第三十八話 鈴の音が遠い朝
翌朝、目を覚ました時、最初に見えたのは布を巻かれた指だった。
左手の人差し指。
白い布が、器用に巻かれている。
痛みはほとんどない。
少し動かすと、傷口のあたりがじんとするくらいだ。
けれど、その布を見るだけで、昨夜のことが一気に戻ってきた。
果物の皮を滑った包丁。
にじんだ血。
すぐ隣に来たヴィルヘルム。
触れます、と言った低い声。
私の指先を支えた、冷たい手。
薬草の匂い。丁寧に巻かれた布。
そして。
王都からの使者。
帰還式典。
王太子選定会議。
三か月。
私は寝台の上でしばらく動けなかった。
昨夜は、あまり眠れなかった。
眠ろうとすると、食卓の光景が浮かんだ。
二つ並んだ器。若葉のスープ。丸パン。豆の皿。
ヴィルヘルムが静かに匙を運ぶ姿。
――とても温かい食事でした、と言った声。
それなのに、そのすぐ後に、遠い王都の影が台所へ入り込んできた。
温かいものは確かにあった。
でも、それは私の手の中に留まらなかった。
指の間から、少しずつ滑り落ちていってしまった。
「……起きないと。」
小さく呟く。
声に出せば動ける。
それは、もう覚えた。
私は布団をどけ、ゆっくり体を起こした。
熱はない。
体も、もうほとんど元に戻っている。
ただ、胸の奥だけが重かった。
台所へ行くと、昨夜の気配がまだ少し残っていた。
片づけは、結局ほとんどできなかった。
器は水に浸けたまま。鍋は脇に寄せたまま。
まな板の上には、切りかけの果物。
包丁はきちんと拭いて置いてある。
これは私がやったのか。
それとも、昨夜の最後に無意識に整えたのか。
よく覚えていない。
ただ、机の上に二つ並んだ器を見た瞬間、胸が少し痛んだ。
――二つ。
昨日は、当たり前のように二つ出した。
もう二つ出しても、おかしいと思わなかった。
そのことに気づき、私は椅子に手を置いた。
「……片づけよう。」
まず食器を洗う。水は冷たい。
指の布を濡らさないように気をつけながら、ゆっくり洗った。
スープの残りが、器の縁に少しついている。
若葉の小さな欠片が、鍋の底に一つ残っていた。
私はそれを見つめた。
私の畑の若葉。
彼が食べた若葉。
――この家は、あなたの場所になりました。
ヴィルヘルムの声が、耳の奥に戻る。
あの言葉は、嬉しかった。
認められたと思った。
あの日、こんなところはすぐに出るべきだと言った人に。
この家が、私の場所になったと言われた。
その瞬間、胸の奥に小さな火が灯った。
でも今、その火は不安そうに風に揺れている。
――王都という、遠くて大きな風に。
私は鍋を洗い、器を拭き、机を拭いた。
いつもより丁寧に。
そうしなければ、余計なことを考えてしまいそうだった。
切りかけの果物は、傷んでいないところだけを小さく切って皿に置いた。
昨日出すはずだったもの。
結局、出せなかったもの。
一切れを口に入れる。
少し酸っぱい。
甘さより、酸味の方が強かった。
「……まあ、安かったものね。」
誰に言うでもなく呟く。
食べながら、昨夜のヴィルヘルムの顔を思い出した。
――心配なのです。
――便利ではありません。
――私にとっては、とても不便です。
そんな言葉を残して、いなくなる。
三か月。
正確には分からない。
正確には分からないという言葉は、誠実だった。
だからこそ、怖かった。
人は、戻ると約束しても戻れないことがある。
大丈夫だと言っても、大丈夫ではないことがある。
私はそれを知っている。
言葉は、時に何の保証にもならない。
けれど、約束がないことはもっと怖い。
私は果物をもう一切れ口に入れ、すぐに皿を置いた。
味が分からなくなっていた。
外へ出ると、朝の森は静かだった。
鳥除けの鈴が、風に揺れて鳴る。
いつもの軽やかな音。
けれど今日は、その音が少し遠く聞こえた。
私は畑の前にしゃがみ込んだ。
若葉は育っている。
昨日摘んだ場所も、空きすぎてはいない。
残した株は、少しのびのびして見えた。
マーサが言った通り、間引くことは育てるために必要だったのだ。
残すために、選ぶ。
育てるために、少し離す。
私は指先で土に触れた。
濡れすぎてはいないが、少し湿っている。
水は今日の夕方でいいだろう。
葉の先に、朝の光が乗っている。
この若葉は、これからもっと大きくなる。
私が不安でも。
蹄の音が聞こえなくても。
ヴィルヘルムがいなくても。
土に根を張ったものは、ちゃんと育つ。
「……そうよ。」
私は畑に向かって言った。
「あなたたちは、育つのよ。」
言ってから、それは自分に言い聞かせているのだと気づいた。
私は、ヴィルヘルムがいなくても暮らせる。
火を起こせる。水を汲める。畑を育てられる。布飾りを縫える。ローレンスの店に納品もできる。
マーサに助けてもらいながら、町の人とも話せる。
だから大丈夫。
そう、大丈夫。
――大丈夫という言葉の信用が、昨日から下がっています。
ふいにヴィルヘルムの声が思い出され、私は眉を寄せた。
「……失礼な人。」
呟いた声は、思ったより弱かった。
その時、坂の下からマーサの声がした。
「起きてたね。」
顔を上げると、マーサが籠を抱えて歩いてくるところだった。
籠の中には布と、何か包みが入っている。
「おはようございます。」
「おはよう。顔色は……熱はなさそうだね。」
「もう大丈夫です。」
「その言葉は信用ならないけど、まあ昨日よりはましだ。」
「皆さん、私の大丈夫に厳しくなりましたね。」
「実績があるからね。」
「悪い実績ですね。」
「そうだよ。」
マーサは遠慮なく言った。
私は苦笑した。
それだけで、少し息がしやすくなる。
マーサは畑を見た。
「若葉、残した分は元気そうだね。」
「はい。昨日より広がって見えます。」
「間引くとそうなる。人間も、時々余白がいる。」
「……余白。」
「あんたは詰め込みすぎる。」
「反論しにくいです。」
「しなくていいよ。」
マーサは籠を玄関先に置いた。
「昨日、殿下さんは来たんだろう。」
「はい。」
「食事も出した?」
「出しました。」
「どうだった。」
「食べてくださいました。」
「そりゃよかった。」
マーサはそれだけ言って、私の顔を見た。
何も聞かない。
でも、見ている。
私は視線を逸らした。
「王都へ戻られるそうです。」
自分から言った。
言ってしまった。
マーサの表情が少しだけ変わった。
「そうかい。」
「帰還式典と、王太子選定会議があると。」
「王太子選定会議。」
「はい。」
「そりゃ、大きな話だね。」
「はい。」
私は畑の若葉を見た。
「短くとも三か月ほど、戻れないかもしれないそうです。正確には分からないと。」
「そうかい。」
マーサは、やはりそれだけ言った。
慰めの言葉を重ねない。
寂しいだろうとも言わない。
気の毒にとも言わない。
その静かさが、ありがたかった。
私は自分で続けた。
「当然です。あの方は王族ですし、本来ならもっと早く王都へ戻るべきだったのでしょう。」
「そうだね。」
「この家へ毎日来る方がおかしかったのです。」
「そうだね。」
「往復四時間もかけて、監視だか確認だか、よく分からないことをして。」
「そうだね。」
「だから、行くべきです。」
「そうだね。」
マーサは、全部同じ調子で受け止めた。
私は少しだけ唇を噛んだ。
「……そう言われると、腹が立ちます。」
「何て言えばよかったんだい。」
「分かりません。」
「じゃあ、そうだね、でいいだろ。」
私は黙った。
マーサには勝てない。
でも、今日はその負かし方が少しだけ優しかった。
マーサは畑の横に腰を下ろした。
「急に静かになると耳が慣れないもんだよ。」
私は顔を上げた。
「耳?」
「毎日聞いてた音が聞こえなくなると、しばらく変な感じがする。時計の音でも、井戸の音でも、誰かの足音でもね。」
「……蹄の音も?」
「さあね。」
マーサは空を見た。
「私は殿下さんの馬の音まで聞き分けちゃいないからね。」
私は何も言えなかった。
聞き分けている。
私はもう、ノクスの蹄の音を少し聞き分けている気がする。
ヴァルトの落ち着いた足音も。
ほかの黒馬たちのことも、名前を聞けば覚えてしまうだろう。
――そんな自分が悔しかった。
「……寂しいと、言うべきなのでしょうか。」
気づけば、口からこぼれていた。
マーサは私を見た。
私は慌てて続ける。
「いえ、やはり寂しいというわけではありません。ただ、急に静かになると耳が慣れないという話で。」
「ああ。」
「生活の変化です。」
「そうだね。」
「習慣の問題です。」
「そうだね。」
「……その、便利な言い訳だと思いますか。」
マーサは少し笑った。
「便利ではあるね。」
「やはり。」
「でも、今はそれでいいんじゃないかい。」
「いいのですか。」
「急に全部に名前をつけなくてもいいよ。」
名前。
胸の奥にあるもの。
温かかったもの。
今朝から重くなっているもの。
私はそれに、まだ名前をつけられない。
つけたくない。
名前をつけた瞬間、それは私の中で本当になってしまう気がした。
マーサは籠から小さな布包みを出した。
「ローレンスからだよ。昨日、あんたが休んでる間にも布飾りが二つ売れたってさ。」
「二つも?」
「ああ。あと、茶布の注文も一つ増えたらしい。」
「注文が?」
「双葉のやつだね。評判がいいそうだよ。」
胸の中に、少しだけ明るいものが差し込んだ。
布飾りが売れた。
茶布の注文も増えた。
私の仕事は進んでいる。
ヴィルヘルムがいても、いなくても。
これは私の手で作ったものだ。
「……嬉しいです。」
「だろうね。」
「手を怪我してしまったので、今日は針を持てませんが。」
「じゃあ今日は持たない方がいいね。」
「明日は?」
「指の傷次第だ。」
「少しだけなら。」
「その言葉は禁止だよ。」
私は小さく笑った。
マーサは私の巻かれた指を見る。
「手当て、殿下さんかい。」
「はい。」
「上手いね。」
「……慣れているそうです。」
「あちらにいた時に?」
「はい。細かい怪我を自分で処置することが多かったと。」
マーサは少しだけ黙った。
それから、低く言った。
「王子様も楽じゃないね。」
「そうですね。」
私は布を巻かれた指を見た。
ヴィルヘルムの質子だった十年。
私は、そのすべてを知っているわけではない。
王宮で彼を見ていた。
冷静で、表情が少なく、何を考えているか分かりにくい、隣国の第三王子。
長い時間共に過ごしてきたはずなのに、実際は何も知らなかった。
知らないまま、断罪の日の彼を憎み、森の家へ来る彼を面倒だと思い、今はその不在を怖がっている。
「……私は、あの方のことを何も知らないのかもしれません。」
マーサは私を見た。
「知ればいいじゃないか。」
「もう王都へ行ってしまいます。」
「帰ってきたら聞けばいい。」
帰ってきたら。
その言葉に、胸が小さく跳ねた。
帰ってくる。
そう決まったわけではない。
本人も、正確には分からないと言った。
でも、マーサは当たり前のように言った。
――帰ってきたら。
私は畑を見た。
「帰ってくるでしょうか。」
「本人は、戻るつもりなんじゃないのかい。」
「そうは、はっきり言われていません。」
「じゃあ、今度来たら聞きな。」
「聞けません。」
「何で。」
「怖いからです。」
正直に言ってしまった。
マーサは少しだけ目を丸くした。
私も、自分で驚いた。
――怖い。
戻るのかと聞いて、もし曖昧な答えが返ってきたら。
もし、約束できませんと言われたら。
もし、王太子になれば難しいと言われたら。
――聞かない方が、まだ息ができる気がする。
マーサは、しばらく黙っていた。
そして、畑の若葉を指さした。
「これも最初は怖かったろ。」
「若葉ですか。」
「芽が出るか分からない。雨で流れるかもしれない。鳥に食われるかもしれない。育つか分からない。怖かっただろ。」
「……はい。」
「でも、種をまいた。」
「はい。」
「怖くても、聞きたいことは聞いた方がいい時もある。」
私は何も言えなかった。
マーサは立ち上がり、腰を叩いた。
「まあ、今日は無理しなくていいよ。焦げついた不安は苦いからね。」
「また鍋の話ですか。」
「そうそう。暮らしはだいたい鍋で説明できるんだよ。」
私は思わず笑った。
笑うと、胸の奥の重さが少しだけほどけた。
マーサが帰った後、私はローレンスからの売上を数えた。
硬貨が小さく鳴る。
布飾り二つ分。
茶布の注文。
この音は、私の仕事の音だ。
昨日、ヴィルヘルムが食べてくれた若葉のスープも、私の暮らしの音だった。
その二つを、私は手放してはいけない。
――たとえ、蹄の音が遠くなっても。
昼過ぎ、私は針を持たずにできる作業だけをした。
布の色を選ぶ。裁断する。茶布の下絵を薄く描く。
左手の指を使わないように、ゆっくり。
思ったより進まない。
けれど、何もしないよりは落ち着いた。
時折、耳が勝手に森の道を探る。
蹄の音。
聞こえない。
当然だ。
出立の準備があると言っていた。
毎日は来られないと言っていた。
昨日聞いたばかりだ。
それでも、夕方になると、私は何度も窓の外を見た。
来ないかもしれない。
来るかもしれない。
いや、来られないと言っていた。
明日も来ますとは言わなかった。
もう、業務は終わったのだろうか。
終わったのなら、それでいい。
良くない。
いや、良い。
自分の中で、言葉が何度も行き来する。
私は茶布の下絵を見下ろした。
双葉の形。
若葉の形。
昨日より少し大きく描いてしまっていた。
私は指先で輪郭をなぞった。
育っている。
畑も。
私の仕事も。
たぶん、私自身も。
でも、育つ途中のものは、風に揺れやすい。
夕暮れが近づく。
空を覆う赤い光の中、ゆっくりと森の影が伸びる。
暗い闇を纏い始めた木々がざわりと風に揺れた。
その音に呼応するように鳥除けの鈴が静かに音を立てる。
私は窓辺に立った。
遠くの道は、まだ静かだった。
――今日は来ない。
そう思った時、胸が沈んだ。
その直後、遠くから小さな蹄の音が聞こえた。
私は息を止めた。
聞き間違いかもしれない。
荷車かもしれない。
近所の誰かかもしれない。
でも、耳が勝手に覚えている。
あの音。
規則正しく、急ぎすぎず、けれど迷いなく道を進む音。
――来た。
胸の奥に、ほっとしたものが広がる。
同時に、怖さも広がる。
彼が来るたびに、会えなくなる日が近づく。
会えるたびに、別れが近づく。
そんなことを考えながら、私は扉の前へ向かった。
玄関を開ける前、布を巻かれた指が目に入った。
昨日の手当て。
昨夜の知らせ。
温かさと不安の両方が、そこに残っている。
扉を開ける。
斜陽の光の中、ヴィルヘルムが立っていた。
濃紺の外套。
淡い金髪。
そして、手綱袋で揺れる薄緑の布飾り。
彼はいつものように、敷居の外で止まっていた。
「こんばんは。」
「……こんばんは。」
声が少し遅れた。
ヴィルヘルムは私の顔色を見た。
そして、布を巻かれた指を見る。
「傷は。」
「大丈夫です。」
「本当に?」
「今日は本当に。」
「熱は。」
「ありません。」
「食事は。」
「食べました。」
「無理は。」
「していません。」
「……。」
「何ですか。」
「また先に答えられました。」
「慣れましたから。」
いつものやり取り。
でも、今日は少し違う。
――これが、あと何回できるのだろう。
そう思った瞬間、胸が痛んだ。
ヴィルヘルムも、何かを言いかけて止めた。
その沈黙が、昨日より遠い。
「出立の準備は?」
私は聞いた。
「進めています。」
「そうですか。」
「はい。」
「無理は……。」
言いかけて、私は口を閉じた。
――あなたも無理をしないでください。
そう言いそうになった。
言ってはいけないわけではない。
でも、言えばまた何かがこぼれそうだった。
ヴィルヘルムは、静かに続きを待っていた。
私は視線をそらす。
「……馬に無理をさせないでください。」
「はい。」
「……あなたも、と言いそうになりました。」
言ってしまった。
自分でも驚いた。
ヴィルヘルムの目がわずかに揺れる。
私は慌てて続けた。
「言いそうになっただけです。」
「言っていただければ、嬉しかったと思います。」
胸が跳ねた。
どうしてこの人は、急にそういうことを言うのか。
私は何も返せなかった。
鳥除けの鈴が鳴っていた。
足元の草木が風に揺られ、微かにさざ波のような音を立てる。
夕暮れの森の中で、小さな音が二人の間に落ちていた。
ヴィルヘルムは深く頭を下げた。
「……今日は、確認だけです。」
「はい。」
「明日は来られないかもしれません。」
分かっていた。
分かっていたのに、胸が少し沈む。
「……そうですか。」
「出立前に、もう一度伺います。」
私は顔を上げた。
「もう一度?」
「はい。可能であれば。」
――可能であれば。
その言葉は不確かだった。
けれど、ゼロではない。
「分かりました。」
私は小さく頷いた。
「その時に、聞きたいことがあります。」
自分の声に、自分で驚いた。
マーサの言葉が、背中を押したのかもしれない。
怖くても、聞きたいことは聞いた方がいい時もある。
ヴィルヘルムは静かに私を見た。
「はい。」
「今日は、聞けません。」
「はい。」
「でも、次に来た時に聞きます。」
「分かりました。」
「……逃げないでください。」
また言ってしまった。
ヴィルヘルムは、まっすぐに私を見た。
「逃げません。」
その声は、約束のようだった。
それでも、胸の奥の不安は消えない。
でも、少しだけ形を持った。
聞きたいことがある。
それを、次に聞く。
その約束だけを抱えるように、私は敷居の内側で立っていた。
ヴィルヘルムはもう一度頭を下げ、黒馬の方へ戻った。
薄緑の布飾りが、小さく揺れる。
庭の鳥除けの鈴が軽やかな音を立てる。
鈴の音と手綱袋で揺れる布飾りが、一瞬だけ重なったように見えた。
蹄の音が遠ざかる。
私は、その音が聞こえなくなるまで扉を閉められなかった。
静かになった森の道を見つめながら、心の中で小さく繰り返す。
次に来た時に、聞く。
戻ってくるのか、と。
その約束を、私にくれるのか、と。
聞く。
怖くても。
聞く。
夕闇が森を包み始めた。
静かな森には、木々のざわめきと鈴の音以外にはもう何も聞こえない。
扉から吹き込む風は、もう身を震わせるほどではなかった。
いつの間にか、雨季を越え、夏を迎える季節だった。




