EP02 真実のグラム単価
宮内がノートPCの画面を切り替えた。「シブンギブンだ」
「コンビニ、ですか」哲平が顔を上げる。「……ローザンはどうします?あそこも大手ですけど」
「ローザンは対象外だ」
「なぜだ」新城が問う。
「夜になれば半額シールを貼って、売れ残りを現場に還元してる。あれに救われてる人間がどれだけいるか」
「たしかに」哲平が小さく笑う。「俺もよく世話になってます。上げ底戦略でさんざん消費者をバカにしてきたシブンギブンだけ血祭りにあげましょう。で、どうやるんです?」
「商品マスタの価格テーブルを書き換える」
宮内はエンターキーを叩いた。「パッケージの空洞率から『真実のグラム数』を割り出して、適正価格で決済させる。名付けて『真実のグラム単価ハック』」
「底上げされたプラスチックの中身を、経済的にぶっ潰すってわけだ」
「パッケージの空洞率なんてどうやって調べたんですか」
「物好きな動画配信者が、動画の企画で割り出していた。そいつにデータをもらった」
「配信者のデータなんか信じられるんですか」哲平がそう言うと宮内はすぐに答えた。
「問題ない。そいつは工学博士だ。大学の研究室を借りて計測してる」
「それはまた物好きな……」
トクジさんが紙コップを呷る。
「では、明後日の午前三時」
宮内がノートPCを閉じた。
「同時にすべてをひっくり返そう」
翌日。永田町、内閣府の会議室。物価高対策をめぐる、急遽招集の関係閣僚会議が開かれていた。
「消費税を一時的に二パーセント下げる。これしかないでしょう」
経済対策担当大臣、来栖修一が資料を叩いた。
「財源はどうするんですか」財務官僚が即座に切り返す。「恒久財源のない減税は、市場に悪いシグナルを送ります」
「そもそも、消費税を下げる発想自体が間違っている」
与党財政規律派の重鎮、堂島が割って入った。「下げるべきは法人税の優遇措置だ。便乗値上げで過去最高益を出している企業から、適正に取ればいい。増税こそが筋だ」
「企業を増税で締め上げたら、投資が萎縮します」来栖が即座に返す。
「投資より先に、国民が餓えてます」堂島が机を叩く。
「だったら給付金の方が早い」別の議員が手を挙げた。「消費税は全国民に薄く効くだけだ。本当に困窮してる層に、現金を直接配る方が効率的だろう」
「給付金は事務コストが膨大です」官僚がすぐに資料を読み上げる。
「対象の選定、申請受付、不正対策……前回は配布まで四ヶ月かかりました」
「四ヶ月待てる国民がどこにいるんですか」
「ガソリン税の暫定措置の方が現実的では」さらに別の声。「効果が見えやすい」
「ガソリンだけ下げて、卵や米はどうするんです」
「だから給付金だと言ってるでしょう」
「給付金は遅いと言ってるでしょう」
会議室の声が重なり、誰の発言も最後まで聞かれなくなっていく。
「……すみません」
経済学者枠で呼ばれた委員が、小さく手を挙げた。「議論が、堂々巡りになっています」
誰も答えなかった。
「大臣」委員が続ける。「国民は卵の値段一つで生活感を測ってるんですよ。データより先に、生活が壊れてます」
「分かってます。分かってますよ」
来栖は資料を閉じた。「とにかく、この件は持ち帰って、与党内でもう一度すり合わせを」
「いつまでにですか」
「……出来るだけ早く」
誰も、何も決めなかった。
*
九段下、靖国神社にほど近い古い柔道場兼事務所。表札には『皇道一新会』とだけある。
「お久しぶりっす、鷲尾の親父」
哲平が頭を下げる。古びた畳の上、座布団に座った男が片眉を上げた。鷲尾兼一。五十五歳。皇道一新会総裁。短く刈った白髪、日に焼けた皮膚に深い皺。傍らには文庫本が山のように積まれている。
「てっぺいか。おまえもうトクリュウは上がったんじゃないのか。何の用だ」
「相談したいことがあって」
「相談、ねえ」
鷲尾は文庫本のページを折り、机に置いた。
「俺はお前らみたいなチンピラの揉め事の仲裁屋じゃねえぞ」
「人を一人、片付けたいんです。大河内厳」
鷲尾の目つきが変わった。
「てめぇ。ウチはヤクザじゃねぇんだぞ」
「すみません、すみません……わかってます」
「まぁ続けろ。あの大河内だな」
「ご存知で?」
「知らねえわけがあるか」
鷲尾は身を乗り出した。「大手食品コングロマリット『桜花生活流通』の会長。――あの会社、育成就労の連中を時給三百円台で働かせてるって噂がある。制度の建前は『人材育成』だ。実態は技能実習の頃と同じ、人買いだ」
「親父も詳しいんですね」
「俺は毎月、官報と業界紙を端から端まで読む。北一輝も読む。だが今の役人どもの誰よりも、現場が腐ってることはよく分かってる」
「きた、いっき?」
鷲尾は鼻で笑った。「戦前の思想家だよ」「大河内の会社はそれだけじゃない。中国資本の出資を裏で受け入れて、国内の物流網を売り渡そうとしてるって話もある」
「俺らは別に、その話で動いてるわけじゃないんですけど」
「だろうな。お前らは思想がない。腹が立ってるだけだろう」
鷲尾は哲平を見据えた。「だが俺には思想がある。資本主義に魂を売った国を、もう一度立て直すための思想だ。お前らの『腹立たしさ』と、俺の『思想』は、たまたま同じ標的を向いてるってだけだ。現に大河内の自宅前で街宣やったこともある」
「……それで、手伝ってもらえます? 資金も用意してます。五本でどうでしょう?」
「何が欲しいんだ」
「実行部隊の人手です。大河内の邸宅、ボディガードがいる」
鷲尾は腕を組んだ。
「うちの若い連中、十人くらい貸してやる。だが条件がある」
「何です」
「現場に、うちの声明文を残させろ」
「……それは困ります」
「困るのはお前らの問題だ。俺たちは無償じゃ動かねえ。手柄は手柄として残す」
哲平は少し黙った。
「分かりました。宮内に話してみます」
「宮内、ね」鷲尾が呟く。「IT屋か」
「会ったことあるんですか」
「ない。だが、名はよく聞く。お前みたいなのを使ってる時点で、頭はいいんだろう」
鷲尾は文庫本を再び開いた。「いいだろう。決行はいつだ」
「二月二十六日、午前三時です」
鷲尾の表情が、わずかに動いた。
「……二・二六、か」
「は?」
「気にするな。ただの因縁だ」
「うちの若いのを、世田谷に向かわせる」
鷲尾は本に視線を落としたまま言った。「ただし、てっぺい。一つだけ覚えとけ」
「何です」
「俺たちが手を貸すのは、お前らに共鳴したからじゃねえ。大河内が、この国を売ったからだ」
哲平は一礼し、道場を出た。九段下の空に、靖国神社の木々が黒い影を落としていた。




