堕天 - Ⅱ
ルーナに向けられた極大の魔弾。それはゆっくりと、しかし確実に落下していた。
部屋一つを丸ごと飲み込む程大きなそれは、炸裂すればルーナだけでなく他の者も被害を被る事は間違いない。
ルーナは姿勢を低く剣を構え、跳躍した。その切っ先が、魔弾に触れようとした直後。彼女は弾き飛ばされ、剣を手放してしまった。
「やはり、普通の剣では無謀でしたか……」
ルーナは一人呟く。まだ、終わったわけではなかった。
「せめて、人の前に立つときは、私は一人の人間として、剣の流儀を重んじ接して居たかった。しかしそれでは、彼には及ばない。だから私も見せましょう」
彼女を纏う雰囲気が、変わった。ルーナは顔を伏せ、表情が伺えない。生気すらも感じられない。
先程までは、銀の鎧に銀の髪――全てが煌々としたその姿は、ある種の天使に見えていた。だが今の彼女はどうだろう。見た目こそ変わらないものの、その姿は天使ではなく、亡霊のように見える。
「五霊剣――銀月!」
ルーナは何もない空間から、剣を引き抜いた。
比喩ではない。彼女が手を伸ばした先には、確かに何もなかったはずだ。しかし彼女が虚空を掴んだ途端、まるで自我を持ったかの如く、空間は剣になった。紫の宝石が嵌められた銀の剣――それは確かに彼女の手中にある。
「アレク様、とくと御覧に。これが、私の持つ霊剣で最も強大かつ、最も異質な“虚無の剣”――まさか人の前でこれを使う事になるとは、思いませんでした」
ルーナは今にも炸裂しそうな魔弾に向けて、豪速で突っ込む。そして剣を振りかぶり――斬った。
魔力と結合した万物霊は、先程と同様に切り離され、虚空に溶け込んでいく。
法廷は、再び静けさを取り戻していた。
「……やっぱな」
アレクはそれだけ言い、部屋の出口へと向かった。
「アレク様、どこへ?」
「帰る。もう終わったんだろうが。エレベーターなんぞ使わずとも地上には帰れる。じゃあなクソッタレな神共が」
ルーナの問いにそう答え、アレクはさっさと行ってしまった。
『これでひと段落つきましたね。うふふ』
部屋は所々に傷が入り、もはや廃墟のようにボロくなっていた。そんなことは気にしていないかのように、ウラノスは嬉しそうに笑った。
「……何がそんなに楽しいわけ。部屋もグチャグチャじゃない」
ルシフェルは溜息を吐きながら尋ねた。彼女にとっては二度と経験したくない事になったのは間違いない。ただ、それぞれの強さを知る事が出来たのは収穫でもあり、恥でもあったと言える。
エレベーターではアレクに対してあれだけ大口を叩いていたというのに、彼の“八割”と言った本気に圧倒され、動く事すらままならなかった。
ルシフェルの力は魔術ではなく、機械技術――他の者にとっては異質の物だ。ゆえに同じ物差しで測ること自体間違っているのだが、それでもアレクとやり合っていたら負けたのは確実にルシフェルの方だった。
ウラノスとバルドは何もしてないが、前者は絶対神であるし、後者も得体が知れなさすぎる。ゆえにルシフェルは恥をかいたと後悔を募らせた。
『知っての通り、この宮殿は建造物というより、一つの概念よ。絶対不変の世界の法則と言えば分かりやすいかしら? それが、アレクの手によって傷を付けられた。ここまで言えばわかるでしょう』
「……まさか」
『――彼もまた、“神域”に近付いているということよ。それはつまり、僅かでも私が死に近付いたということでもある。ふふ、なのに何故か嬉しいのよね。我が子を想う母親ってこんな気持ちなのかしらね』
「――それでもまだ、私が“神域”に近いわけ?」
ルシフェルは尋ねた。自分の力ではこの宮殿に傷を付ける事など出来ない。まして、他の神よりも圧倒的に弱い事を思い知らされたというのに、なぜ自分なのか理解が出来なかった。
『ええ、そうよ。概念に触れるのが一段階だとしたら、あなたに一段階の達成は無理ね。だけど、あなたは既に二段階――私に怪我をさせるための糸口を、見つけつつあるのよ。一段階を無視しちゃってね』
ルシフェルには全く心当たりがない。自身の機械技術が重要なキーになる事は大方予想が出来たが、神の築いたセキュリティをハッキングするなど億の年月が流れてももはや“無理”である。解錠し終える前に生命が存亡しているのかも怪しい。
「……そう。で、何段階クリアであんたに会えるわけ」
『何を言ってるの。私はここにいるじゃない』
ウラノスはそう言って答えをはぐらかした。ようは、教えないということである。
『――さて! これにて閉廷と致します! ルーナ。被告の介抱をお願いしてもよろしいですか?」
「ええ、勿論」
「では、三十分後に地上へ戻るエレベーターを発進致します。遅れないようにお願いしますね」
ウラノスはそう告げ、大罪人シェミルの処遇を決める六神裁判は幕を下ろした。
この日、六神は皆、それぞれの進むべき道を新たに決する事となる。
帰り際、窓の外では太陽が天界の地平線に沈んでいくのが見えた。
***
夕刻、エレベーター乗降口の警備を務める二人のスーツ姿の男の前に金色の魔法陣が展開された。
「なんだ……?」
一人がそう言うとほぼ同時に、魔法陣から祭服を纏う青年が現れた。――教皇アレクである。
「アレク様、正統な手順で帰ってこられましたか?」というスーツの男の問いに対し、
「いやはや。どうも私には彼らの圧力に耐えられんようでね。気分が悪くなってしまったので、逃げ出してしまったよ」と、苦笑混じりに答えた。
アレクはあれだけ口が悪くとも、世間では神聖な教皇である。ゆえに一般市民の前では本性を隠す必要があった。
元々アレクも、その我儘さと、煽りに対する耐性の低さを除けば、勤勉な人間だ。
触らぬ神に祟りなし、とはまるで彼の事を知った者が作った言葉であるかのようである。
「“白銀の塔”の麓はご覧になられましたか?」
男は淡々とアレクに尋ねる。“白銀の塔”とは琥珀金の宮殿とこの人工大陸を結ぶ軌道エレベーターの別称であった。だが、最近は“アステルの塔”と呼ぶ者が多い。
しかし何故そんな事を尋ねるのか、アレクには疑問だった。塔の麓はスーツの男の肩越しに望めるからである。
「……何を仰っているのか、よくわかりませんね。私は、転移魔術で此処まで帰ってきただけですよ」
「左様でしたか。ご無礼をお許し下さい、教皇様。本日はご多忙の中お越しくださりありがとうございました」
スーツ姿の男はアレクに頭を下げた。アレクは内心面倒だと思いながらもその場を丸め、そそくさと退散した。
人々の行き交う街中を、祭服を着た男が一人、歩く。本来、頭上には満天の星空が広がっているはずなのに、それはビル群や街灯に遮られ、その場はもはや昼間のような眩しさに包まれていた。
道行く人々は、珍しい物を見るかの如く手元の携帯で写真を撮る。その風景は、さながら地球のそれのようであり、アレクは不快に感じていた。
しかし、彼の怒りが爆発すれば、たちまちこの地は焦土と化す。それはやってはならない事だ、と保身の為を考えながら、時には手を振る小さな子にお返しをし、アレクは駅へと歩みを進めた。
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駅に着くと、祭服の男達が数名、待機していた。周囲を行く人々は皆わかっているのだろうが、知らぬ者らから見ればその光景は怪しすぎた。皆が、アレクの住まう大聖堂の司教である。
「お待ちしておりました。教皇様」
頼んでもいないというのに、執務室から外の行動には常に彼らが引っ付いて歩き、媚びを売る。次期教皇の座を狙っているのだろう。先代の教皇は既に他界したアレクの実の父である。巷では教皇はいつから世襲制になったのだと嘲られているのは嫌でも教皇本人の耳に入ってくるし、目の前にいる司教達も不満を募らせているに違いない。
ゆえに、アレクには信用をしている――本性をさらけ出すことが出来る部下がいなかった。
――ただ、一人を除いて。
「ああ、ありがとう。しかし少し疲れてしまったのでゆっくりさせてください。皆様に神聖な神のご加護があらんことを……」
彼らが数分待っていると、すぐに列車は来た。アレクは司教達とは別の車両に乗り込み席に着く。目を閉じてひと息つくと、隣の空席に誰かが座る気配がした。だが見ても、そこには誰もいない。
「……またタダ乗りか。アリア」
アレクは虚空に静かに投げかけた。
「あら、気付いてた」
何もいないのに声だけが響く。品のある、少女の声だった。
「他にも客がいるぞ。ずっと透明でいるつもりか」
「ま、人は意識の外で起こった変化には案外気が付かないものです。そう、例えば突如教皇の目の前に天使かと思う程の、美少女が現れてもね」
そう言ってアリアと呼ばれた彼女は姿を現した。深くフードを被っていて顔は見えないが、口元は不敵に笑っているように見えた。
「そんな魔女のような姿でよく自身を天使だといえるな」
「……そう言うなら、教皇様の財力で可愛いドレスの一着でも買ってくれたらどうです」
「いちいち思想が古めかしいな。祭服ですら目立ちに目立つと言うのに、ドレスなんかを着て街中になんか出てみろ。その贅沢は羞恥の的だぞ」
教皇としてあるまじき失言を連発するアレク。それはそれだけ目の前の彼女の事を信頼している証でもある。
「女の子は誰だってお姫様になってみたいものですよ。――つーか、今の発言。まんまどこぞの記者にでも売りつけてあげましょうか?」
「……疲れている時に面倒な話を持ちかけるな。今は、執務外だ。執務外。
お前、奴らの面倒臭さを知らんからそんなことが言えるんだぞ。一つの失態で、わぁわぁと騒いで、そいつがこれまで築いた実績など完全に無視で人格まで否定してくる。父が禿げた原因は間違いなく、奴らだ」
「……冗談ですよ。それにしてもやけに静かですね。そんなに疲れたんだ」
とにかく喋る女だな。アレクはいつも思っていた。どこかに台本でも隠し持っているのではないか、疑ってしまうほどだが、しばらく列車に揺られた後は再び面倒な執務が待っている。アリアの声は無視して、少し眠ることにした。
「それにしてもそんな暑苦しい格好してていいんですか? 一枚くらい脱いだら」
「…………」
無視した。
「……見てるこっちが暑くなってくるじゃん。私が脱ごうかなー……」
「…………」
無視した。そういうのは、想像するから楽しいのである。こいつは、何もわかってねえな。
アレクは心の中でそう返しておいた。
「それにしてもぉ! そんな暑苦しい格好してていいわけですかー! アレクさん!」
「うるせえっ! 少し寝させろァ!」
突然耳元で叫ばれて、アレクは驚き、怒りを露わにした。
しまった、と思って周囲を見渡すが、乗客は気付いていないようで、静かに列車の旅を満喫している。
「な、何が起こってる……」
「もう……びっくりさせないでよ」
「ッ――!」
気がつけば、アリアの被ったフードは外れ、澄んだ空の色をした髪が露わになった。彼女は美少女を自負するだけのことはある風貌を備えている。
しかし、その髪色や体型が楽しそうに過去を語る狂った少女に重なり、アリアの肩にかけた手を震わせてしまった。
「……? あなたに会っていない間、私が鍛練を怠っていたとでも? かつては触れたものを自由に透明化出来たこの魔術――今は、触れなくても発動出来るようになりました。しかも、声もです。音を透過することで周囲に防音の効果をもたらす事も出来るようになったんです。すごいでしょ。
今は私達の周囲に透過壁を形成してるので、声は周りには聴こえません」
アリアの魔術は、発動前の魔法陣ですら無色透明である。それは自分でも見えないらしく、学生時代はよく苦労していた。
「……ちなみに」、とアリアは加えた。
「今隠してんのは、音だけなんで。教皇様が今、幼気な少女を列車内という公共的密室空間で押し倒している姿は誰の目にも映っちまうんで、それだけはお願いしますね」
「…………あ?」
アレクは一瞬で思考を整理して、大慌てでアリアから離れた。そして周囲を見渡す。座席の上から顔を覗かせる幼児と目が合った。
笑顔を引きつらせて手を振ったら、「なんや、おもんな」といった面持ちで姿を消した。席に着いたのだろう。
「よし、あいつだけだな! あの仏頂面のガキ許さん。あの年齢なら強引な記憶改竄も――」
「別にいいじゃないですかそんなことしなくても。子供ならただの喧嘩にしか見えないでしょ」
「誤解を招く言い方をすんな! 俺にそっちの気はねぇよ!」
アレクの目の前にいるのは、まだ十七にも満たない少女である。しかしアレクと共に天界有数の魔術学校を卒業した経歴を持っている。
魔術に関しての知識はかなりの物だ。今もその若さにして学者の肩書きを持ち、魔術の開拓を進めているのだとか。
「よし、元気になりましたね。……一体、何をしてたんですか、天上の宮殿で」
「はぁ……? ……別に、ちょっとばかり氷神の素性を聞いて、ちょっとばかり刃神と殴り合いになっただけだ。気にすんな」
あまりアリアを他の六神に関わらせたくはなかった。騒動に巻き込まれれば、透明化しか出来ない魔術師など気に留められることもなく死ぬ。
それはアレクにとって絶対に避けたいことである。
「……そうですか。そりゃ大変でしたね。休息の邪魔をしてすいません。ごゆっくり」
「ああ……わかりゃいい」
幸いアリアはそれ以上踏み込んでくることはなかった。
アレクは目を閉じる。ようやく眠れる――意識はゆっくりと、夜の海のように暗い場所へと沈んでいく。
しかし、突然鼻の頭に風が吹き意識の水平線に曙の光が差し込む。
今度は何だ、と目を開くと視界いっぱいにアリアの顔面が広がっていた。だがアレクも今回は冷静に対処をした。
「休息の邪魔をしてすいません。って誰が言ったっけなぁ……」
「あら、起きてましたか」
アリアはアレクの横の席から上体を伸ばし顔を近づけていた。
「まだなんか用か……」
「いえ、ここは正妻らしくおやすみなさいのキスをしようかと――」
「誰がいつお前を正妻にした! 席に縛り付けるぞ!」
「そ、そういうプレイがお好きなら……」
その後、アレクは先の戦いからごく僅かに回復した魔力を使い光のロープを形成。アリアを縛り付けて放置することによってとうとう安眠を手に入れる事が出来たのである。
アリアも満更でもない様子で、アレクによる放置を愉しんでいた。
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列車は、アレクの住まう聖地アレゴルの駅へと着いていた。
列車から降りた後、駅の構内で司教達がアレクを探していた。というのも、わざわざ司教に引っ付かれるのが億劫だったアレクは、アリアの力で姿を隠したのである。
彼女の口数は司教総出でもいい勝負をするくらい多い。しかしアリアと同行した方が精神的にずっと楽だった。
年齢はかけ離れていようが、学生時代を共にした仲である。そういった者は他にも多くいたが、教皇という立場になって以来、彼らはどうも遠慮気味になってしまった。そこからすぐに疎遠になるのは、誰もが予想出来る事だ。
聖地アレゴルのあるデルテリア空中大陸――人工大陸とも呼ばれる――は十数の国から成り立っている。
その中心にあるのが聖地アレゴルであり、その大陸で最も人の集まる中枢国家である。ルシフェルの統治するシルギノスほど科学技術が進展しているわけではないし、人工大陸全体で言えばまだまだ発展途上の部類に入るだろう。
国の中心には、平和を象徴する女神“エリス”の、高さ三百メートルにも及ぶ石像があり、それが国のどこにいても必ず見えるように、街並みも造られている。その石像が誰の手によって造られたのかはどの史実にも記されていない。ただ、かつて起こった大戦争の後、平和を願い造られたということは記されている。それはもはや国の枠を越え、世界のシンボルとも言える巨大な芸術であった。
時は既に日付が変わり、一時間ほど過ぎた深夜だった。数時間も列車に揺られれば当然の事だ。
この大陸は世界的に見ると狭いため、反重力列車〈ビヴロスト〉の駅は一つしかない。ゆえに住まいが他国の者は、大陸間移動を行うのに聖地アレゴルへと赴く必要があった。
無論、陸上を走る列車――いわゆる、私鉄は用意されてるので、そこまで交通に不便があるというわけではない。
既に道行く人々は殆ど居ない。皆が、家に帰って寝静まっている時間だった。
アレクはアリアと共にまだ暗い街を歩き始める。司教達には先に帰っていると電子端末で連絡を残していた。
「つまらんな」と、アレクは呟いた。
「何がです。私と居ることですか」
「違う。街並みだ。万物霊に不可能はないと言われているが、痒い所に手が届かん事はよくあったろ。だが、機械の王が生み出した科学技術はそれを補い、今や魔術を超えようともしている」
「別に世の中は良くなるのだから、良いんじゃないですか? 彼らの思想は別として、私は機械も魔術と同じくらい好きですよ」
「そうだな」
アレクは空を仰ぐ。道の向こうには女神の石像が見え、ライトアップがされている。
天界の人々が住んでいるのは雲の上だ。ゆえに本来ならば、そこには美しい星空が広がっているはずだった。
しかし、目に映るのは近未来的な構造をしたビルばかり。窓ガラスから漏れる光が点々としているだけだ。
「……俺は小さい頃から星空を見るのが好きでな。よく、あの女神像の頭頂部に座って星を眺めていたさ。
だが、ルシフェルが王に即位し、技術革命の波は一気に押し寄せた。それは世界中の金回りを良くしたし、歴史的にも英雄的な存在として名を残すだろうな。
だが人々は中々気づかんが、奪ったものもある。何だと思う?」
「……星空?」
アリアは自信なさげに語尾を上げながらそう答えた。普段のアレクなら「お前はバカか」と呆れるから、アリアは今回もそうなるんだろうな、と思っていたのだが、結果は違った。
「そうだな、半分は正解だ。技術の革新が奪ったのは、景観の美しさだよ。
昔は大陸の殆どの場所から見えていたらしい女神像も、今やその一割にも満たん一国しか見えん。それだけでなく、空を埋め尽くしていた星空を、鋼鉄の塔が喰らっていった。
そうして世界は徐々に並列化されている。
正直、教皇という役職がこんな怠いとは思わなかった。だけど六神である事も加えて、発言権はあるはずだ。こんなクソッタレな世界、どうでもいいが、生きてるうちにそれだけは何とかしたいと思ってんだ」
「ふーん。見ないうちに、アレクさんも大人になってるんですね。ちょっと煽っただけで大噴火してたかつてのあなたと比べれば、かなりの進歩ですよ」
アリアは嫌味を込めたような口調でそう言うが、それは彼女なりの褒め言葉だった。
「うるせえな、ガキ」
「ふふ。でもアレクさんが天体観測かぁー。なんか笑えるな」
「オイ……。つか、どこまで着いてくるつもりだ」
話しているうちに、アレクは大聖堂に着いていた。アリアは一人だけ透明化している。どれだけ姿を隠しても、気配でバレバレである。彼女は隠密行動には向いていない。
大聖堂の門前には警備の者がいた。
「アレク様! なぜこんな時間に――てっきり、宿泊施設を利用されるかと……」
「いや、すぐにでも執務に戻りたいと思ってね。司教達に頼み込んで徹夜で帰って来たのだ。まぁ、私はまだ若いので、案じなくて構わないですよ。こんな時間まで、お勤めご苦労様です」
アレクの背後からは、笑いを堪えきれずに空気を漏らすアリアの気配がしたが、警備の者はそれに気づいていないようだった。
アレクは門を潜り、大聖堂の中へ入る。既に中には誰も居なく、ステンドグラスから差し込む幻想的な光が部屋を僅かに照らしていた。
「ひぃ……さすがに暗い時に来ると怖いですね。なんか出そう」
アリアは透明のままアレクに引っ付く。はたから見れば透明人間の方が怖いということにアレクは触れなかった。
「灯り点けないんですか! 怖いんですけど、割とマジで」
「ここは俺の部屋じゃねえ。つか、帰れよさっさと」
アレクは奥にある扉を通り抜け、階段を登り、ようやく自室に着いたのか明かりを灯した。
「ふう……。結構広いですねアレクさんの部屋。何気に来るの初めてだ」
「何しに来たんだよ一体……」
アレクも半ば困惑していた。さすがに、他に誰もいない家に男女が二人きりというのは、例え相手の歳がそれなりに離れていても意識してしまうものである。
「いやぁ、結構勢いなんですよねー。アレクさんの話が面白いんで、ついつい着いて来ちゃいました。てことで、お茶よろしくぅ」
「はぁっ? 意味がわからん! 俺ぁ風呂入って寝る。なんか飲むなら適当に漁っとけ」
そういってアレクはそそくさと浴室へ向かってしまった。アリアは一人部屋に残される。
「はぁー。アレクさん可愛いなあ。彼女とか――いないよね、あの素振りじゃ。一生出来ないんじゃないかな……」
アリアはソファーにもたれかかりながら、呟いた。そして、何かを閃き、立ち上がる。
「適当に漁れと彼は言った。つまり許可は取った」
声に出しながら、思考を整理する。
「私は今、とても気になることがある。果たして教皇はエロ本を読むのか」
思い立ったが吉日と言わんばかりの勢いで、アリアは部屋を漁り始めた。布団の下、衣服をしまうクローゼットの中――見つからない。
もしかしたら冷やしているのかも、と冷蔵庫の中を見ても無い。飲み物はあったので、頂いた。
「――もしかしてアレクさん。不能ならぬ無能か」
そう言いながら、机の中を開く。しかし、目的のものはなかった。
だが、アリアの目にとある冊子が映った。
「何だこれ……『光波増幅実験の記録』?」
アリアは冊子をめくり、中を見る。そこには、写真付きで悲惨な光景が映し出されていて、驚きのあまり床にそれを落とした。
「な、何いまの。なんでこんなのをアレクさんが――」
「六神にも、色々あんだよ」
答えたのは、アレクだった。先程とは別人のような雰囲気を纏った、教皇ではなく、六神のアレクだった。
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「ん…………」
重い瞼を開くと、アリアは寝かされていたことに気付く。アレクの部屋に置いてある、やたら大きなベッドである。
そして思い出した。眠ったのではなく、気絶したのだ。本気で殺されるかと思って、恐怖心に支配された本能は、意識を落とす選択をした。
だがアリアはこの通り、外傷もなければ布団を掛けて寝かせられていた。運んだのがアレクだということは容易に想像が付いた。
「アレクさん……?」
見渡すと、アレクはベッドの脇の椅子に座り、壁にもたれ掛かって寝ていた。看病をしていた形跡もある。
「おーい、アレクさん?」
「ん……」
まだ少し恐怖心を募らせたまま、恐る恐る声をかけると、アレクはゆっくりと目を開けた。
「え、えとぉ――」
「起きたのか。俺の部屋で見たもの、覚えてるか」
「……はい。なんですか、あれは」
思い返すのも億劫だった。
見渡す限りの焼け野原、身体を燃やし皮膚を溶かしながら街灯に群れる蛾のように、水を求めて川に集まる人々。
「俺が、やった事だ」
一番、聞きたくなかった答えを、アレクは静かに告げた。
「う、嘘。どうして、そんなことを……」
アリアは涙目になりながら、声を震わせて尋ねる。
「“神域”に、到達するためだ」
「あなたは、どうしてそんなに神様が嫌いなの……。宗教が儲からないから?」
「まぁ、それもないと言えば嘘になる。だが、昔から思ってた。神は平等じゃねえ。というより、世界の全てを見ていない。手の届かないところに、本当の地獄が実在してんだよ。地上とか、天上とか、もはやそんなこと、関係ねえ。先程の裁判で俺はそれを確信した」
「意味がわかりません……! いつどこで行った実験ですか! ……惨すぎますよ……」
「十年前だ。攻撃は今も続いてる」
それを聞いて、アリアは驚き目を丸くする。
「十年……あなた、まだその時十五歳じゃないですか。そもそもそれじゃまるで“魔法”を使っているみたい……。あなたは一体、どういう精神をしているんですか……」
「……どうとでも言え。だが、他人には言わないでくれ。――お前を、失いたくない」
それは雰囲気によっては、愛の告白のような響きの言葉である。しかし今のアリアには、脅迫にしか聞こえなかった。
「……戦争を、起こすつもりなんですか」
「…………」
アレクは何も答えない。目的を明かすわけにはいかなかった。
――どうか、アリアよ許してくれ。俺が無能なばかりに、神域への門を己の力で開く事が出来ないのだ。
アレクは彼女にそう伝えたかった。彼女に助けを求めたかった。
だが六神はもはや孤高の存在。戦いに彼女を巻き込むわけにはいかなかった。
言葉にはしないが、彼女はアレクにとって大切な人であったから。
「帰りますね。……しばらく、会う事は無いと思います。他人にはもちろん言いません。ですが、少しショックを受けました。――では」
「……ああ」
アリアは、夜道を一人帰っていった。彼女の住まいは走ればそう遠くない距離にある。
「えっ、何――ッ」
だが、アレクの言うところの“実在する地獄”の魔の手は、不幸にも彼女を見つけ闇へと引きずり下ろし、消えていった。
美しい女神の石像の頬が、軋む音を立てながら、僅かにひび割れ崩れていた――。




