堕天 - Ⅲ
翌日。ミナシオンの南部にある街の広場に、多くの住人が集まっていた。
そこには、“人工大陸”と“地獄”を繋ぐ唯一の道がある。
シェミルのように“地獄”へ行くことを宣告された大罪人は、鳥籠の形をした鉄のリフトに乗せられ、この道を通して天から吊るされる形で“地獄”へと降ろされていく。
本来銀に光っていたはずの鳥籠と、それを支える鉄の紐は、長い月日を経て赤く錆びていた。
“地獄”から真っ直ぐと伸びる不気味な石の塔をいつからか人々は“赤銅の塔”と呼んでいる。
塔の扉が開くことは、滅多にない。今日、シェミルが裁かれるために開かれる流刑の儀は、実に三十年振りの事であり、世界中の記者や観光客、地元の住人達が物珍しそうにそこに集っていた。
広場に向かうシェミルには、ルーナとバルド、ウラノスが同行していた。
時折、六神がいることも忘れ、シェミルに向かって物を投げる攻撃的な者もいた。この人ごみなら気づかれることはない――そういう考えなのかもしれない。
しかしそれは、小石だろうが何かのゴミだろうが、ルーナとバルドによって完全に防がれ、場所は容易に特定される。
ルーナが少し睨めば、そういう者は尻尾を巻いて逃げ出すのだが、考えなしにそういった行動を起こす人々に、ルーナの苛立ちは募るばかりだった。
そして彼らはとうとう広場の中心、塔の入口へと辿り着いた。
『まったく……司法の国とは思えない治安の悪さですね。簡単にゴミを投げつけて……一体どういう環境で育ってきたんだか……』
ウラノスが溜息交じりにそう呟く。
「仕方ありませんよ、世界中から多くの人が集まっています。私にとっても大罪人の護衛など初めての事ですし、少々緊張しますね」
『ええ……私も、何もかもが新鮮で、楽しいわ』
ルーナとバルドは、ウラノスの言ったことに疑念を募らせる。
バルドはかつて、ウラノスと共にこの地で大罪人を裁いたことがあった。
目新しいことは一つもなく、現在の光景は時代背景こそ違うものの、かつてと重なる面が多い。
しかし、六神裁判以降のウラノスは、どこか楽しそうな雰囲気を醸し出していた気がした。
『――さて……。民衆よ! 静まりなさい!』
ウラノスは全ての民に聴こえるよう、声を魔術で響かせた。近くにいたルーナとバルドには、僅かながら静電気が流れるような音も混じって聴こえた。
『ただいまより、流刑の儀を執り行います。大罪人の名は、シェミル=オルディーナ=キュピレ。彼女は異界の者を独断で攻撃し、加えて神聖なる万物霊を認識する術を与えました――』
騒然とする民衆。シェミルはそれを目を瞑りながら静かに聞いていた。
――今、美夜子は何をしているのか、記憶の改竄が解け辛い思いをしていないか。
それだけを心配していた。
しかし、その後ウラノスから放たれた言葉に、目を丸くする。
『したがって、大罪人と密接な関係にある“地球”の住人、ミヤコ=マイジマを世界指名手配とし、ミナシオンの誇る中立の騎士団“パーシヴァル”を現地に送り、当人を捕えることとします!』
「な……! ま、待ちなさい! ミヤは関係ないでしょう!」
そのシェミルの訴えは、人々の歓声に揉み消され、彼らには届かない。
『いいえ。あります。まず一つ、天界の人々を安心させること。そして、野蛮な“地球”の民に、万物霊の力を与えることは、危険極まりない。
彼らはまだ、我々の存在に気付いていないです。しかし我々に干渉することは、方法が発見されてないだけであって、可能です。
そうなれば最後、始まるのは戦争。それは、何としてでも止めなければならないことです。もっと多くの人が死ぬことになりますからね』
そんなことはわからない――とは、シェミルも言い返せなかった。ウラノスは全能と言われている。起こると言ったことは起こる。どれだけ詳細な未来を知っているのかは、明かさないが、彼女はまごうことなきこの世界の神である。
「ふざける、なッ!」
代わりにシェミルは魔装を纏う。相手は六神の内の三人だ。しかも背中で手錠をされている。勝てる訳がないのは承知の上で、抗おうと吼えた。
人々はその恐ろしさに悲鳴を上げる。
だが、その直後シェミルを襲ったのは、とてつもない“重力”だった。顔を上げるのがやっとだ。人に踏まれる蟻のように、彼女はその場に平伏すしかなかった。
「…………大人しくしろ」
そう言ったのは、バルドだった。瞳は赤くなり、表面に繊細な紫色の魔法陣が刻まれていた。
いとも容易く魔装も潰され、シェミルは元の姿に戻される。
「……俺の仕事は……お前を安全に“地獄”へ送り届けることだ……。勝手に死なれては、困る」
『では、大罪人を中へ』
シェミルを襲う重力は消えたが、バルドに強引に引きずられながら、なすすべもなく鉄の鳥籠へと入れられた。塔の中は暗く、底はどこまでも暗く深い。
頭上からは支えとなる鉄の紐が、今にも千切れそうな音を発している。大罪人が暴れぬよう、そういった構造をしているのだ。
「シェミル」
ルーナは一歩前に出て言った。
そしてシェミルに掛けられた手錠を外し、彼女の手をとって一枚の紙を渡す。
「……これは?」
「――あなたの、ご両親からの手紙です。……あっ、おい!」
それを聞いたシェミルは、鳥籠から駆け出た。決して逃げるためではない。
逃げようとしたと勘違いした民衆は驚いた声をあげ、ルーナは腰の剣に手を掛けた。
だが、バルドの手がルーナのその行動を止めた。
シェミルは周囲を見渡し、必死に何かを探していた。
そしてようやく、それを見つけた。
泣き崩れた、両親を。
実家は、この国の真反対に位置する。列車に乗る金を手軽に出せるほど裕福ではないというのに、彼女の両親は無理をして、何も言わずに家を出たただ一人の娘のためにこの地に赴いていた。
民衆は皆、大罪人を早く裁けと言わんばかりの雰囲気をしていた。
だが彼女の両親だけは、「誰か娘を助けてくれ」と泣き叫び、必死に手を伸ばしていた。
今にも広場に乗り込もうとする父親が、警備の者に取り押さえられる光景を、シェミルは見ていた。
「……おい、戻れ。シェミル」
ルーナはシェミルにそう言えど、彼女に声は届かない。
シェミルは手紙を握りしめ、その場に泣き崩れていた。涙は止めどなく溢れ、ひんやりとした人工大陸の、半透明で平らな足場を濡らす。
その光景を見ていた人々の中に、僅かながら戸惑いの渦が生まれていた。
「……伝えてください」と、俯いた顔でシェミルが言った。
「何を」
「両親に、馬鹿な娘でごめんなさいと。そして、必ず帰還すると」
シェミルの瞳に、ただならぬ意志が滾っていることにルーナは気づいた。
「もちろんだ。必ず、帰ってこい。これは六神でなく、上司としての命令だ」
シェミルはバルドと共に、赤銅の塔へと戻っていった。
入口の重々しい鉄の扉は閉じられ、シェミルはとうとう“地獄”へと向かう。
その様子は、あらゆるメディアを通じて、世界中の人々の目に届いていた。
『これにて、流刑の儀を終了いたします!』
ウラノスは民衆に向けてそう言った。
人々は流れるように去っていく。
彼らの多くは、大罪人が裁かれていったと安堵しているだろう。
しかし、少なからず流刑に関して疑念を抱く者が現れていることを、ウラノスやルーナは薄々勘づいていた。
『ふふ、本当に面白いわ……』と、ウラノスが去っていく民衆を見送りながら呟いた。
「何がです?」
『“地球”にいる一人の若者の運命を、少し捻じ曲げただけで、私達六神の行動までも歪ませてしまうなんて……こんなに面白いことはないわよ』
ウラノスは、微笑みながらそう言った。
ルーナの驚く顔をよそに続ける。
『本当はその子は、学生時代に生涯を共にする相手と出会い、死ぬまで幸せに過ごすというのに……。
それが、少し背中を押してみるとどうでしょう。魔界人と契約を果たし、天界人の友人まで作り、そして結果的にその天界人を大罪人として“地獄”へと導いた……。
彼をとりまく運命が、まるで黒から白に反転したかのようにすら思えるわ』
「ウラノス様……もしかしてその方の名は――」
ルーナが震えた声で尋ねようとした瞬間、人ごみの中で銃声が三発、響いた。
人々の中から悲鳴が聞こえ、考える間もなくルーナはそこへ飛び込んでいった。
「大罪人の父親を殺したぞォ! これで俺は英雄だァ! ヒャーッハッハッハ!」
シェミルの父親が、撃たれていた。
銃を持った男は、それを構えたままシェミルの母の方を向く。
「つ、ぎ、は……ヒヒっ、お前だァ!」
再び銃声が響く。
その銃弾は、シェミルの母に届く前に、粉になるほどまばらに、斬られていた。
ルーナはシェミルの父に駆け寄る。倒れていたものの、幸い致命傷には至っていない。
しかし素人の目で見てもわかるくらい、出血をしていた。
呼吸も徐々に浅くなり、長くは持たないだろう。
「誰か……医者は居るか!」
ルーナは銃を構えたまま足を震えさせて硬直する男を無視し、周囲に呼びかけた。
しかし、反応がない。
「おい、しっかりしろ! こんなの……あんまりじゃないか。さっき約束したばかりだぞ」
既に、息は無かった。シェミルの父の目から光が徐々に失われていく。
これまでか……。と、ルーナが思った矢先、
『あたしに任せなさい』
と、どこからか聞いたことのある声が響いた。
「ルシフェル様……?」
『大罪人の身内、ね……。実験には、もってこいな人材じゃないかしら』
声のする方向に、姿は無い。
代わりに、ルーナの目の前に倒れ伏したシェミルの父親の傷口に、黒い砂のようなものが入っていくのが見えた。
「何だこれは……。実験?」
『刃神様は、医者でも探してきてくれるかしら。私が今できるのは、せいぜい壊れた人体を正常な状態に作り直す程度の、応急処置よ』
「わ、わかった……」
ルーナはルシフェルの言っている意味がこれっぽっちも理解できなかったが、医者を探せと言われたことはわかったので、そうすることにした。
『あ、ついでに。そこで震えてる犯人の処理も任せとくわ』
「ああ……」
シェミルの父を撃った犯人は、悲鳴をあげながら逃げ出している最中だった。
「それはもう、終わっている」
ルーナは犯人とは逆の方へ走り出す。
“何か”に足の腱を斬られて動けなくなった犯人を、その目で確認もしないままに。
『さてと、おーい。あんた聞こえてるでしょ。こんなところで死んでていいわけ?
あんたの娘は大罪人だけどね、必ず帰るって言ってたわよ。謝るって』
ルシフェルは、撃たれたシェミルの父親に向けて呼び掛ける。
同時に、胸部に電気を流し、彼の身体は大きく跳ねた。
だが、彼の意識は戻らない。
しかしルシフェルはこの時、父親からの意思ともいえる脳波を微かに捕えていた。
それは意識ともいえない微弱なものだったが、彼の生きようという思いは、確かにルシフェルの心に響く。
『それなのにあんたは、こんなところで寝そべって生涯を終えたいわけ?
違うなら、さっさと……、戻って……来いってのッ!』
ルシフェルは再び、電気ショックを起こした。
意識は戻らないが、止まった心臓は再び自分の力で脈を打ち始めた。
ルーナが医者をかついで、人間離れした速度で戻ってきたのは、それと同時のことだった。
医者は目を回しながらも、患者の容態を確認する。
そして一言、
「驚いたな……」
と呟いた。
『来たわね』
患者の背中に付いたスピーカーから声が流れ、医者は驚いてしまう。
『……私が出来ることはやったわ。あとはあんた達の仕事よ。助けなさい』
「意識はないが、心拍数は正常、銃弾も取り除かれ止血もされている……傷口を閉じているのは、金属か? これは一体……」
『助けられなかったら、地獄の使者が世界を滅ぼしかねないわよ』
「わ、わかった! すぐに搬送する。これなら大丈夫だろうが……あなたは何をしたんだ!」
医者の興味津々な問いに、ルシフェルは「別に……」と呟いた。
『……実験をしただけよ。擬態型生体ナノマシンのね』
「わ、我々は治療室で何をすればいい!」
医者も見たこともない医療技術に、困惑を隠せない様子だった。
『可能なら損壊した臓器の移植、あとは背中の傷口をなんとかしてやりなさい。
……ていうか、あんた医者でしょ! あたしは医療の現場なんてこれっぽっちもわからないし、このナノマシンは医療器具じゃないっつの。はやく救急車を呼びなさいよ!』
ルシフェルはそう言い残し、シェミルの父親の背についたスピーカーは、分離して霧散していった。
ほどなくして、搬送車が到着し、シェミルの父は一命をとりとめることになる。
「あ、あの! ありがとうございました。夫を助けてくれて……本当に!」
シェミルの母は涙を浮かべながら、ルーナにそう言った。
「……いえ、あなたの夫を助けたのは、シルギノスの女王、ルシフェル様ですよ。一体いつからこの場にいたのかはわかりませんが……」
そう言っても、シェミルの母は礼を言うのをやめずに、夫と共に病院へと搬送されていった。
気が付けば、ウラノスも何処かへいなくなっていた。
「先ほどのウラノス様との会話が事実ならば……。安藤君を早急に助けなければなりませんね……」
ルーナは、一人虚空に呟いた。
いつの間にか広場は、昨日までと同じように閑散としていた。
***
シェミルの乗る鉄の鳥籠は塔をゆっくりと下っていた。
塔の窓から明かりこそ射し込むものの、それは手紙が読めるほどに断続的なものでなく、速度に合わせて点滅を繰り返しているように見えた。
しかしその光景はバルドの魔術によって払拭される。
彼は周囲の光を一点に集めて、鳥籠に明かりを灯した。
「……一○分だ」
バルドが言った。これは彼なりの、シェミルに対する配慮でもあった。
シェミルは、両親からの手紙を読み始める。
幼い頃に、両親と幸せに暮らしていた光景が、脳裏に焼き付いて離れない。
貧乏であるが、あの時以上に幸福だった日々はなかった。
その思いは後悔を募らせると共に、かならず帰るという意思を、鋼のように固めていった。
シェミルが手紙を読み終える時、それは涙で濡れていた。
しばらくすると、バルドの光の魔術も消え、周囲から射し込む光も暗くなっていた。
時刻的にはまだ日中のはずなのに起きた出来事に、シェミルは警戒心を強める。
風が強く吹いているのか、鳥籠を支える鎖の軋む音が、先ほどより大きく鳴っているような気がした。
「大地を見たことがあるか」
「いいえ」
唐突なバルドの問いに、シェミルは答える。
「あなたは“地獄”にお住まいだから知らないのでしょうけど……。
私達は大地から目を背けて生きていますわ。“地獄”の民と目を合わせると、魂が食われ発狂する――とすら伝えられているのですからね。
しかも、下界を覗いても殆どが雲に隠され、地上が見えるのは稀なことですわよ」
「そうだな……」
シェミルの言葉に、バルドは否定をしなかった。
そして呟いた。
「……なぜ、神は我々を見捨てたのだろうか。なぜ美しかった世界を捨て、天に行ってしまわれたのか……」
『それをこれから解明しにいくのよ』
どこからともなく、声が響いた。
そこには、シェミルとバルドしか居なかったはずなのに。
黒い埃のようなものが周囲を飛び交い、不気味な羽音を立てて一点に集まっていく。
「何――」
「何者だ……!」
シェミルが『何ですかこれは』と言う間もなく、バルドは魔術を纏わせた拳を黒い物体に振るった。
だがその物体は拳の動きを計算していたかのように散らばり、再び別の場所で融合を始める。
バルドの拳は、鳥籠の壁を勢いよくぶち抜いて穴を開けていた。
鳥籠が大きく揺れる。
『あっ――』
シェミルと何者かの声が同時に響いた時、既に鳥籠は支えを失い、重力に従って地上へと落下していった。




