覚醒 - Ⅱ
『このパソコンは君にあげる。艦内には専用線が繋がってるから、必ずそこからアクセスするんだ。
元より、このアプリケーションは異なる回線では接続できないようになってるけど』
「わかり、ました……」
『外に出たらおそらくウィリアムが居るだろう。彼には“パソコンをもらっていた”と言え』
僕は、静かに頷いた。
チャットのログは彼が一人で発言しているように見える。それでもなお、彼はキーボードを打つ手を止めない。
喋るより早いからだろう。
『これから、毎晩二二時に君の部屋からログオンしろ。必要かと思われる情報は提供する。それを伝えるのは君の役目だ』
『スイフトオンラインの利用はやめたんですか?』
『ログの解析防止の為にいちいち言い回すのが怠すぎる』
『なるほど』
『今日はもう終わりだ』
「よし! 設定完了!」
唐突に、ウォーロックは外にも聞こえるほどの声量で、そう言った。
それに合わせて礼を言って部屋を出ると、ウォーロックの言った通りウィリアムが話し掛けてきた。
あたかも、偶然を装って。
「おう、安藤隊員! こんな時間に何をしてるんだ?」
「……いや、ネットワーク班の方からパソコンを受け取ったんですよ。その設定に時間が掛かって、ちょうど今終わったんです」
「なるほど……明日から早いんだ。八時に格納庫だ。寝坊すんなよ!」
彼を騙すことにはかなり罪悪感があったが、それよりも深刻な事実を知ってしまったのだ。
仕方のない事だと自身に言い聞かせ、僕は部屋に戻った。
明日から始まる生活に備え、その日は部屋に戻ってすぐに眠ってしまった。
***
真っ直ぐ助走を付け、防御用の盾を構えたウィリアムに殴りかかる。
僕の拳は鋼鉄の盾に衝突し、甲高い音を部屋に響かせた。
しかしその盾は微動だもせず、僕はウィリアムの力に押し返されてしまった。
「まだ躊躇いが見られるぞ! 訓練は殺すつもりで来い!」
「ぐ……」
何度も殴り、何度も押し返される。
それでもなお、僕は彼に立ち向かい続けた。力が欲しかったからだ。
いずれ僕達の戦闘部隊はサチュリやリュードを捕捉するために出撃するだろう。
その時になって、サチュリ達を守る力が欲しかった。言い換えれば、《ノア》を裏切る力である。
そのために、敵の懐で訓練をしているのだから、何とも不思議な光景だ。
聞くところによると、リュードを捕捉するため地上に降りた第二戦闘部隊――その隊長であるニコンとノウムが帰ってくる事は無かったらしい。
二番隊の隊員達はそこまで心配している様子も無いようだったが、あれだけサチュリの暴挙を叱っていたのだから、彼がその隊長達を殺す事はないだろう。
今では痛覚が遮断されていることに感謝をせねばならないかもしれない。
既に僕の右手は痺れ切っていて、殆ど腕の力に任せて訓練に励んでいた。
「少し休憩にする!」
僕の様子を見かねてか、ウィリアムはそう言った。
彼は普段と訓練の時ではまるで人格が違うようだ。少しうるさく感じつつも、大らかで優しさの溢れる男はこの時どこにもいなかった。
そこに居たのは、何処か冷徹な一面を持つ心身共に強靭な鋼のような男だ。
休憩の間も「拳に芯が入っていない」だとか、「姿勢をもっと低くしろ」だとか、ずっと助言をされていたため、少し苛立っていた。
そのため、ならば手本を見せてくれ、と僕は言ってしまった。
「ハッ! 生意気な野郎だな。いいだろう、これを持て。お前が一番衝撃を防げる姿勢で構えてろ」
ウィリアムはそう言って僕に鉄の盾を渡し、少し離れた場所で深呼吸をした。
来る――本能がそう告げた瞬間、彼は一瞬にして距離を詰め、僕を鉄の盾ごと吹き飛ばした。
僕より少し後に鋼鉄の盾が落下する音が響く。
柔軟な戦闘用のスーツを着ていたため、怪我こそしないが、今僕は彼の動きを目で追う事が出来なかった。
「俺の契約者は女性だが、これと同じ事が出来るぞ! だからお前にも出来ないはずがない! 諦めるな!」
この時、ようやく僕は確信した。《ノア》の戦闘部隊の強さを。
そして、自覚した。自分が誰よりも弱かった事を。
「一つ、聞いてもいいですか」
「なんだ」
「僕と一緒にこの隊に加入された方は、基礎訓練を重点的にしているようですが……なぜ僕はそれをしないのですか」
「お前は、混在種だ。既に体力は常人のそれを逸脱していることに気付け。訓練が始まって三時間経つんだ、その間お前はひたすら拳を振るい続けただろう。
だから体力を作る必要はない。身体能力と精神力がそれに追いつけばいい話だ」
全く気付かなかった。昨日手のひらを貫通した傷も、跡こそ残るものの塞がっているし、どうやら身体の構造が変化しているらしい。
これは彼なりの励ましなのだろうか。だとしたら、少し元気が出る。
「続きを、しましょう」
「ああ、悪くねえ根性だな!」
僕は、昼を過ぎるまでひたすらに訓練を続けた。
商業区で窓から望める広大な空を眺めながら。軽く食事をしていると、隣の席にロディが座った。昨日とは違う種類のアロハシャツを着ている。
「よぉ、ヒロポン、順調かい?」
「ひろぽん……?」
「弘樹なんだろ、名前。ならヒロポンしかねェだろ?」
「……ああ。まぁ訓練は何とか、やってけそうかな……」
昨日の事もあり、彼は僕の中で要注意人物となっている。
聞くところによると、彼は《ノア》の最高戦力らしい。一昨日までは《ノア》の誇る艦隊の第三艦、ヨーロッパ全域を中心に活動する『ドヴェルグヘイム』に出張に行っていたと聞いている。
彼の管轄する一番隊のメンバーは彼一人であり、それでも尚、他の部隊に引けを取らない戦闘力があるらしい。
軍隊としては英雄として語られる程の実力がある彼は、その歪みきった性格から“地雷”と呼ばれている。
「そうかい。ま、頑張れよ。午後からの訓練は俺が請け負う事になったかんな」
「ええ……」
「露骨に嫌そうな顔すんじゃねェよ。
今この艦には魔術を使える奴が俺しかいねェからな」
「でも俺、魔力の流れすらまだうまく制御出来てないんだぞ……」
「任せろ。手っ取り早い方法があっから」
「……それだけを伝えにここへ?」
「んー、まぁそうかもしんね。あ、そうだ。オレの隊に入る気はねェか?」
「それは他の人を誘ってくれ……」
ロディと居るといつ殴り飛ばされるか分からない。
常に警戒をしていなければならないので食事に集中出来なかった。
「そうかよ。ま、いいわ。“洗脳”だけはされんなよ、とだけ言っとくわ。さてと、準備してくるわ」
洗脳――?
どういう事だと、尋ねようとした時には既に彼は店を出ようと席を立っていた。
午後の訓練が始まった。
意外な事に、ロディに連れてこられたのは商業区にある温泉浴場だった。
「この指輪を着けろ」
手渡されたのは銀の指輪だ。まさか爆弾ではないだろうか、不安になる。
僕は右手の人差し指にそれをはめた。
「その指輪はこの世界で魔術を使うために必要なモンだと思えばいい。
まず知っとかなきゃいけねえんだが、魔界の魔術は四属の精霊っつー奴を媒介にしないといけねえ。
魔力単体だとどれだけダダ漏れでも無色だから視認は出来ねえ。まぁ水に絵の具を溶かすようなもんだと思えばいいぜ。
で、誰でも魔術をドンパチ出来るわけでもなく、人それぞれに精霊に対する適性ってやつがあるんだ。そいつの限界値とも言えるな。
魔界ではそれを分かりやすく数値化してくれる“鑑定士”っつー業者がいるんだが、あいにく地球には誰一人転移してこねえ」
「なるほど……例えば、ウィリアム隊長はどうなんだ? あの人、自分で魔術を使えないとか言ってたけど」
「あー……あいつは、特殊だ。何の奇跡を引いてんのか、どの精霊にも適性がねえ。そもそも魔力すら流れてるのか怪しいらしい。だけど喧嘩売ると負けるぞ、あの人マジツエェから。
かといって、オレも魔術の才覚は残念ながらねェんだがな……。炎がゼロ、風がゼロ、水がゼロ、土が少し――て感じよ」
溜息を吐きながらロディはそう言った。
どうやら僕をここに連れて来たのは、発火魔術の暴発を防ぐためだったらしい。
確かに格納庫は至る所に油や火薬がある。発火したら大惨事だ。
「で、俺はどうすればいいんだ?」
「あぁ、少し大人しくしろよ」
彼が背後に回ったと思った矢先、急に首筋にスタンガンを当てられた。
「悪く思わんでくれよ、ヒロポン。ちょっとお前を試させてもらうわ」
ゆっくりと落ちる意識の中、ロディがそう言ったのが分かった。
水の流れ落ちる音で目が醒める。
身体を起こそうとしてもうまく起き上がれない。手足に錠を着けられていた。
「何だ、何だこれ! おい、誰か!」
僕は熱湯が溜まっていく浴槽に倒れ込んでいた。
人を呼んでも誰かが来る気配は無い。
――まずい、溺れる。
咄嗟に顔を上向きにして錠を外そうとするが、ぴくりとも動かない。
ロディが、手っ取り早い方法がある、と言っていた事を思い出した。
このままだと死ぬ。
慌てて手に魔力を込める。指輪を着けたおかげか、体内を循環する魔力の流れが鮮明に自覚できた。
だからと言って、状況が変わる事は無かった。
「ロディ! 冗談はやめろ! そこにいるんだろ!」
僕は必死に呼んだ。浴場の入口近く、ロディが居るのが感覚的に分かった。
だが彼から返ってきた返答は卑劣な物だった。
「二時間ほどで湯が張れるらしいから、そしたら呼んでくれや、今日は貸切だ!」
「……ッざけんな!」
おそらく三十分もあれば僕を殺すだけの湯は溜まる。
それまでに何とかしなければならない。
せめて、足だ。足の錠を外せば浴槽からは脱出が出来る。
僕は足を浴槽の角に何度も打ち付けた。
しかし、いくらそうしたところで状況は変わらない。
既に僕を殺そうとする湯は首を飲み込んでいる。
――何故駄目なんだろう。
やはり、凡人は何をしてもうまくはいかないということだろうか。
せっかく、腕を通じて魔力を放出させるような感覚は得られたというのに、そこから出てくるのは虚無のみである。
僕が死んだら、ミヤちゃんは悲しんでくれるのだろうか。
そんな顔、させないような男になりたかった。
気が付けば、過去の記憶が走馬灯のように流れていく。
過去に遡るほど、こんな事してたんだ、と思う事ばかりだった。
今思うと、恥ずかしい。
苦痛な思い出も多かったが、結果的に生まれてきて良かったと思う。
親孝行、一度もしなかったな……。
記憶はどんどん過去へと進み、とうとう生まれる以前の記憶まで再生され――。
……待て待て待て。
僕は今、誰の記憶を見ているんだ。
映像は漠然としていて形も朧げだ。
紅い世界で誰かが手を伸ばして、何かを――いや、全てを吸い込んだ。
そこで、僕の意識は途切れた。
***
「ヒロポンー、生きてるかーい」
無気力な口調でロディは浴場へと戻った。
途中から音も無くなったから、そろそろ助けてやるかと、扉を開く。
「あァ? 何だ、これ」
湯が張ってあるはずの浴槽には少しの水分もなく、新たに流れ込む湯が、床に着いた瞬間、安藤のもとへと吸い込まれて消えていた。




