第1話 私たちの世界②
廊下に出てみると、そこは食堂を目指す同級生たちでごった返していた。熱気と喧騒の中を二人で掻き分け、階段の踊り場にある自動販売機へと向かう。
無機質な電子音を奏でる自販機の読み取り部に、二人は慣れた手つきで端末をかざし、電子マネー(キャッシュポイント)で決済を済ませた。
ガコンッ!
重厚な音とともに取り出し口へ転がり落ちてきたのは、鮮やかな橙色に光るボトル。先ほどせつなが授業で解説した『ポーション』だ。
キャップをキュッと捻って開け、二人はまるで部活終わりの牛乳でも流し込むような勢いで、豪快にボトルを煽った。
「……ぷはぁっ! ……にしても相変わらず甘ったるいな、これ!」
空になったボトルを見つめながら、椿がうげぇと眉をひそめて文句を垂れる。
「ふふっ、これでも昔のエナジードリンクに比べたら、随分飲みやすくなったそうよ?」
一口遅れて飲み干したせつなが、口元を制服の袖で拭いながらフォローを入れた。人工的な独特の甘みが喉に残るものの、ポーション特有の清涼感がじわじわと全身の細胞へ染み渡り、頭がすっきりと冴えていく。
「へぇ〜。昔のやつなんて、泥水みたいな味だったんじゃないの?」
「さあね、どう体感するかは人それぞれじゃない? ……ところで椿、午後の模擬戦の調子はどうなの?」
せつなの問いかけに、椿は口端を釣り上げ、ニヤリと挑戦的な笑みを浮かべた。
「誰に向かって聞いてんだよ! 楽勝に決まってんだろ、そんなもん! そういうお前こそどうなんだよ?」
「ふふ、あんたこそ、誰に向かって言ってるのかしら?」
互いに自信満々な問い返し。一瞬の静寂のあと——
「「ふっ……あはははは!」」
どちらからともなく破顔し、二人の弾けた笑い声が静かな階段の踊り場に心地よく共鳴した。
「……よし、そろそろ食堂行くか!」
「そうね!」
二人は同時に頷き合うと、空になったボトルをリサイクルボックスへ放り投げた。そして弾かれたような足取りで、賑やかな食堂がある一階を目指して階段を駆け下りていった。
◇
食堂の大きなガラス扉を押し開けると、そこは全学年の生徒が集う熱気と喧騒の渦だった。
広大な空間の天井にはホログラムの仮想モニターが幾つも浮かび上がり、端正な顔立ちをしたAIアナウンサーが淡々と「世界の終わりの始まり」を報じている。
『今日は何を召し上がりますか?』
注文カウンターでは、ポニーテール姿の美少女AIホログラムが、プログラムされた隙のない完璧な笑顔で出迎えてくれた。
「私は『鯖の味噌煮定食』。ご飯は普通盛りで」
「アタシは『肉豆腐丼』! ご飯は大盛りで頼む!」
注文を済ませて受け取りカウンターへ移動すると、脚部に小型戦車のようなクローラーを装備した無機質な給仕ゴーレムが、滑らかな動きでトレイを運んできた。ゴーレムのセンサーに端末をかざしてスマートに決済を済ませる。かつてのコンビニの無人レジが進化したこのシステムも、今の彼女たちにとっては当たり前の日常だ。
二人は海を一望できる窓際のテーブル席に腰を下ろした。
窓の外に広がる穏やかな青い水平線とは対照的に、天井のニュース番組から届く音声は絶望的な暗雲に満ちていた。
『——速報です。フランス政府の発表によれば、ギルディアナ軍がコルシカ島を完全に制圧しました。これにより、北イタリア全域が敵の超重爆撃機の有効射程圏内に没する恐れがあります……』
「「いただきます」」
胸の前で手を合わせつつも、二人の視線はホログラム映像に釘付けになっていた。せつなは一口ずつ噛みしめるように、椿はガツガツと豪快に箸を動かす。
周囲の生徒たちの会話も途切れ、食堂の空気が一瞬にして冷え切っていくのが分かった。
「……コルシカ島か。あそこを落とされたら、西欧から欧州の中央部まで一気に爆撃の餌食だな」
「それだけじゃないわ。北アフリカの空域まで筒抜けになるわよ。高度二万メートルの上空を飛ぶ怪物相手じゃ、地中海なんてただの水たまりも同然だもの……」
いま、全人類は『帝聖大ギルディアナ帝国』という圧倒的な外敵の脅威に晒されている。
侵略の始まりは四年前、二一三九年八月三十一日。
突如として国連議会の通信をジャックし、世界中に響き渡った宣言——マインカイゼリン・セイレーンと名乗る皇帝からの声明だった。
『我ら帝聖大ギルディアナ帝国は、至高なるマインカイゼリン・セイレーン陛下の名の下に、全人類へ告ぐ! 直ちに我が帝国の威光を受け入れ、全領土を返還せよ! 拒絶する場合は、ただちに全面戦争へと突入するものである!』
最初、ネットの住人たちは「また痛い新手のテロ予告か」と鼻で笑い、各国の首脳陣もあまりの荒唐無稽さに、わずか五分で審議を打ち切った。だが、その嘲笑は翌日、絶望の悲鳴へと変わることになる。
翌日——九月一日。
SF映画から飛び出してきたかのような超常的な兵器群が、地球を蹂躙したのだ。
圧倒的な軍事力の前に米太平洋艦隊は一晩で壊滅。日本周辺もマリアナ諸島を奪われ、本土は定期的に飛来するギルディアナ帝国の爆撃の恐怖に怯える日々を余儀なくされていた。
街には魔法技術による『防壁術式』が張り巡らされているとはいえ、いつ破られるとも知れぬ爆撃の恐怖が消えることはない。
そして何より——自分たちも、遠くない未来にあの血生臭い地獄の戦場へ赴くことになる。
いや、『准尉』の軍事階級を持つ士官候補生の二人にとって、それは「いつか」という他人事ではなく、「目と鼻の先」にある逃れられない現実だった。
「……奴らの超重爆撃機、航続距離は二万四千キロ超えだったわよね。テニアン島から飛ばされたら、東アジア全域が丸呑みよ」
「けど、それは片道飛行の話だろ? 燃料と魔力の消費を考えれば、無事に往復するには途中に中間基地が必要になる」
「だからこその、今回のコルシカ島占領……ってわけね」
周囲のテーブルからも、緊迫した同じ話題が聞こえてくる。
戦況がさらに悪化すれば、この学校での教育期間は途中で切り上げられ、明日にでも泥と硝煙が舞う最前線へと駆り出されるかもしれない。
窓の外に広がる、どこまでも静かで穏やかな相模湾の海を見つめながら。
二人は冷めかけた昼食を、自らの運命を祈るようにゆっくりと口へと運んだ。




