約束
「もうカノンは夢に居るかな」
帰宅早々、晩御飯も制服を脱ぐのも後回しにして、ベッドで横になってギアを装着する。
普段なら現実であったことのない人との会話すら警戒するのに、不思議と彼女にはそんな考えを抱くこともなかった。ただ、あの綺麗な歌声を聞きたくて、どうしてあの選曲だったのか聞きたくて、初めて親友と呼びたい人に出会った気がして。
ログインしてすぐに【鏡下都市】を選択して、彼女を探す。
遠くに何かが見えて、駆けていく。
「はっはっはっ、はっはっ……はぁはぁ」
走るのに疲れて、ゆっくりと歩んでいくと体育座りで空を見上げる背中があった。
きっと彼女だ。
「カノン~!」
背中に向かって手を振って、また走る。
声に反応して振り返った彼女の表情が揺れる視界にもよく映る。野に咲くタンポポみたいだった。
「灯!」
立ち上がって待っていてくれている彼女に触れられる距離まで近づいたところで立ち止まる。
「昨日は会って直ぐにバイバイになっちゃったけど、今日は大丈夫、だからいっぱいお喋りしよう! カノンの歌もまた、聞きたいし……っ、ほぼ初対面なのにテンション高すぎるよね、でも! カノンとの出会いが衝撃だったというか、この子と仲良くなりたいって思ったっていうか!」
マシンガンのように止まない想いを浴びせていると、彼女は一度目を丸めてから微笑んで言う。
「そっか。その……テンションとか気にしていないから、大丈夫だよ。そんな風に言って貰えて嬉しいな」
「本当? 引いたりしてない?」
「うん……その、灯とお話したいなって、昨日思っていたから」
それからはどのボカロが好きなのか、どうしてあの時あの曲を歌っていたのか、好きな漫画やアニメの話で盛り上がっていた。互いに年齢やどの地域に居るかなんて会話はしない。知った所で会う場所はここなのだし、年が近いからなんて括りで仲良くなりたい訳じゃなかったから。
私達は週に3回か4回時間を決めて趣味の話をしたり、一緒に歌ってみたり、私の冒険に溢れた夢で探検したりと楽しい非日常を送っていた。交流は数か月続いていて、お互いに初めての親友だと言い合っていた。
冷たい鏡の上で寝転がって笑い合う。
「灯、今週の金曜日会える? とても大事な話があるの」
「うん、大丈夫だよ」
「絶対に来てね? 約束だよ?」
「うん、約束」
彼女の方に小指を差し出す。指切りをすると、丁度アラームが鳴った。
「またね」
「うん! バイバイ」
ずっと、ずっとこんな日が続くんだと思うと、今まで感じた事が無いくらいに心が温まった。この時既に日常を捨てようとしている自分が育っていた。
私の心の内を見透かしたように、両親は約束の日にギアを取り上げた。
最初はなぜだか分からなかった。身バレするようなことはしていないし、成績だってキープしてる。危ない事なんて何もないのに。
「今日は約束してるの、だからギアを返して!」
「駄目だ。最近のお前はあれだ、最近ニュースでやってるユーフォリア症候群の奴と同じだぞ。晩御飯の時も降りてこずに、勉強なら多少目を瞑るが遊ぶために生活を壊すのは許さん」
ユーフォリア症候群……夢に浸る為に3時間ごとに短い休憩を挟み、水分補給も食事もとらずにログインし続ける人達と一緒だなんて、冗談じゃない。
「お母さん、お父さんに言ってよ! 私成績だって落としてないし、ちゃんと時間決めてやってるから大丈夫だって!」
縋る様に母を見る。だが、怒鳴っている父に声を上げる事なんて、出来るはずもなかった。バツが悪そうに目を逸らしてから小さな声で言う。
「ごめんね、朱莉ちゃん。心配なの」
「分かった、これからはもっと時間を短くする。ご飯もちゃんと時間通りに食べる。だから、お願い! 今日は大切な話があるって言われたの! 会いに行かなきゃいけないの!」
必死だった。初めてできた親友との約束を破りたくなかったから。
「大事な話だと? お前、変な奴と会ってるんじゃないだろうな」
は? 変な奴? カノンはそんなんじゃない。少し恥ずかしがり屋で、優しくて、歌手みたいに歌が上手くて、誰から見ても可愛らしい女の子なんだ。一緒に居て、あれほど楽しい同性の友達なんて滅多にいない。
「あの子は、そんなんじゃない! 第一、女の子なんだよ!」
「はぁ、男が成りすましていたらどうするんだ。怖い目に遭ったらどうするんだ! もう会うのは止めなさい。どうしても会いたいと言うなら、次の中間テストと学期末テストで学年1位を取りなさい。それまでは何があっても禁止だ。約束を破ればこれはリユースショップに売ってくるからな」
奥歯を噛み締め、震える手で拳を作る。振るうわけでもない拳の内側で、爪がゆっくりと掌に喰い込んでいった。
「はい、お父さん」
それから私は勉強漬け。無事に中間期末と学年1位を取りギアは帰ってきたが、これ見よがしにと入れられた塾と学校、家の手伝いに追われて一年間ユーフォリアクラウドに入る事はなかった。
「ごめん……ごめんね、カノン」
部屋の中、消え入りそうな自分の声だけが部屋に広がった。




