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第九話「こういうのも、悪くないな」

 朝から、空気が冷えていた。


 窓の外は晴れている。

 ただ、風が冷たい。


 朝食のスープを食べながら、リゼラは平然としていた。


 厚手の上着も着ていない。

 寒そうな顔もしない。

 いつも通り、背筋を伸ばして座っている。


 アシュは少し不安になった。


「リゼラさん、寒くないですか?」


「寒い」


「寒いんですか」


「ああ」


「じゃあ、なんでそんな普通の顔なんですか」


「これぐらいでは死なないから、耐えれるだろう」


「その感覚、たぶん直した方がいいです」


 リゼラは匙を止めた。


「寒さくらい、どうということはない」


「リゼラさんにとって戦場ならそうかもしれませんけど、ここ家なので」


「またそれか」


「何度でも言いますよ、わかってもらえるまで」


 リゼラは少しだけ口元を緩めた。


 最近、この言い方には慣れてきたらしい。


 アシュは食後、暖炉の前にしゃがんだ。


 火は入っている。

 しかし、部屋の暖まり方が弱い。


 灰が溜まりすぎている。

 薪の太さがばらばら。

 乾いた薪と、少し湿った薪も混ざっている。


 燃えてはいる。


 でも、ただ燃えているだけだった。


「暖炉まわり、少し直します」


「火はついているぞ」


「今の状態では、ついてるだけです」


 アシュは薪を分け始めた。


 細い薪。

 中くらいの薪。

 太い薪。

 湿っている薪。


 リゼラは腕を組んで、横から見ている。


 見張りではない。


 たぶん、ただ気になっている。


 最近のリゼラは、家事を見ている時の顔が少し変わった。


 警戒半分、興味半分。


 そして、分からないことを分からないままにしたくない顔だ。


「薪も分けるのか」


「分けます。火をつける薪と、長く燃やす薪は違うので」


「どれも燃えればいいだろう」


「リゼラさん、前にパンにも似たようなこと言ってました」


 アシュは細い薪をまとめた。


「細い薪は火をつける時。中くらいは火を育てる時。太いのは長く暖める時です」


「薪にも役割があるのだな」


「あります」


「家の中は、思ったより役割が多い」


「役割?」


「薪にも役がある。棚にも役がある。布にも役がある。お前は家の中で小さな騎士団を作っている」


 アシュは少し笑った。


「えへへ……そう言われると、ちょっとかっこいいですね」


「喜ぶのか」


「はい。強そうに聞こえたので」


「お前は、変なところで嬉しそうになる」


「リゼラさんが言うと、だいたい嬉しいです」


 そう言ってから、アシュは少し照れた。


 リゼラも、少し黙った。


「……そうか」


 それだけ言って、リゼラは視線を暖炉へ戻した。


 耳が少し赤い。


 暖炉のせいにできる位置ではある。


 アシュは見なかったことにした。


     *


 昼前までに、暖炉まわりは少し整った。


 薪は太さごとに分けた。

 湿った薪は離して置いた。

 火ばさみと灰入れの位置も決めた。

 床に落ちていた木屑も片付けた。


 ついでに、椅子の位置も変える。


 リゼラは今まで、暖炉の真正面に椅子を置いていた。


 熱い。


 近すぎる。


「この位置、よくないです」


「暖かいぞ」


「焼けますよ?」


「私は肉ではない」


「乾燥しますよ?」


「干し肉か」


「自分から肉に寄せないでください」


 アシュは椅子を少し斜めにした。


 暖炉の真正面ではなく、火を横から受ける位置。


 近すぎない。

 遠すぎない。

 座った時に背中が冷えないよう、椅子の背には毛布を一枚かける。


 足元には、小さな敷物を置いた。


 リゼラはそれを見て、少し眉を寄せた。


「ここまでいるか」


「いります。食後にゆっくり休めます」


「食後にぐうたらと休むなんて……騎士たるもの」


「休んでもらいますよ」


「眠くなる」


「眠くなったら、少し寝ればいいです」


 リゼラは返事をしなかった。


 目だけが、剣の方へ動く。


 アシュはその視線に気づいた。


 剣は、見える場所にある。

 手を伸ばせば届くほど近くはないが、すぐ確認できる。


 寝室の時と同じだ。


 リゼラの警戒心を無理に奪う必要はない。


 少しだけ、休める場所を増やせばいい。


「剣は見えます。扉も見えます。火も近すぎません」


「……よく見ているな」


「家事役なので」


「それで全部通す気か」


 リゼラは小さく息を吐いた。


 呆れたようで、少し笑っているようでもあった。


「少しだけなら、座ってもいい」


「はい!」


「なぜお前が嬉しそうなんだ」


「リゼラさんが休む気になったので」


「私はまだ座ると言っただけだ」


「大きな前進です」


「大げさだ」


「僕にはけっこう大きいです」


 アシュがそう言うと、リゼラは困ったように目をそらした。


「そういう顔をされると、断りづらい」


「えへへ。じゃあ、少しだけ作戦成功です」


「作戦だったのか」


「あっ、今のは冗談です」


「お前の冗談は、たまに本気に聞こえる」


「たまに本気です」


「やはりか」


     *


 夕食は、豆と肉のスープにした。


 寒い日なので、少しだけとろみをつける。

 保存パンは薄く切って軽く焼く。

 リゼラの分の肉は、少し多め。


 最近のリゼラは、「少し多め」と聞くと顔に出る。


 本人は気づいていない。


 アシュはそれを見るのが少し楽しかった。


 食卓につくと、リゼラは器の中を見た。


「肉が多い」


「寒い日なので、体温上げないとですからねっ」


 リゼラは満足そうにスープを飲んだ。


「うまい」


「わ、ありがとうございます!」


「毎回そんな顔をするな」


「毎回嬉しいので、仕方ないです」


「毎回言ってるだろ、飽きないのか」


「毎回新鮮に嬉しいんです」


 アシュがそう言うと、リゼラはスープを見つめたまま少し黙った。


「なら、毎回言ってやろう」


 アシュは手を止めた。


「えっ」


「うまい時は、うまいと言う」


「……ありがとうございますっ! えへへ。かなりやる気出ました」


 リゼラはふふ、と少しだけ笑った。


 前より自然な笑い方だった。


 夕食が終わる頃には、部屋はきちんと暖まっていた。


 暖炉の火は安定している。

 薪はゆっくり燃えている。

 煙もほとんどない。


 リゼラは食後、いつものように剣の方を確認した。


 それから、アシュが整えた暖炉脇の椅子を見た。


 数秒、迷っている。


「座ります?」


 アシュが聞くと、リゼラは少しだけ不満そうにした。


「座ろうとはしていた」


「じゃあ、どうぞ」


「お前の許可はいらんだろ」


「あっ、すみません。つい」


「……まあ、整えたのはお前だからな」


 そう言って、リゼラは椅子に座った。


 火は横から当たる。

 近すぎず、遠すぎない。


 足元も冷えにくい。


 リゼラは少しだけ背を預けた。


「悪くない」


 アシュは台所へ器を運びながら、つい顔を明るくした。


「よかったです!」


「また嬉しそうだな」


「はい!」


「隠す気がない」


「ないです」


「少しは持て」


「難しいです」


 リゼラは困ったように息を吐いた。


 だが、椅子から立つ気はなさそうだった。


     *


 片付けを終えて戻ると、リゼラは暖炉の前にいた。


 椅子に座り、腕を組んでいる。


 目は開いている。


 開いているが、かなり眠そうだった。


 火の色が、リゼラの横顔を柔らかく照らしている。


「眠いですか?」


「ん……眠くない」


 返事が少し遅かった。


 アシュは笑いそうになったが、我慢した。


 ここで笑うと起きる。


「じゃあ、少しだけ休んでてください」


「もう十分……休んでいる」


 会話がそこで切れた。


 暖炉の薪が、ぱち、と小さく鳴る。


 外では風が吹いている。

 家の中は暖かい。


 リゼラのまぶたが、ゆっくり落ちた。


 また少し開く。


 落ちる。


 開く。


 アシュは何も言わなかった。


 言えば、リゼラはたぶん意地で起きる。


 だから黙って、棚の整理をするふりをした。


 しばらくして、リゼラの気配が静かになった。


 アシュはそっと振り返る。


 リゼラは眠っていた。


 椅子に座ったまま。


 毛布は肩から少しずれている。

 手は剣に伸びていない。

 眉間の力も抜けている。


 ただ、眠っている。


 アシュは少しの間、その姿を見ていた。


 起こした方がいい。


 椅子で寝るのは、身体にはよくない。


 でも、今は起こしたくなかった。


 リゼラが、自分から気を抜いた。


 食後に、暖炉の前で。

 家の中で。


 それはたぶん、リゼラにとってかなり大きい。


 アシュは静かに近づき、ずれた毛布を直した。


 リゼラは起きなかった。


「……おやすみなさい」


 小さく言って、アシュは暖炉の火を少しだけ調整した。


 強すぎないように。

 弱すぎないように。


 それから、少し離れた椅子に座る。


 帳面を開いた。


 今日の欄に書く。


 薪を分けた。

 暖炉まわりを整えた。

 リゼラさん、暖炉の前で寝た。

 起こさなかった。


 少し考えて、もう一行足す。


 たぶん、成功。


     *


 リゼラが目を覚ましたのは、しばらく経ってからだった。


 火はまだ残っている。

 部屋は少し暗い。


 肩には毛布がかかっていた。


 リゼラはそれを見て、数秒黙った。


「……かけたのか」


「はい。冷えそうだったので」


「起こせばよかっただろう」


「気持ちよさそうだったので」


 リゼラは毛布の端を握った。


 不機嫌そうな顔をしている。


 ただ、本当に嫌ならすぐ外すはずだった。


 外さない。


 アシュはそれ以上言わず、暖炉の薪を少し直した。


「火、少し弱めますね」


「ああ」


 リゼラはまだ毛布を外さない。


 しばらくして、ぽつりと言った。


「暖かいな」


「はい」


「この位置は、悪くない」


「よかったです」


 アシュはそれ以上踏み込まなかった。


 リゼラが素直なことを言った時は、騒がない方がいい。


 最近、少し分かってきた。


 リゼラは毛布を畳もうとして、途中で手を止めた。


「これは、暖炉の横に置くのか」


「はい。使いたい時にすぐ取れるように」


「そうか」


 リゼラは毛布をきちんと畳み、椅子の背にかけた。


 投げない。

 丸めない。


 少し丁寧すぎるくらいだった。


 アシュは笑わないようにした。


 かなり難しかった。


「何だ」


「いえ、何でもないです」


「今、笑いかけただろう」


「少しだけ」


「正直だな」


「すみません」


「謝るほどではない」


 リゼラは暖炉を見た。


 薪が小さく鳴った。


「こういうのも、悪くないな」


 今度、アシュはすぐには返事をしなかった。


 リゼラが言った言葉を、無理に大きくしない方がいいと思ったからだ。


 代わりに、帳面を開く。


 今日の欄に、もう少しだけ書いた。


 暖炉、成功。

 毛布は椅子の背。


 少し迷って、さらに一行足す。


 リゼラさん、起こさない方がよさそうな時がある。


「何を書いた」


「暖炉の記録です」


「余計なことは書いていないだろうな」


「少しだけです」


「消せ」


「嫌です」


「雇い主命令だ」


「家事役にも記録の自由があります」


 リゼラは呆れたように息を吐いた。


 けれど、毛布はそのまま椅子の背に残っている。


 アシュは帳面を閉じた。


 部屋はまだ暖かい。


 外は寒い。


 リゼラは暖炉の前で、毛布の置き場所を一度だけ確かめた。


 たぶん、次も使うつもりなのだろう。


 アシュはそれに気づいたが、何も言わなかった。


 言わない方が、たぶんリゼラは座りやすい。


 それも、今日覚えた家事の一つだった。


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