗り込んだ。
首輪は入口に居た人に取り外してもらえたので、ひとまず安心だ。
「これからどうすればいいんだろう」
「とりま……荷物置いて、戦闘部隊は……格納庫に集合のはず」
「分かった。サンキュー」
と言っても、部屋は同じなので別離する事はなく、二人で生活区画にある自室へと向かい、荷物を整理した。
「じゃ、私は研究区画なんで……」
「分かった」
僕は艦体の地下全域に広がる、格納庫へと向かった。
戦闘部隊のメンバーは、ここで武器や艦載機の整備、戦闘の訓練まで幅広く行う。
畳の広がった道場のような部屋まである。
とりあえずウィリアムを探そうとした時、前方への注意を誤り誰かにぶつかってしまった。
「すみません」
「おう、気ぃ付けろ――ん?」
その男は、完全に夏を満喫しているのか、アロハシャツに遮光グラスを掛けていた。
無造作に跳ねた金髪を掻きながら、こちらをじっと見つめている。
「……おめェ、新入りか? 《キャッスルナンバーズ》の」
「はい? よく分かんないんですけど……最近捕まったばかりで……」
「なるほど……捕まった、ね――」
墓穴を掘ったか、と思ったが、その男は天を仰ぎながら大笑いした。
「ハッハッ! いや、悪ぃ気にすんな。
……しかし、司令官様もこんなバケモン放置して一体どこをほっつき歩いてんだか……」
バケモン――?
一体何のことだ、そう尋ねようと思ったが、気付かないうちに僕は天井を向いていた。
そのまま壁際まで殴り飛ばされる。
口の中を切ったようで少し血が出てたが、痛覚が遮られていたため、痛みは殆ど無い。
混乱に苛まれたままゆっくりと立ち上がる。
「おい、大丈夫か? 新入りちゃんよォ」
意味も無く殴り飛ばされるのは、中学生の時以来だ。
あの時は、ただこの地獄が終わればいいと必死に逃げようとしていた。
ただ僕も昔と比べれば大人になっているようで、理不尽な事に対する耐性は強固なものになっていた。
「酷いじゃないか、いきなり殴るなんて。俺が何かしたなら、謝るよ」
「はァ?」
極力、笑みを浮かべながら僕はそう言った。
だが再び僕は、話を聞かない男に殴り飛ばされる。
痛みは無いが、身体が熱っぽくなってきているのがわかった。
そして気付いた、この感覚――。
「――あぁそうか、おめェまだ混ざってねェんだな?
契約者の力を受け入れてねェ、そうだろ! 勿体無ぇなァ……」
「あんた……魔界人か!」
「今気付いたのかよ。そうとも、オレはキャッスルナンバーズ最高位、“エース”の称号を持つ地雷と呼ばれる男――ロディアスだ」
戦闘部隊の最高位――ウィリアムだと思っていたが、どうやら僕の勘違いだったらしい。
遮光グラスを外しながらそう名乗った彼の目は、両方とも赤かった。
「名乗れよ新入りちゃん。礼儀くらいは弁えろ」
「……安藤 弘樹。……普通の、大学生だ」
そう言うと、再び大笑いされた。彼の動作はいちいち癪に触る。
「お前が普通な訳ねェだろうがよ! ……一体何と契約したんだおめェ――」
「そこのお前ら! 一体何してんだ!」
その時、どこからかウィリアムがやってくる声がした。
「お、ウィリアム隊長! いい所に来た。この新入りちゃん、俺の隊にくれよ!」
「お前か、ロディ……。彼の配属はまだ決定していない。だがお前に任せる事は無い。諦めろ」
「ンだよ、つまんねェな。また遊ぼうぜ、新入りちゃんよォ」
ロディと呼ばれる男は、そう言ってどこかへ消えた。
「立てるか?」
「はい……」
「これから戦闘部隊の点呼をする。お前はこっちにいろ」
それから、多くの隊員が格納庫に集結した。
と言っても、皆私服を着ていたので、側から見たら軍隊には見えないだろう。
楽しそうに前後と喋っている者もいれば、完璧なまでに整列し、微動だにしない隊もいる。
こうして見ると、軍人にしては若い者もちらほらと居る。どこかの国の少年兵だろうか。
戦地に駆り出され、あの日の海岸のように、突如転移した魔界人に殺される――。
そう考えると居た堪れないが、僕はその魔界人と契約をしているのがもどかしい。
「総員聞け! 各隊のリーダーは人員の点呼を始めろ! 欠員がいれば報告するように!」
「一番隊、全員いまーす!」
ロディが遠くから手を振りながら言った。
「はぁ……お前の隊はお前だけだろうが!」
「新入りちゃんもいまーす!」
「ウィリアム隊長……二番隊ですがニコン隊長、ノウム副隊長共に居ません……」
「そうか……」
ウィリアムはロディを完全に居ない者として、点呼を進めていた。
「総員聞け! 今日からここにいる六名が、新たにどこかの隊に配属される! 一人は混在種だ!」
混在種――その言葉を聞いて、周囲がどよめく。
それだけ、僕は恐れられているようだ。全く自覚はない。
「とにかく訓練はみっちり行え! 戦場で仲間を失わないためにも! では解散!」
その時、隊の中で何かが反射し、光が飛んできた。
――なんだ?
その時僕は、徐々に乱れていく隊の中に、刃物を持った男がいるのに気付いた。
その男はさりげなくこちらに近付き、突如走り出す。
狙われているのは、ウィリアムだ。彼は新たに配属されるという隊員と話していて気がついていない。
マズい――、僕は咄嗟に彼の前に躍り出た。
「あ、刺さった」
男の持った刃物は、僕の右手を貫いていた。
しかしここまで冷静でいた自分が恐ろしい。痛覚が麻痺していることで恐怖心も鈍っているのかもしれない。
男はすぐに取り押さえられた。
遊園地での作戦でウィリアムに対し恨みを持っていた者の犯行だった。
僕は再び医療班の清水さんの世話になってしまったのだが、驚いたのは貫通した傷が一日で塞がってしまったことだ。
清水さんの治療の賜物かもしれないが、自分が徐々に人間から離別していく自覚があった。
この日の行動が讃えられ、僕は戦闘部隊の中で初日から有名になってしまう。
***
部屋に戻ると、既に秋夢は戻っていた。
ネットゲームに夢中になって僕の存在に気付いていない。
「ただいまー」
「……あ、安藤さん。ウォーロック氏から何か渡されたから……机に置いてある封筒見といて」
「あの人から? 何だろう……」
「たぶん、ICカードとか入ってると思う……。商業区画で使えるやつ」
「おお……!」
封筒の中身を確認すると、秋夢が言った通りICカードと、その説明書が入っていた。
封筒を逆さにしていたため、一枚の紙がこぼれ落ちる。
「何だ……これ」
拾い上げた紙には手書きで、ネットワーク管理室に来いといった内容が書かれていた。
入退室用のパスワードまで書かれている。
「……何があったし」
「い、いや! 何でもない。ちょっと用事が出来たからいってくる」
「うん……」
ウォーロックはネットワーク班のリーダーだ。そんな彼が僕に何の用があるのだろう。
彼とは面接の日以来、接点は無い。艦内で偶然出くわすことはあったが、特に会話もなく、すれ違っただけだ。
ひとまず、呼び出しをされているのだから向かう事にした。
途中、窓の外を見るといつの間にか艦は空へと飛んでいた。
部屋に入ると、電灯は付いていなかった。
並べられたコンピューターが自動でどこぞのネットゲームをプレイしていた。
画面内のプレイヤーやモンスター達は、明らかにおかしい動きをしている。
それらの明かりだけが部屋を照らしている。かなり不気味だ。
「……来たね、こっち」
部屋の隅にいたウォーロックが僕を呼ぶ。
「……凄いですね、あれ。ボットですか」
彼の隣の席に着き、訪ねてみた。
ネットゲームにおけるボットとは、不正なプログラムを作成しプレイヤーキャラクターを自動操作させる行為だ。
レアアイテムを大量に複製し、現金で販売することで収益を得ている業者もいる。
人気のあるネットゲームには大抵いる、電子の癌だ。
「稼げるところから稼がないといけないからね」
と、彼はそれだけ述べた。
「ところで、何の用ですか?」
「これを使う」
彼はそう言って、一台のノートパソコンを僕の前に置いた。
その画面には黒いウインドウが表示されていて、白いカーソルが点滅している。“プロンプト”というやつだ。
画面を見ていると、突然文章が表示された。
『パソコンは得意か?』
それで察した。これはチャットだ。
『それなりには』
僕はそう返信した。
『じゃあもう気付いてるね。これはチャットだ。だけど艦内のネットワークには繋いでいない。僕だけが使える専用線だ。こうでもしないと簡単にバレるからな』
『はい』
『時間も遅いし、最近ウィリアムに監視されているようだから、単刀直入に言う』
『はい』
『僕は君達の協力者だ』
「え……」
思わず、声に出してしまう。
しかし、それが霞む程の事実を、彼に突きつけられた。
『黒崎 神楽――いや、ルシフェル=ディーテはこの世界を滅ぼそうとしてる。訳あってそれを阻止したい』
その文章に対して、僕は返信ができなかった。
内容を理解出来ないという訳では無い。
騙されていた事に対する怒りと脱力感に支配され、茫然と黒い画面を見つめていた。その間も、白いカーソルは何度も点滅を繰り返していた。




