夢の場所
目を閉じて、数分。
波の音が聞こえるようになったら、瞼を上げる。
目の前に広がるのは、高層ビルをいくつも飲み込むコバルトブルー。
入道雲が浮かぶ夏空に、宙を泳ぐ白い魚。ビルの屋上に立っている私は、フェンスを越えて靴を脱ぐ。
傍から見れば、人生を終えようとしている人間の様で滑稽に思えた。
縁は裸足で歩いてみる。両手を広げて、微かに吹いている風を受ける。コンクリートのジリリとした熱さが足の裏に伝う。少々の痛みも伴っているが、これがどうにも気持ちがよくて、目を閉じた。
案の定というべきか、バランスを崩して身が海に傾きかける。
ゾクリと。
背筋に冷たいものが走る。咄嗟に重心を建物側に向けて、目を開く。感じていた恐怖がほんの少し薄らいだ。ドンッ、とフェンスに勢いよく背を打ち付けて、そのまま座り込んだ。
少ししてから、また元の位置まで歩いて行く。今度は浅く腰掛けて、脚をビルの外へ放り出す。冷えた海が触れ、足の熱を奪っていく。深く、底すら見えない海中に落ちてしまわないように縁を掴んで、眩しいくらいに輝く空を睨む。
ここはいい。あの世界と違って、真偽を見ない噂話も耳を劈くような人の声も届きやしない。どこまでも、静かだ。
太陽との短い別れを惜しみながら、瞼をゆっくりと下ろす。
寄せては返す、建物を叩く波の音。どこからか、微かに聞こえる蝉の声。空を泳ぐ魚が奏でる神秘的な風の音。後方からする、タイルを踏み進めて近づいて来る足音。
コツ、コツ、コツ、と。
突然足音が聞こえなくなったかと思えば、瞼越しに感じていた光が忽然と姿を消した。何事かと目を開く。
こちらの顔を覗き込む青年の姿が映った。翠の様にも見える茶色の瞳、光を受けて輝く柔らかな茶髪。一陣の風が絹糸のように艶めく髪とワイシャツのカラーを揺らす。
いつの間にか、隔てるように存在していたはずのフェンスが消えていた。
ジッと、こちらを捉えて離さない瞳は徐々に細まっていき、浮かべられるアルカイックスマイル。
本当、胡散臭い。
口角を上げて、青年の表情を笑ってやった。それでも、青年は表情を崩すことなくこちらを見続けていた。
「なぁに」
だんだんと見上げるのも疲れてきたと、青年の脚にもたれ掛かる。上目遣いで見つめてみると、ゆっくりと彼の瞼が上がっていき、神秘的な瞳が現れる。
「今日も、来たんだね。灯」
低くも高くもない、中性的な声。まったりとしていて、優しさが漂う喋り方。落ち着くのだ、とても。




