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かつてそこは、ただの荒地だった。
旧時代の市街が跡形も無く破壊され、焼き払われ、【陽魔】によって「そのように滅ぼされた」と。
アイハがそう教えられた地だった。
戦術院から少し離れれば、どこもかしこも、そんな荒地ばかり。
そのはずだった。
だがそこには今――――新たな人の営みが築かれつつある。
街が、生まれつつあるのだ。
アイハはそれを、戦術院から少し歩いたところにある小高い丘から眺めていた。
「【恒久的相克】の消失により、人は自らの力で生きなければならなくなった。これは……その象徴だ」
アイハの背後から、シィラがそう説明する。
「『世界は鎖されている』という認識が【陽街】の民から失われ、戦術院にいた【ジュウナナ】も、戦争は終わったとしてその役目から解放された」
「【陽魔】がもう、生まれないから」
「そういうことだ」
「……【ジュウナナ】は今、何をしているんですか」
暖かみのある強い風の中、アイハが問う。
「【自死同盟】とは別の、反タラストラ派で構成された現政府が保護をしている。彼女達は、異能力者の集団として、これまで影で人類の平和に貢献していたと説明されている」
「そうやって、ほとんどの人類と【ジュウナナ】は【恒久的相克】の存在を知らないままでいるんですね」
「知れば、またこの世界は鎖された混沌に陥る」
「……そうですね」
アイハは、街を作る人々をもう一度眺める。
そして、気づく。
繰り広げられる営みの中に――
巨大な建材を軽々と持ち上げて運ぶ少女と。
見慣れた武器を携えて、何かを警戒する少女がいることに。
「シィラさん、あれは――」
「……そう、ジュウナナだよ」
「一体、何をしているんですか」
「既に【ジュウナナ】として覚醒している者の中には、ああやって自分の力を人類に貢献させようとする者が多い。【霊器】を携えているのは、治安維持のためだ。【恒久的相克】の無い世界では、両義性の崩れによるいざこざはいくらでも起きる」
アイハにとってそれは、正に未知の世界であった。
ただの人間と【ジュウナナ】が、当然のように同じ場で生きている姿。
【ジュウナナ】の力が、【陽魔】を殺すためだけに使われない光景。
そんなものが、現実にありえるなんて。
アイハにとってそれは……大きな、あまりにも大きすぎる衝撃だった。
「この光景は、少なくとも旧関東近辺ではよく見られるものになった」
「それだけ、ジュウナナが人々に……受け入れられた、ってことなんですね」
「――今後の課題は、現存する【ジュウナナ】とそれに類する少女達に残る【久遠輪】の因子をどうするか、といったところか」
「……タラストラ派に残党は?」
「いる。ただ、もうこの旧日本では活動できないだろう」
シィラが遠くの空へと視線を向ける。
「しかしながら海を越えた向こう……かつて暗黒大陸とされていた地には、まだ【恒久的相克】を実行しうる装置が存在している。人類の行動が拡大された今、それが稼動し、第二、第三の【陽街】が生まれる可能性はある」
――根は深く。
アイハは、未だこの世界に【久遠輪】の息吹が残ることを知る。
それが、苦々しい想いを彼女に抱かせる。
しかし。
目の前に広がる世界は、それと相反する想いをアイハに与える。
「――シィラさん。私、勘違いしていたんですか?」
口にせずにはいられない疑問がアイハにはあった。
「【恒久的相克】を壊すことは――――人類を滅ぼすことだと思っていました。私は【ジュウナナ】という同胞を救うために、人類ごと世界を壊すものだと、そう思っていたんです」
だから怖かった。
無駄なのだろうかと、恐れた。
あの時抱いていた感情が、アイハの中で甦ってくる。
「……それは私達も同じだ」
「同じ?」
「【自死同盟】とはそういうものだった。【久遠輪】のような存在に全てを委ね、地球と、地球上の全ての命を傷つけた過ちから逃げてまで、人類に生きる価値があるのかを問い続けていた。私たちは【恒久的相克】から脱し、かつて訪れるはずだった滅びの運命を受け入れることが必要なのではないかと。全てを捨てることで全てを戻し、救う。そんな極論が、始まりだった」
「……だから、自死」
生まれた限り。
命ある限り。
自死を望むことは、大きな矛盾を孕む。
誰もが恐怖する。
誰もが、その矛盾に苦しむ。
しかしながら、命を捨ててまで守らなければならないものがあることもまた事実だ。
アイハはそれを知っている。
命を賭けてくれた、最愛の家族達がいるから。
アイハは、それを見失わない。
生きることと、死ぬこと。
その二つの意味を、彼女はこれからも背負い続ける。
その覚悟をアイハは自らの内に確かめる。
「……今の世界は、私達がかつて予想していたものとは違う。滅びの可能性を受け入れても、それでも少しずつ進むことを選んでいる。この先にどのような正負の結果があっても進み続ける意志がある」
滅びを恐れ、停滞した人類から。
滅びを恐れず、進む人類へ。
「この星がかつての大戦で受けた傷を癒すためにその命を捧げられた過去の無数の【ジュウナナ】。そして、自分達の未来を信じて今を生きる【ジュウナナ】。彼女達のおかげで、人類は、【恒久的相克】から脱しても、真っ先に滅びへと至らなかったのかもしれない。彼女達の存在は――――かつての人類には、無かったものだから」
……丘に、また風が吹く。
その中でアイハが見上げる空は、青い。
「……私がしたことって、結局、何だったんでしょうか」
アイハは、震える声でシィラに問う。
「その答えを、知りたいか?」
穏やかな瞳を向けるシィラ。
彼女は、ふとアイハの背後に視線を送る。
「……お前に会わせたい者がいる。きっと、彼女がその答えを教えてくれるだろう」
アイハは、シィラの視線に導かれるように振り向いた。
そして、そこに一人の少女が、【ジュウナナ】が立っていることに気づく。
「――――」
アイハが、息を飲む。
驚きで、僅かに口を開く。
何故なら彼女は、確かにアイハの記憶の中にいた存在であるからだ。
背格好は随分変わったが、わずかに残る面影がアイハに誰であるかを悟らせた。
「――――ずっと、会いたかった」
響く、芯の強さを感じさせる声。
間違いない。
「……紹介する。彼女は、私の後継となって真実を後世に伝える者だ。現存する【ジュウナナ】で、ただ一人全てを知っている。名前は――」
「――ヒオリ」
シィラの言葉を遮り、アイハはそう口にする。
「……覚えていたのか?」
「ええ」
元橙花組級長ヒオリは、アイハの元へと駆け寄り、その手を掴む。
ヒオリの両目から、大粒の涙が頬を伝い落ちる。
「――――私、今、生きています」
そう言葉をかけられ、アイハは頷く。
「あなたのおかげで、私たちは、今を――明日を、生きているんです」
その手から伝わる温かさが、アイハに、これまでの日々を思い起こさせる。
「アイハさんが、私達に、【ジュウナナ】のみんなに、未来をくれたんですよ」
それだけじゃない。
そう言って彼女は遠く全ての世界を包むように、腕を広げてみせる。
「アイハさんが、この世界に、ほんの少しだけ――――優しさをくれたんです」
ヒオリの頬から、涙があふれ出てくる。
彼女は、やがてぐしゃぐしゃに表情を歪ませ、涙を流しながら。
ずっとそれが言いたかった、と叫んだ。
ありがとう。
そう何度も、ヒオリは口にした。
彼女が銃器型の【霊器】を天に翳し、そこから光を放つ。
それを見た眼下の【ジュウナナ】が、アイハに向けて何か、思い思いの言葉を放つ。
伝わってくる。
一人一人の、未来の息吹が。
……アイハは、自分が嗚咽を漏らしていることに気づけなかった。
どうしようもない想いが、ただ溢れだしてきて。
滲む視界の中で、アイハは、自分の因果が作り出した者の声を聞いていた。
――――確かに意味はあった。
自分がここまできた価値は、今この瞬間には存在しているのだ。
少なくとも、未来が――
カオンさんが求めていた可能性が、ここにある。
この先に、全てを台無しにする結末があったとしても。
それと同じくして、希望もまたあるのだ。
広大な可能性。
それを宿す今のこの世界が、アイハにとって、何よりの救いであった。
彼女の黒髪が、風に靡く。
アイハは、弱々しくも動き出した、未来への鼓動をその風に感じつつ。
空の果てを望み――――




