EP05 おにぎり弁当の上げ底控除
第三の狂騒。
全国チェーンのコンビニ『シブンギブン』。早朝の中村橋駅前。疲れた顔の会社員が六百五十円の「特製・二段重ね風おにぎり弁当」をレジに持っていく。スキャンした瞬間、聞いたことのない低い警告音が鳴り響いた。
[おにぎり弁当:六百五十円]
[構造欺瞞(上げ底)控除:マイナス四百二十円]
[差引請求額:二百三十円]
自動音声レジが無機質な声で読み上げる。
『この商品の空洞率は六十五%です。真実のグラム単価に基づき、適正価格で決済します』
この怪現象はSNSで瞬く間に拡散され、大衆が店舗へ殺到した。本部はPOSを止めれば全店の決済が止まる。指を咬んで見ているしかなかった。
テレビでは、情報番組のキャスターが慌てた様子で原稿を読んでいた。
「繰り返します。本日未明より、国内大手のECサービス、ネットスーパー、コンビニチェーンで、同時多発的なシステム障害が発生しています。一部では商品が大幅に割引されたり、無料で配送される事案も確認されており、政府は注意を呼びかけています」
コメンテーターの弁護士が眉をひそめる。
「これは明らかに犯罪行為です。便乗して安い物を受け取った方も、後で返金を求められる可能性がありますよ」
「でも先生」もう一人のコメンテーターが割って入る。「正式に注文が成立して配達されちゃってるものを、どうやって返金請求するんですか」
「……それは、追って検討されるんでしょう」
シブンギブン中村橋店。レジに並ぶ列が、店の外まで続いていた。
「ねえ、本当にこの値段でいいの?」
「さっきからずっとこの値段ですよ。早く並んだ方がいいですよ」
店員も半笑いで対応している。本部からはレジの表示通り会計しろとのお達しが来ている。
レジの警告音が鳴るたび、小さな歓声が上がった。
哲平の脳裏に、決行前夜の打ち合わせがふと浮かんだ。
「転売目的で注文しまくる奴が、絶対に出てきますよ」哲平が言った。
「完全には防げない」新城が答える。「だが、放置すれば現場の混乱が大きくなりすぎる。お前らが気づいた時点で、何か基準を作っておけ」
「基準って言われても……」
「同じ住所への配送は二回まで、でいい」宮内が言った。「三回目からは、転売目的とみなして停止リストに入れる。完璧じゃないが、何もないよりはずっといい」
「それ以上は、現場の判断に任せるしかないってことですね」
「お前らの裁量だ」新城が言った。「全部は救えない。救える範囲で、できるだけ多く救え」
「あと、配達員側も信用できるとは限らない」宮内が続けた。「短時間に同じ場所へ三回以上届けた配達員は、ランダムでアカウントを停止する」
「ランダム?」哲平が訊き返す。
「全件チェックする余裕はない。だが『見つかるかもしれない』という不確実性さえあれば、大半は自重する」
「捕まらなかった奴は、見逃されるってことですか」
「運が良かっただけだ」宮内は淡々と言った。「完璧な監視より、適度な恐怖の方が安く済む」
哲平はその記憶を振り払い、画面に向き直った。
豊島区のあるマンション前。配送ライダーの一人が、配送リストを確認していた。
「……これで三回目ですよね」
「いや、人数分必要なんだよ。家族五人だから」
「規則で、同じ住所は二回までなんです。三回目は転売目的とみなされます」
「ねえよそんな規則。誰が決めたんだ」
「俺たちです」
ライダーはその住所を停止リストに加え、哲平に報告した。短い返事が来た。
『よくやった。リストに加えとけ』
善意は無差別には届かない。受け取る側にも、選別の目が必要だった。
別のエリアでは、配達員の一人が、知人のマンションに六回も同じ荷物を届けていた。受け取った相手からは、毎回缶ビール一本を謝礼として渡されていた。
七回目の配送リクエストを送った直後、彼のアカウントは凍結された。
『不正利用の疑いにより、配達権限を停止しました』
「……は? なんでこのタイミングで」
配達員はスマホの画面を何度も叩いたが、復旧の見込みはなかった。哲平の元には、システムからの自動通知が一件届いていた。
『ランダム監査、該当一名。アカウント停止済み』
*
SNSでは『#令和の鼠小僧』というタグが急速に伸びていた。
『シブンギブンのレジ、本当に空洞率表示出てる。笑うわ』
『フレッシュ・リンガス、四割引きまだ続いてる。今のうち買っとけ』
『これ犯罪なんだろうけど、庶民は誰も損してないなら別にいいんじゃない?』
一方、被害企業の株価をリアルタイムで追う投資系インフルエンサーの投稿も流れていた。
『フレッシュ・リンガス、開示情報なし。これ空売り狙いのインサイダーの仕業じゃないか?』
渋谷のカフェ。二人の会社員が、呆れたように話していた。
「ウチも小売事業の値上げばっか叩かれてるけど、ウチじゃなくて桜花の方が狙われてんだな」
「あそこ、技能実習云々で前から色々言われてたじゃん」
「育成就労、な。今はそう呼ぶんだよ」
「どっちでもいいけど、自業自得って感じはするよな」
*
午前七時。練馬区・光が丘の巨大な団地群。一日の食事を二回に減らしている年金暮らしの老夫婦の玄関に、最高級の新潟産コシヒカリと黒毛和牛、そして湯気を立てる鰻重が積み上げられていた。伝票には『令和維新・適正分配』。
老夫婦は震える手でスマートフォンの銀行口座を確認した。宮内がマネーロンダリングを経由させ、資本家の裏口座から引き出した資金が振り込まれている。振込人名義は『ツルミレオ(キフキンハヤメニツカエ)』。
老夫婦は、玄関前の「豊かさ」と画面の数字を交互に見比べ、皺だらけの顔を覆って泣き崩れた。
光が丘団地、別の棟。母子家庭の佐伯由美は、ドアの外に積まれた段ボールを見て、最初は詐欺か嫌がらせだと思った。伝票には『令和維新・適正分配』とだけある。差出人の記載はない。箱の中身は、子供用の冬物コートと、賞味期限の長い米と缶詰だった。サイズは、小学三年の息子の体格に合っている。
「……何で、うちの子のサイズ知ってんの」
由美はスマホで写真を撮り、誰に送るでもなく呆然と眺めた。
別の棟。年金だけで暮らす一人暮らしの老人、田中は、銀行の通知音で目を覚ました。スマートフォンの画面に表示された入金額を見て、何度も指で数字をなぞった。
「……桁、間違ってないよな」
画面には『ツルミ レオ』の名義で、十八万円の振込記録。田中はテレビをつけた。ニュースでは、大手食品コングロマリット『桜花生活流通』の会長・大河内厳が、自宅で急死したと報じられている。田中はその名前に、聞き覚えがあった。半年前、卵の値段が一夜で倍になった日のことを思い出す。




