第九十三話 最終試合の前
弘が駐留兵詰所を出たとき、空は既に白み始めていた。
(ハアアア、やっちまったなぁ……)
詰所前で立つ弘は、その肩を落としている。
先程の娼館オーナーとの交渉により、大金を投じてグレースを身請けすることが半ば確定したからだ。しかも、不足額を今日の闘技場で稼ぐことになっている。
(なんでこんな事になっちまったんだ? いや、これで良かったのか?)
試合に出るのはかまわない。闘技場側との契約で、10試合を闘うことが決められていたからだ。その最終試合が今日の試合なので、グレースの件とは関係なく、弘は闘技場で闘うことになる。
大金を支払うのだって抵抗は感じない。どうせアブク銭のようなものだし、それをパアッと使い切るのは気持ちいいはずだ。『はずだ』というのは、日本円に慣れた弘が金貨等、こちらの貨幣について今ひとつピンときていなかったことによる。
(ゲーセンのメダルとか、ゲーム内通貨みたいな気分なんだよな……)
実際に物品購入ができ、飲食もできて宿にも泊まれる。揉め事だって、今回のように金額さえ都合がつけば解決可能。それでもまだ、弘は『現金』を使っているという気になれないでいたのだ。
(そのうち慣れるんだろうが……いや、今はグレースを身請けることか)
試合に出るのも、金を払うのも構わない。
だが、グレースを身請ける……と言えば多少は聞こえがいいが、その実態は人身売買に他ならないのだ。
そこが弘の思う『やっちまった』な部分であった。
「後悔しておるのかね?」
背後から声がかかる。
振り返ると、そこにガウンの上からマントを羽織った娼館オーナーが立っていた。その周囲には、カレンとシルビア、そしてグレースが立っていた。
「若い兵隊さんに、古マントを恵んで貰ってな。こういう時は、他人様の情けが身に染みる」
「そりゃあ良かった。人に良くして貰ってありがたいと思えるうちは、まともな人間ってこった」
言いつつ弘が歩き出したので、他の者達も続いて歩き出す。向かう先は、ギルド支部……その2階の宿である。
弘やカレン達は問題ないが、娼館オーナーやグレースはギルド構成員ではないため、弘が代理申請をして泊まらせるのだ。これは娼館オーナーの身柄を確保しておくという意味合いもある。
「オーナーさんよ? 俺が後悔してるように見えるか?」
「ああ、見えるともさ。伊達に歳は取っておらんのでな。お前さんは金を払うことも、身請けのために闘技場で闘うことも気にしてはおらん……だが身請ける行為については後悔しておる。そんな顔じゃ」
早朝の大通りに、娼館オーナーの声が反響している。
すべて先程考えていたことだ。言い当てられた弘は渋面になったが、一つだけ反論をした。
「後悔ってのとは、ちょっと違うな」
「ほう?」
「俺の国……俺の生まれた所じゃ、奴隷や人身売買なんてものはなかった。身請けは意味合いが少し違うんだろうが、金を出してグレースを譲って貰うことに変わりないよな? そういうのは俺が生まれるよりも、ずうっと昔にはあったそうだけど。とにかく今はないんだ。だから、俺は……俺が金で人を買うってことには……なんて言うのかな、そうだ。すげぇ気分が悪いんだよ」
カツカツカツカツ……カツ。
娼館オーナーが歩みを止めた。先導する形で歩いていた弘が振り返ると、オーナーに合わせて皆が立ち止まっているのが見える。
「サワタリよ……自分の行いや決断を納得できないのなら。それが後悔しているということなのじゃよ」
「……ちっ」
弘は舌打ちするしかできなかった。
グレースを身請ける決断については後悔していない。と言ったところで、その決断を不快と感じるのなら……それは、やはり後悔なのだ。
カツ……カツカツカツ。
娼館オーナーが歩き出す。
「こう考えてはどうじゃ? お前さんは、後悔しないことよりもグレースを身請けることを優先した。だから、後悔してもかまわない……とな」
「自分を誤魔化してるようにしか聞こえないぜ?」
後を追って弘が歩き出すと、後方で皆が歩き出した
「誤魔化すのではない。自分の中で折り合いをつけるのじゃよ。そして、大事なことの順番を決めるのじゃ。お前は何でもできる神様か? 違うじゃろう? したいこと、しなければならないことは多くても、全部を思うようにはできん。どこかで諦めたり妥協する必要がある」
「そのために順番……優先順位を決めるってことか。言われてみりゃ、当たり前のことなんだがな……」
「その『当たり前』を、人は見失いやすいものなのじゃよ。そんなわけで、少しは気が楽になったかの?」
弘が追い抜きざま、娼館オーナーが横目で視線を飛ばしてきた。その目が笑っているので、弘も口の端を持ち上げる。
「少しはな……。けど爺さん、あんた駐留兵詰所でいたときとは、随分感じが違うんじゃね?」
「ふぁっはっは。お役人相手に何か申し立てるときは、色々とやりようがあるんじゃよ。役場の受付で大声出したり、軍人さん相手に泣きついたりな」
何ごともやり過ぎはいかんが……と、娼館オーナーが付け加えたとき。目の前に、ディオスク冒険者ギルドの看板が見えてきた。
◇◇◇◇
「それでは今日の試合、観戦に行かせて貰うぞ? ギルド宿の宿代と、安い賭札を買える程度には小銭を持っとるのでな」
そう言うと、娼館オーナーは弘が代理申請した宿部屋へと入っていった。なお、グレースも同じ部屋に入っている。
「使ったことは無かったが、6人部屋か……」
ギルド宿には単身部屋と6人部屋の二種類があった。
弘がよく利用する単身部屋は、狭い木製寝台と少しの荷物スペース。あとは、何とか歩ける程度の空間しかない。かつて、弘がスーパーカブを初めて召喚品合成させたのはギルド宿だったが、そのときは荷物スペースでカブを召喚したのである。
この単身部屋をカプセルホテルと比べたとき、どっちがマシなのか? それは弘的には甲乙付けがたいところだった。
一方、6人部屋は、両側の壁に三段式木製寝台がある。昔の軍艦で、寝台間の上下が狭い『カイコ棚』と揶揄されるモノがあったらしいが、それに近い仕様だ。たいていは、複数人で構成されるパーティーが利用している。
ちなみにカレンとシルビアも、ギルド泊をする際は6人部屋に入ることが多いとのこと。弘が理由を聞いてみたところ、旅に出た当初は単身部屋を2人で利用し、シルビアが床に寝る……と、シルビアが主張していたらしい。シルビアにはカレンを警護する目的もあったのだが「野宿ならともかく、そんなことはさせられない!」と、カレンが言い、6人部屋利用の方針を貫いているのだそうだ。なお、6人部屋がふさがっている場合は、単身部屋を借りて同じ寝台で寝ているとのこと。
「それじゃあ、また試合を見に来てくれよな?」
妙に言葉少ないカレンに言うと、弘は自分の泊まり部屋へと入っていく。が、カレンの返事が無いので、半身部屋に入れたところから身体を引き戻した。
「どした? なんか言いたいことでもあるのか?」
「いえ、その……」
「カレン様。私達の部屋は向こうですから……」
どうにも態度がシャッキリしないカレンを、シルビアが手を引いて引っ張っていく。
弘は、かける言葉を脳内検索していたのだが、何か言う前にカレン達が姿を消したので首を傾げた。
「なんだってんだ。女って奴は、よくわからん」
◇◇◇◇
「グレース。どうやら、お前を手放すことになりそうだな」
壁の両側に並ぶ三段式木製寝台。その間で置かれた2つの木製丸椅子。一方に腰掛けた娼館オーナーが、対側で腰掛けているグレースに声をかけている。ちなみに、2人ともマントで身体をくるんだ状態なので、あまり張り詰めた雰囲気にはなっていない。
グレースは目だけでオーナーを見ると、疑わしそうに呟いた。
「我を手放す……か。本気なのか?」
「本気だとも。さっきも言ったように、お前を担保に金を借りるつもりでいたが……身請けが可能なら、それに越したことはない」
グレースを担保にして借金する場合。足下を見られて、身請け額の1割借りられれば良い方だと娼館オーナーは説明する。
「ところが相場の身請け額に、金貨5枚分も上乗せできたからな。それだけあれば、何か事業を興すのには充分だ。もっと吊り上げても良かったが、欲をかきすぎると失敗するのでな」
「なるほど、本気のようだな。我はまた、首輪のことを持ち出して、サワタリにたかり続ける気かと思っていたが……」
そう指摘されて、娼館オーナーは失笑している。
「ハッ、馬鹿を言うな。引っかけたり掌を返したりは、相手が自分より弱者である場合に有効な手だ。……あの若僧は、レッサードラゴンにアーマーライノス、それにサーペーンターだったか? それらをまとめて相手して勝てる……バケモノだぞ?」
そういう人物が、交渉を放棄して腕ずくに出たら目も当てられない。
今は、借金するよりも遙かにマシな結果を得られたことで、満足しておくべきなのだ。
「サワタリが今日の試合……夜だったか、その試合に勝てることが前提になるが?」
「分の良い賭けだと思っておるよ? 昨日の試合結果から考えれば、奴に勝てる闘技者など、今までに聞いたことが……あ、いや……そう言えば……」
娼館オーナーが言葉を切って考え込んだので、グレースは身を乗り出す。と言っても丸椅子に腰掛けたままなので、大して前には出ていない。
「何か気になることでも?」
「以前にな、闘技場のオーナー……正式な役職名は理事長だが……を接待したことがあってな。酒の入った闘技場オーナーが自慢しておった。自分には切り札がある……とな」
「切り札? それも闘技者なのか? しかしオーナーの口振りでは、今まで試合に出たことは無いようだが?」
先程、娼館オーナーはクロムやヴィッシュ達以上の強者は居ない……ような口振りだったのだ。ならば、その切り札とやらは試合に出た実績がないか、娼館オーナーが失念するほど戦績がないという事になる。
「うむ。闘技場オーナーによると、登録上は確かに闘技者なのだが、他の仕事をさせているので表には出さないらしい」
表に出ない仕事と言われると、自分達がそうなのでヤクザな仕事を連想してしまうが、娼館オーナーもそれ以上のことは知らなかった。
「普段出さない奴を、試合に出すとは思えんが。サワタリは人気闘技者を倒して、一部の金持ちに睨まれておるからの。聞いた話では昨日の試合で、アーマーライノスとサーペンターを死なせたそうじゃ。この2者も大層な人気者じゃて、これは……もしかして」
「楽しそうだな?」
グレースが娼館オーナーを睨む。弘の勝敗次第で、自分の運命が大きく変わるというときに、目の前でヘラヘラ笑われたのでは気に障るというものだ。言われた娼館オーナーは、ニヤリと笑っている。
「楽しいとも。十代の若僧のようにワクワクしておるよ? 直接に会話をし見知った者がじゃ、強大なモンスターを束にして倒せる人物で……それがより強い闘技者と闘うのじゃぞ? これが胸躍らずに居られようか」
「……得られる金の額が変わるかもしれんのにか?」
「勝ったら大儲けだが、負けたとしても当初の予定どおり、お前を担保にして借金するまでじゃよ。ワシに損はない」
足下を見られた上での借金額でも、自分なら上手く立ち回って再出発できる。と、娼館オーナーは豪語するのだった。
「店が開く時間になったら、サワタリから金を借りて服でも買いに行くかの。お互い、寝間着にマントでは人前には出づらいだろうて」
「……確かに」
特に反対する必要性を感じないので、グレースは頷いている。
(サワタリ……この私を身請けするとはな……)
今までに出会ったグレースの所有者は、彼女を性奴隷として扱った。沢渡弘を見るに、その様な扱いをされるとは思わないが、それでも少し不安である。
(オーナーの提示額を聞いて、試合で稼ぐことを言い出すあたり、本当に金が足らなかったのだろうな。言い換えれば、手持ちの全財産を我に注ぎ込む気でいるということだ。……我のことが、それほど気に入ったのだろうか?)
記憶の上では、一度だけ客として訪れただけだったはずで……。
(そう言えば何年ぶりかで、身の上話をしてしまったのだったな……)
それだけ気を許せた相手と言える。それにしても、まさか燃えさかる娼館に飛び込んでくるとは思わなかった。ましてや、あの頑強な結界を単独で打ち破るとは……。
(ヒロシ・サワタリ……か。興味深い男だ。我の、新しい主人となるか?)
心の中で弘の名を呟いたとき。グレースは、不思議と先程までの不安が薄れるような気がしていた。
◇◇◇◇
「シルビア。まだ起きてる?」
「はい。カレン様」
カレンの問いかけにシルビアが即答する。
グレース達と違い2人は寝台で横になっていたが、彼女らの場合、両側の三段寝台で一番上の段に居た。これは、就寝中に部屋に踏み込まれた場合、上方から攻撃するため。そして、寝台それ自体を遮蔽物にするためだ。
冒険者ギルドの支部宿で、女性部屋に踏み込む者が居るのか? それが居るのだ。
使命を帯びて旅に出たカレン達は、最初に入ったギルド宿で、他の冒険者3人に押し込まれたことがある。相手方は酒気帯びであり、乱暴する目的だったのだが、この時は1段目に居たシルビアが腕を掴まれ引きずり出されてしまった。シルビアは格闘訓練も受けていたが、事の最初から掴まれていては対処が難しい。しかも相手は3人だ。
そのとき、同じベッドの3段目に居たカレンが、剣を抜いて男達に斬りつけたのである。この時期の彼女は鎧を脱いで寝ていたのだが、防御力の不足は寝台が補ってくれた。そうして男達が混乱した隙を突いて、シルビアが離脱。自分の寝台からメイスを掴み取ると、男達をボコボコに叩きのめしたのだった。
そういう事件があって以後、カレン達はギルド宿で泊まる際は、6人部屋の三段寝台、それぞれの一番上で寝ることにしているのだ。なお、酔漢達はギルド支部に引き渡された後、登録抹消。その後の行方についてカレン達は聞いていない。
「たまには鎧とか脱いで寝たい気もするけど……ね」
「そう思われるのなら、使命を放棄してお屋敷に戻るべきなんですけどね」
相も変わらず、シルビアはカレンを説得する気でいるようだ。もちろん、聞き入れる気のないカレンは、小さく舌を出すと話題を変えた。いや、今から話すことこそが、シルビアを呼んだ目的なのだ。
「サワタリさんのことだけど……」
「あの娼婦を身請ける件についてですか?」
カレンは、弘がグレースのことをどう思っているのかが、まず気になっている。彼女を助けたいだけなのか。それとも性奴隷として扱いたいのか。
「それは……サワタリ殿に直接聞いてみるしかありませんね。もっとも……」
ここで少し、シルビアの声色が冷たくなる。
「直接聞かずとも、今日の試合に勝ったサワタリ殿が、グレース……でしたか? あのエルフ女性をどう扱うかで、わかると思いますけどね」
酷い扱いをしたとしても、それは違法ではない。弘は異世界人……今のところは自由身分の人間だが、その彼が亜人奴隷をどう扱おうが、彼を罰する法はないのだ。
「ですが、グレース殿への扱いが酷いとなれば……私は、個人的にはサワタリ殿との付き合い方を改めさせていただきます。勿論、カレン様が彼に近づくことも制限させていただきます」
「それは……そうね。私も、シルビアの言うとおりだと思う」
一瞬、シルビアの意見に反論し駆けたカレンだが、思い止まって肯定する。
自分は弘のことが好きだ。しかし、それはこれまで見てきた弘の言動に好感を抱いているからだし、異性としても魅力を感じているからだ。
それが、相手が亜人女性とは言え過酷な扱いをするようであれば……。
「サワタリさんを好きでいるの、難しいかも……」
無理ではなく難しいと言ったのは、実際に『過酷な扱い』とやらを目の当たりにした時に、自分がどういった感情を抱くか……それが予想できないからである。
「なんにせよ。今日の試合次第ですよ。私達はサワタリ殿が勝ったときのことだけでなく、彼が負けたときのことも考えておくべきです」
「そんな! サワタリさんは負けたりしない……もの」
声が大きくなりかけたが、カレンは口元を手で押さえた。
しかし、昨日の試合で見た弘の強さは尋常ではない。あの彼が負けることなど、あるのだろうか?
「お忘れですか? サワタリ殿は山賊時代、カレン様には敵わないと見たゴメス殿の説得を受けて投降しています。けっして無敗ではないのですよ」
「でも、それは……あの時のサワタリさんが、今よりも強くなかったからで……」
「そうですね。ですが今日の試合相手が、今のサワタリ殿より強くないという保証は、何処にもありません」
今の弘よりも強い闘技者。
そんな者が居たとして、それはいったい、何者なのだろうか?
正直言って、魔法の鎧を装着して闘ったとしても、自分では弘に敵わないだろう。冒険者ギルドの支部長クラスは、ベテラン戦士が多いそうだが、彼らでも一対一では勝つことはできないと思う。
ならば、やはり相手は大型のモンスターになるはずだ。
「レッサードラゴンよりも大きくて、強いモンスター……」
考え得るのは有翼竜や古竜。それに戦士1人では対抗が難しい類のモンスターなど。
だが、どれが出てくるのかまでは想像がつかない。娼館オーナーは、闘技場オーナーから『切り札』の存在を聞かされていたが、それを知らないカレンは、いつまでも悩み続けた。
そして、いつしか疲れからか寝入ってしまったのである。
◇◇◇◇
ギルド酒場で夕食を取り、弘は闘技場へと向かっている。
昨夜の火事騒ぎのせいで気疲れしていたのか、昼過ぎまで寝てしまったが、起床直後は体調万全とはいかなかった。しかし、弘には召喚タバコによる体力回復と、MP回復姿勢がある。それらを駆使して体調を整え……さらには幾らか食べたことにより、心身ともに不安のない状態で控え室入りしたのであった。
そして控え室に入った弘を、他の闘技者らが畏怖の念を込めて注目する。
飛び入り登録とはいえ、10戦目まで戦い抜いてきた彼は、もはや疑いようのない実力者……すなわち強者として扱われていた。なによりクロム達、名だたる強者を撃破してきたことが大きく影響している。
着替えなどを入れた背負い袋をロッカーに放り込んだ弘は、呼び出しを受けるまで待つつもりでベンチに腰掛けていた。その彼に、すでに控え室入りしていたタコ亜人のクラークが話しかけてくる。
「よう。今日は最終試合だな」
「ああ、最後の相手が誰になるか知らんが、思いっきりやらせて貰うぜ」
思いっきり……の言葉に偽りはない。今日の試合、何としても勝たなければならないのだ。
(負けて生き残ったとしても、次の機会を待ってる時間は無いだろうしな)
娼館オーナーは、すぐに運用できる大金が欲しいはず。負けた弘を見て「なんじゃ、期待外れな。やはりグレースを担保に金を借りるとしよう」などと言い出しかねないのだ。
そうなった場合、新たに闘技者登録をして金を稼ぎなおすのか? そして、グレースの新たな所有者から彼女を買い直すのか?
(やってやれんこたぁないが、グレースの方で断ってきそうな気がするんだよな……)
彼女の意思は尊重したいので、断られたら食い下がる気はない。だが、そうなった場合、弘の気分は良くないはずだ。
(グレースの身柄がかかってるのに、ゲーム話を持ち出すのはアレだが。要するにイベント失敗するようなもんだしな。それに、男として甲斐性がなさすぎる。ここまでやって失敗するとか……恥ずかしくて死んじまうわ)
チンピラの面子重視な考え方であるが、弘がやる気満々であることに違いはない。彼の意気込みを聞いてクラークは感心した様子だったが、ここで例によってアドバイスが始まった。
「10試合目の相手なんだがな。ここに居る全員が、聞いたことない奴なんだ」
「クラーク達が知らない奴? 俺みたいな飛び入り登録か?」
さすがに気になったので弘は表情を硬くする。それを見たクラークは、隣りに腰掛けて話を続けた。
「いや、飛び入り闘技者だったら事前に知らされるんだよ。お前が来た時みたいにな。今回はそれがないのに、運営側の動きが慌ただしい。嫌な雰囲気だぜ。こういう時は強い奴が出てくるもんだ」
「相手の名は?」
「ラングレンって名だ。知ってるか?」
弘には、まったく聞き覚えがない。
「いや、俺も知らない名だ。なにか凄いモンスター……なのかな?」
「わからん。人間なのかもしれんし、どんな姿をしているのかすら……」
前情報が何もないというのは、なかなかに嫌なものだ。弘には対象物解析があるから、その解析結果に期待するしかないだろう。
「そいつのことも気になるが。お前さん、また金持ちの闘技試合狂いを向こうに回したぞ」
「……ヴィッシュとパルファンを死なせ……いや、殺したことか……」
弘は溜息をつくと肩を落とした。
両者は闘技場の人気者。いや、今では人気者だったと過去形で語るべきだ。その彼らを殺したのは弘であり、当然、両者のファンの怒りは弘に向けられることだろう。
「早い話が、バイケンの時と同じか。しかも、今度は相手を殺しちまってるしな」
「死ぬの殺すのは、命がけの試合だから当然のことなんだが。で……だ。俺は噂で聞いたことがあるんだけどな」
クラークは、この闘技場にはオーナーの『切り札』的存在が居るとの情報を、弘に伝えた。
「さっきの名前しかわからん奴な。ひょっとしたら、そいつがそうかもしれん。曖昧な話しかできなくてすまんことだが……」
「いや、そういう奴が出てくる可能性を事前に知ってるだけで、かなり違ってくるもんだ。何より、相手を舐めないですむしな。だから礼を言うぜ」
そう言って弘が頭を下げると、クラークは触腕を蠢かせて頭部を掻く。どうやら照れているらしい。
「なぁに、これぐらい礼には及ばないさ。俺は結局、サワタリと闘うことはなかったし。試合前のイイ話相手になっても貰えた。このまま気持ち良くお別れできれば、それに越したことないってな」
気持ち良くお別れとは、言外に死ぬなと言ってくれているのだ。
同じ闘技者からの気遣いに、弘は感動した。
「任せろ。今日の俺は、別の事情もあって気合い入ってるからな。絶対に勝ってくるさ」
「別の事情って、娼館の火事のことか?」
やはり噂が伝わっているらしく、クラークが聞いてくる。
弘が渋い顔をしていると、他の闘技者達も周囲に集まってきた。
「噂に聞いた美人エルフを助けたんだってな。亜人を躰張って助けるなんざ、見上げた心意気だが……やっぱ、イイ関係なのか?」
「そこんところを白状して欲しいもんだぜ」
「グレースって言うんだっけ? エルフ美女かぁ……見てみたいなぁ」
様々な獣人や、多腕系の亜人などが詰め寄ってくる。
(俺、このあと試合なんだけどなぁ……)
女性関係の話題、しかも自分が絡んだ話などしたくはないのだが、相手は仲が良い部類の闘技者達だ。無碍に突っぱねることができない弘は、話せる範囲で皆に説明するのだった。




