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明日の色を織る令嬢は、冬を抱く王弟と白潮灯台で暮らす  作者: 銀細工ナギ


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15/20

逆流する朝

 馬車の床からせり上がった黒い管が、蛇のように二人の足元へ絡みついた。


 エルシアは反射的に座席の背へ身を引いた。管の表面には細い溝が走り、そこを青白い光が流れている。朝彩ではない。夜明けの光から色を抜き取ったあとの、冷たい残り滓だった。


「触れるな」


 ノアの手が、エルシアの腕をつかんだ。冬紋が走った場所から、薄氷が管へ広がっていく。しかし黒い金属は凍るそばから震え、氷を内側へ吸い込んだ。


「冬紋まで吸うのですか」


「魔力なら何でもいいらしい」


 馬車の車輪がぬかるみを踏んだ。外では御者が何か叫んでいる。騎兵の蹄が遠ざかり、車体の振動だけが強くなった。進んでいるのではない。床下の装置が、馬の速度を越えて朝彩を引いている。


 エルシアは耳を澄ました。曙硝子の声は、さきほどから途切れ途切れに響いている。


『戻せ。白潮の光を、王都へ戻せ』


 違う、と彼女は思った。これは命令ではない。何度も繰り返された言葉が、硝子の中で傷のように残っているだけだ。


 彼女は胸元から、昼間に抜いた朝彩の金糸を取り出した。ユノへ渡した布から、ほんの少しだけ切り離しておいた糸だ。細い糸の先を管の溝へ差し込むと、冷たい光が一瞬だけ金色に変わった。


「エルシア?」


「この装置は、光を一方へ流すために編まれています。なら、編み目を一つ逆にすればいい」


 彼女は糸を引いた。朝彩を織るときと同じように、指先で光の流れを数える。一、二、三。四つ目の脈動が来たところで、金糸を反対側の溝へ渡した。


 黒い管が大きく鳴った。


 床下から押し寄せていた冷気が、今度は逆向きに噴き出す。車内の窓が一斉に白く曇り、御者の怒鳴り声が近づいた。


「何をした!」


 扉の向こうで、王家の騎兵が剣を抜く音がした。


「急いでください」


「君は?」


「編み目を押さえます」


「駄目だ。君を残しては行けない」


 ノアの声に、初めてはっきりした焦りが混じった。そのことが、エルシアの胸を熱くした。


「なら、一緒に押さえてください」


 彼女が手を差し出すと、ノアは迷わず重ねた。冬紋の冷たさが金糸へ伝わり、暴れていた光の脈が一定になる。二人の手の間で、金色と銀色の細い線が交わった。


 馬車が急停止した。


 外から扉を開けようとする音がする。だが、ノアが手を離した瞬間、閂の周囲が凍りついた。エルシアは金糸を管から抜き、座席の下へ滑り込ませる。


「三つ数えます」


「分かった」


「一、二、三!」


 金糸を引き切ると、床下で溜められていた光が一気に跳ね返った。


 馬車の屋根から、朝の色が噴き上がった。


 まだ夜半だというのに、道の向こうが淡い橙に染まる。空へ昇った光は流星のように白潮灯台の方角へ戻っていき、遠くで灯台の光が太くなった。


 同時に、逆流装置の中心で何かが砕けた。黒い管は力を失い、床へ落ちてただの鉄棒になる。


 扉の外から、短い悲鳴が聞こえた。ノアは凍った閂を蹴り開け、エルシアの手を引いて道へ降りた。


 騎兵たちは馬車から離れ、突然明るくなった空を見上げていた。御者の足元には、王家の印ではない小さな金属札が落ちている。表には朝彩院の刻印、裏には五本の線が刻まれていた。


「これは……灯台の配置図です」


 エルシアが拾い上げると、金属札の線が淡く光った。白潮灯台を示す一本だけが、今も明滅している。残る四本は、遠い場所で消えかけていた。


 ノアは騎兵たちを見た。彼らはもう剣を構えていない。逆流した光が、王家の馬車を動かす力まで奪ったのだ。


「王都へ行く馬は、まだ残っています」


「行けば、装置を止めたことが知られる」


「戻りましょう。白潮灯台へ」


 ノアは金属札を見つめ、それからエルシアの手を握り直した。


「灯台を一つ守るだけでは足りない」


「ええ。五つすべてを、同じ朝に点ける必要があります」


 東の空が、ほんの少し明るくなった。


 それは王都へ吸い上げられる朝ではなかった。海の上で生まれ、灯台へ集まり、町の人々の手へ渡っていく、本来の光だ。


 エルシアはその色を見ながら、金糸を握りしめた。奪われた朝を取り戻すために、二人は夜の道を白潮灯台へ引き返した。


 背後で、空になった馬車の中から曙硝子の声がした。


『ひとつでは、足りない』


 今度の声は、命令に聞こえなかった。


 遠い四つの灯台が、まだ消えずに待っている。そのことを告げる、かすかな呼び声だった。

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