第二話「食事なんて……腹が膨れればいいだろう?」
家に入って、アシュはすぐに思った。
寒い。
外よりはましだが、家の中の空気が冷えている。
暖炉はある。だが火は入っていない。
床には物が落ちていた。
外套、手袋、木箱、空き瓶、農具の一部らしきもの。
机の上には、干し肉と硬そうなパン。
皿は使ったまま。
水差しは空に近い。
台所も見える。
鍋はある。食材もある。
ただ、使われている感じが薄い。
その一方で、壁際の鎧だけは妙に綺麗だった。
磨かれている。
革紐も整っている。
剣も手入れされている。
家は荒れているのに、鎧だけは完璧。
アシュはそこで少し納得した。
この人は、自分より鎧を大事にしている。
「何を見ている」
リゼラが言った。
「鎧です」
「見るな」
「綺麗だったので」
リゼラは少し黙った。
「……鎧は手入れするものだ」
「纏う人間がこれでは、意味ないですよ」
アシュは呆れ口調で言った。
「家の中を見てもいいですか。仕事の範囲を確認したいので」
「好きにしろ」
リゼラはそう言って、部屋の奥へ歩こうとした。
その時だった。
足が止まった。
リゼラの身体が、少し横に揺れる。
「……」
本人は何も言わない。
だがアシュには分かった。
今、ふらついた。
「大丈夫ですか」
「では気のせいだ」
「ダメですって!」
リゼラは無理に歩こうとした。
その瞬間、膝が抜けた。
完全に倒れる前に、アシュは咄嗟に腕を掴んだ。
重い。
見た目よりずっと筋肉がある。
だが今は力が入っていない。
「椅子に座ってください」
「いらん」
「座ってください」
「命令するな」
「命令じゃなくて、僕の仕事ですっ!」
アシュはリゼラを椅子まで支えた。
リゼラは不満そうな顔をしながらも、座った。
「少し立ちくらみがしただけだ」
「昨日は何を食べました?」
「干し肉」
「他は?」
「だけ」
「ええ……野菜は?」
「畑にある」
「畑にあるだけでは食べたことになりません」
リゼラは黙った。
アシュは水差しを持ち上げた。
ほとんど空だった。
「水も飲んでないですね」
「飲んだ」
「いつですか」
「……昼?いや朝?」
「今、夕方です」
「騎士はその程度で倒れん。あまり舐めるな」
「今、倒れかけました」
「倒れてはいない」
「そんな……膝をつかなければセーフってわけじゃないんですよ」
リゼラは反論しようとして、やめた。
アシュは台所へ向かった。
「何をする」
「水を用意します。あと火を入れます」
「まだ雇うとは言っていないぞ」
「では採用試験中ということで!」
「随分と勝手な試験だな」
「倒れかけた雇い主を放置する家事役は落第ですよね?」
ニコッと笑うアシュに、リゼラはまた黙った。
アシュは水瓶を確認した。
中身は少ないが、使える。
まずコップに水を注ぎ、リゼラへ渡す。
「一気に飲まないでください。少しずつ」
「子供扱いか」
「患者扱いです」
「患者ではない」
「立てない人は患者です」
リゼラは不服そうに水を飲んだ。
その間に、アシュは暖炉を確認する。
灰は溜まっている。
薪はあるが、組み方が雑だ。
火打ち道具を探して、棚から見つけた。
生活魔法に頼る家なら、火打ち道具自体がないことも多い。
あるだけましだった。
「着火魔法でいいだろう」
リゼラが言う。
「使えません」
「生活魔法も?」
「全部駄目です」
「珍しいな」
「はは、よく言われます」
アシュは細い薪から組んで火をつけた。
息を吹きかけ、火が移るまで待つ。
リゼラはそれをじっと見ていた。
「面倒だな」
「火は面倒です」
「魔法なら一瞬だ」
「一瞬でつけた火は、一瞬で消えやすいです。火力も調整できるほど器用な魔術師も実はそういないんですよ」
「そういうものか。あまり魔法は使わないものでな」
「そういうものです」
火が安定すると、部屋の空気が少し変わった。
アシュは次に台所を見る。
鍋は焦げている。
包丁は鈍い。
まな板は乾きすぎて割れかけている。
食材は意外とある。
豆。
根菜。
保存魔法のかかった肉。
古い香草。
卵が少し。
幸い腐ってはいない。
「リゼラさん」
「何だ」
「お金はありますか」
「ある」
「食材もありますね」
「あるな」
「もっとこう…生活を豊かにしようと思わないんですか?いいご飯を食べるとか、いい酒を飲むとか」
「食事なんて…腹が膨れればいいだろう?」
きょとんとした顔でリゼラは答えた。
「なるほど」
アシュは納得した。
「つまり…一番危ないタイプですね!」
「何がだ」
「あなたは仕事だけが生きがいで、それ以外に一切興味がない。そんな人が仕事を失ったら、こうなってしまうんですね」
リゼラは少し嫌そうな顔をした。
「何が悪い」
「食事に興味がないのは致命的ですね、早死にするタイプです」
「遠征では二日まともに食えないこともあった。水と干し肉で動けた」
「そういうのが通用するの、若いころだけですよ」
「わかっ…」
「あ、すみません! りょ、料理作ってきまーす!」
ごまかすように、アッシュは台所に走っていった。
*
アシュは鍋を洗い始めた。
豆は煮るのに時間がかかる。
今は卵と根菜を使った方がいい。
胃に重すぎないもの。水分が取れるもの。温かいもの。
「すぐお粥作りますから」
「粥? もっと栄養つきそうなものはないのか」
「あのですね、まともに食ってない人が急にたくさん食べたら、それこそ体調を崩しますよ」
「お前……家事のことになると急に偉そうだな」
「家事中なので」
「家事中だと偉いのか」
「少なくとも台所では、私の方が正しいです」
リゼラは言い返しかけて、アシュの手元を見た。
包丁を軽く研ぎ、根菜を小さく切る。
鍋に水を入れ、火にかける。
卵は最後に入れる。
アシュは動きながら、机の上の皿も片付けた。
邪魔な木箱を端に寄せ、外套を椅子の背から外して畳む。
「それは適当に置いておけ」
「適当に置いた結果が今です」
「……」
「今日はとりあえず、だけです。本格的な掃除は明日です」
「まだ採用すると言っていない」
「今夜の宿がないので、採用してもらえると助かりますっ」
「正直だな」
「嘘をつく余裕がありません」
粥が煮えてきた。
アシュは塩を少し入れ、香草を少量だけ足した。
最後に溶いた卵を流す。
強く混ぜない。
火を止める少し前に、余熱で固める。
器によそって、リゼラの前に置いた。
「熱いので、少し冷ましてから」
「病人食だな」
「病人なので」
「違う、そんな軟弱じゃ……」
「では、倒れかけた騎士用の食事です」
「言い方を変えただけだ」
リゼラは匙を取った。
少しだけ口に入れる。
沈黙。
アシュは様子を見る。
「味が薄いですか」
「……まあ、少し」
「普段、何を食べてるんですか」
「干し肉」
「でしょうね。しょっぱいものの食べすぎです」
リゼラはもう一口食べた。
さっきより、少し早い。
「…あたたかい」
リゼラの表情が和らぐ。
「何時ぶりかな、こんな食事は…」
アシュは台所へ戻り、次の準備を始めた。
明日の朝に使えそうな食材を確認する。
水瓶は補充が必要。
食材も、買い出しに行こう。
「食べ終わったら、もう休んでください」
「まだ話が終わっていない」
「雇用条件ですか」
「そうだ」
「報酬は後でいいです。今日は体調優先で」
「金はある。そこは心配するな」
アシュは少し驚いた。
「あるんですか」
「使い道がない」
「…そんなことってあるんですね」
アシュは返事に困った。
褒められたのか、注意されたのか分からない。
リゼラはゆっくり粥を食べきった。
器を置いたあと、少し息を吐く。
顔色はまだ悪い。
だが、さっきよりはましだった。
「明日の予定を言います」
「勝手に決めるな」
「朝食。台所掃除。水の補充。布団も干しましょう。昼は消化のいいもの。夕方に保存食を作ります」
「多い」
「放置していた分です」
「雇い主に言うことか」
「患者に言っています」
「まだ患者扱いか」
「明日、普通に立てたら少し下げます」
リゼラは呆れたようにアシュを見た。
「……好きにしろ」
「では、好きにします」
アシュは器を片付けるために立ち上がった。
暖炉の火は、まだ小さく燃えている。
部屋は散らかったままだ。
台所もまだひどい。
探せばいくらでも問題が出てくる家だった。。
だが、今日やることは見えた。
この家は広い。
金もある。
食材もある。
鎧は手入れされている。
足りないのは、家主の、生きることに対する意思だった。
アシュは洗い場に器を置き、袖をまくり直した。
「リゼラさん」
「何だ」
「この家、仕事が多いです」
「……すまんな」
「いえ」
アシュは鍋を洗いながら言った。
「仕事があるのは、助かります。僕はこれしかできないので」
無邪気な笑顔に、リゼラは黙り込んだ。




