EP08 街宣車、街へ出る
その日の夕方、ボイラー室に四人が集まった。
「アトランタスの監査員が動いてる」新城が言った。「侵入経路の質に気づいてる。優秀な女だ」
「対策は?」哲平が訊く。
「証拠は残してない。だが向こうが独自に技術調査を始めれば、いずれ何かに行き着く可能性がある」
宮内はキーボードを叩いた。
「念のため、ログの上書き頻度を上げます。本物の『クラーケン』らしい痕跡を、追加で埋め込んでおきます」
「偽の偽装を、もう一段重ねるってわけか」トクジさんが笑う。
「際限ないな、お前らの仕事は」
「際限なくやらないと、こっちが終わるんで」
新城は静かに言った。
「あの女は、おそらく長居する。鶴見の件まで、日本にいる可能性がある」
その一言が、部屋に重い沈黙を落とした。
*
三日後。ケイトは、ホテルの部屋でノートPCの画面に向かっていた。日本国内のセキュリティカンファレンス出席者リスト、業界誌の登壇者プロフィール、退職者データベース――地味な作業の積み重ねだった。
「絞り込みは進んでる?」
通訳兼アシスタントの男が訊く。
「侵入経路の設計思想が、特定のスタイルに似てる。業務効率化系のコンサルタント、もしくは元インフラエンジニア。日本国内で、この精度でセグメンテーションを突破できる人材は、そう多くない」
ケイトはリストを絞り込んでいく。画面に並ぶ名前の中に、『ネクスト・プルート 経営企画室』という所属が一件、混じっていた。
「この会社、何してる会社?」
「ITコンサルです。CEOが先月、上場で話題になってた会社ですね」
ケイトはその一行を、しばらく見つめた。
「……念のため、ここの社員リストも当たって」
その夜、ボイラー室。
「ケイト・モリスが、お前の会社の名前まで辿ってる」新城が言った。
宮内は表情を変えなかった。「具体的に、俺の名前まで?」
「まだだ。社員リストを当たり始めた段階だ。だが時間の問題だろう」
「鶴見の処刑は、今夜決行します」宮内が静かに言った。「彼女がリストを絞り切る前に、終わらせます」
哲平が口を挟む。「終わらせたところで、お前への疑いが晴れるわけじゃないでしょ」
「晴れなくていい」宮内は眼鏡を押し上げた。「鶴見が死ねば、俺はもう会社にいる理由を失う。疑われる前に、消えればいいだけだ」
新城が低く言った。
「逃げ場は用意してあるんだろうな」
「もちろんです」
宮内は短く答えた。それ以上は、誰も聞かなかった。
三日後の朝、皇道一新会は水面下の協力者という立場を捨て、表舞台に出ることを選んだ。
早朝、桜花生活流通本社前。街宣車が一台、本社ビルの正面に横付けされた。スピーカーから、野太い声が響く。
「諸君! 大河内厳の死を悼む者が、この国にいるのか! 育成就労制度を隠れ蓑にした、現代の奴隷労働だ! 彼の死は天の裁きである!」
出社する社員たちが、足早にビラを避けて通り過ぎる。受け取った者の何人かは、そのままゴミ箱に放り込んだ。テレビカメラが数台、遠巻きに撮影していた。
同じ朝、六本木のブービー日本支社前にも、別の街宣車が止まっていた。
「外資ファンドが日本の労働者を踏みつけにしてきた歴史に、終止符を打つ時が来た!」
警備員が困惑した顔で、本社のロビーから様子を窺っている。
国会議事堂前。皇道一新会の旗を掲げた数十人が、横断幕を広げていた。
「育成就労制度の即時廃止を! 中国資本による国内インフラ買収を禁止せよ!」
通行人の何人かが足を止め、スマホで撮影する。野党議員の一人が、わざわざ近づいてコメントを求められていた。
「この運動の背景には、与党の経済政策に対する国民の根深い不満があると見るべきでしょう」
与党側の議員は、足早にその場を離れていった。
首相官邸前。鷲尾兼一自身が、メガホンを手に台の上に立っていた。五十五歳の声量は、若い構成員たちの誰よりも通る。
「諸君に問う。今のこの国で、絶対的な価値の基準は何だ。答えは一つしかない。カネだ」
通行人の足が、何人か止まる。
「戦前の日本人は、貧しくとも誇りを持っていた。礎にあったのは伝統だ。礎にあったのは礼節だ。年長者を敬い、隣人を助け、己の分を知る。それが日本人の道徳だった。今はどうだ。礼儀は『コスト』に置き換えられ、伝統は『非効率』として切り捨てられた」
鷲尾は周囲を見渡し、声を一段落とした。
「少子化を嘆く政治家がいる。だが、子を産み育てるのに金がかかりすぎる社会を、誰が作った。地域の繋がりが壊れたと嘆く学者がいる。だが、隣人を信用するより、隣人を出し抜く方が得をする経済を、誰が作った。年老いた親が孤独死しても、葬式すら金の計算で迷う息子がいる。これが、カネを神に祀った国の末路だ」
拍手と、戸惑いの混じった声が、聴衆から上がった。
聴衆の中、定年退職した年配の男性が、隣に立つ妻に小声で言った。
「言ってることは、分かる気がするな」
「でも、人を殺すのが正しいなんて言い方には、賛成できないわよ」
「ああ、それは別だ。だが、伝統がどうとか、礼儀がどうとか言ってる部分には、頷けるところがある」
妻は何も言わず、夫の腕を引いて、その場を離れていった。
「私を、ただの懐古主義者だと笑う者もいるだろう」鷲尾は続けた。だがいいか。技能と誠実さで一生を懸けた職人を、明日切り捨てられる非正規雇用に変えたのは誰だ。終身雇用という、企業と人間の間にあった信頼の契約を、株主への説明責任という名目で破棄したのは誰だ。この国の土地、この国のインフラを、外資と中国資本に切り売りしているのは誰だ」
鷲尾は一拍置き、声を張った。
「奇しくも、三日前のあの夜が、二月二十六日だった。今からちょうど百年前、昭和十一年、二月二十六日。一握りの青年将校たちが、国家を私物化する重臣たちに刃を向けた。彼らは志半ばで潰され、反乱者として歴史に記された。だが彼らが見抜いていた病――拝金主義が国家を腐らせるという病――は、消えてなくなったわけではない。むしろ今、この国の隅々まで、症状として現れている」




