帰宅
少し汚れているローファー。タイヤの跡がくっきりと残っている道路。車のエンジン音の後ろで微かに聞こえる自転車のホイールが回る音。
何も変わらない、帰り道。
歩みを進めていくと見える、小学校。学童に預けられている子供たちの和気藹々とした明るい声が耳を劈く。昔のことなんて、思い出してもしょうがないのに。
何も聞こえない。
両手で耳を塞ぎながら横断歩道を渡る。
目の前にスーパーが見えてきたら、手前にあるジムを左に曲がる。買い物袋をカゴに入れて走る自転車と幾度もすれ違いながら、暮れの道を進んで行く。鴉が鳴くのと同時に防災無線のチャイムが響く。
ひらけた道路の先に見える茜色の空、徐々に迫る車の波。日常を噛み締めながら、陰鬱な家へと帰る。
飾り一つ付いていない玄関を開け、薄暗い中靴を脱いでリビングへ。
ダイニングテーブルで年齢に似合わない雑誌を読んで、ニマリと気色の悪い笑みを浮かべる母。
冷蔵庫からお茶を取り出して、声をかける。
「ただいま」
帰ってきていたことに気が付いていなかったのだろう。母は雑誌を急いで隠し、誤魔化すように笑った。
「あら、朱莉ちゃんお帰りなさい。晩御飯は? 今食べる?」
首を横に振る。
「ううん。あとで食べるから、先に食べちゃっていいよ」
「そう、分かったわ」
下を向いた暗い顔。自分のせいだとは分かっているけれど、明るく一緒に食事を取るような気分にはどうしてもなれない。
私だってできるのなら、昔みたいに家族と良好な関係を保っていたかった。でも今の二人は私の事なんて見えていない。話だってきちんと聞いてくれないのに、大人しくテーブルに着く事なんて出来ない。
文句ばっかり言ってしまいそうで、あたってしまいそうで怖いのだ。
察して欲しいと視線を送るも、テーブルを見つめている母は気づいてくれない。
大きな音を出さないように、そっとリビングのドアを閉めた。
『「」』
呼び止められた気がしたが、振り返ろうとは思わなかった。
2階、階段正面の八畳一間。落書きだらけの戸を開くと、壁いっぱいに貼られたアーティストのポスターと、壁三方を占めるラック。大量に並べられているCDやDVDが私を出迎える。
ローベッドの隣、ラックの中段に並べられている有線無線入り交じったイヤホンにヘッドホンの中からツートンカラーの有線ヘッドホンを取り、ベッドの上へ。
ハイレゾ再生も、ノイズキャンセリングもついていない、オーディオテクニカの最安値モデル。もう長い事使っているから、密着性もほとんどなくて外音も普通に聞こえてくるけれど、オーバーイヤーじゃないから横になりながら聞くのに丁度いい。安くても、音はいいし。
肩にかけていた鞄をベッドの横に放るように置いて、皺が寄るのも気にせず制服のままベッドに飛び込んだ。
手の届く範囲に置かれているプレイヤーの電源を入れて、イヤホンジャックに刺す。
LとRの確認もせずにヘッドホンを装着して、壁紙の境界線が前よりもはっきり出ている天井から目を逸らすように瞼を下ろす。
真っ暗な中、耳から脳を支配するポップス。
ループ再生で、飽きるほど曲を頭に入れ、体から段々と力が抜けてきた頃にヘッドホンを外す。浸かっていた世界から目を覚ますと、陳腐な日常が待っていて。もう音楽だけでは気分が変わらなくなっていることを実感していた。
ヘッドホンを仕舞い、ラックの四段目にあるギアを取る。逃げることだって、必要なんだ。そう言い聞かせて、電源を入れた。




