38話:オブザーバーの限界と、脳内崩壊
放課後の図書室、茜色に染まる窓際。
天宮さんの「私が導くという未来」と、サキの「一緒に悩もうという未来」。二人の眩しすぎる意思の狭間で、オレの思考は完全にフリーズしていた。
これまでのオレの判断基準は何だったか?
クラスの二大派閥、天宮とサキという「二つの異なる意見をどう一つに調整するか」。
どちらか一方に肩入れせず、差をつけず、絶妙なバランスで間を取り持つこと——それが、オブザーバーであるオレの役割だった。小手先の提案や妥協点で場を繕い、自分の「決断」をそこに存在させないことこそが、オレの処世術だったのだ。
だが、今回は違う。
スポーツ大会の時のような、スマホをスピーカーにして二手に分かれて応援するような小手先の誤魔化しなど、人生の進路という重すぎる選択の前では何の役にも立たない。かといって、とりあえずどこかの大学に名前を滑り込ませるという「先延ばし(とりあえず進学)」も、母・冴子の鋭い眼光の前では一瞬で見抜かれてしまう。
頭の中で、オレの脳内スレッドがかつてないほどの警報音を鳴らしながら起動した。
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【緊急深度審議】オブザーバー・一ノ瀬悠の存在証明に関する重大な矛盾
1:【冷静のオレ】(青ネーム:論理・リスク管理担当)
状況を整理する。これまでのオレは「中立」という名の安全地帯から、他人の争いを調停するだけの存在だった。だが、進路という「個人の選択」において、中立のまま生きる道は存在しない。
2:【熱血のオレ】(赤ネーム:本能・選択担当)
結局お前は、天宮のグローバルなエリート街道に寄り添うのか? それともサキの泥臭くも温かい人と関わる現場に飛び込むのか? どちらかを選ばなきゃいけない現実に直面してるんだぞ!
3:【中立のオレ】(緑ネーム:オブザーバー担当)
待て……そこで一つ、根本的な疑問がある。
そもそもオレは、「天宮かサキの、どちらかの未来に寄り添う」という二択以外の選択肢を持っていはいけないのか?
4:【冷静のオレ】
……どういうことだ?
5:【中立のオレ】
彼女たちはそれぞれ「自分の意思」で未来をデザインし、その隣にオレの席を用意してくれた。だが、オレ自身は「自分の足でどこに行きたいのか」を一度も考えていない。どちらかを選んでその軌道に乗っかることは、結局また「他人の敷いたレールの上を歩く」という、母親の元から逃げていた過去の縮図に戻るだけではないのか?
6:【熱血のオレ】
じゃあどうすんだよ!? どっちも選ばず一人で勝手に生きろって言うのか!? それじゃあ今まで支えてくれた二人を完全に切り捨てる最低なクズ野郎だろ……っ!
7:【冷静のオレ】
[警報]処理能力の限界を超過。CPU温度が安全領域を突破しました。論理的帰結を導出できません。現在の選択肢:【破綻】または【全回路停止】。
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「ぐっ……あ……」
脳内のスレッドが暴走し、情報の海で溺れるようなめまいがオレを襲う。
自分の意思という核を持たず、ただ周囲のバランスを取るためだけに動いてきた「オブザーバー」という仮面が、重すぎる現実に耐えかねて音を立てて砕け散っていく。
「っ、悠……!? どうしたの急に顔色が真っ青よ……!」
「一ノ瀬さん……っ! しっかりしてくださいまし!」
自分の両手をしっかりと握り締めてくれていた天宮さんと、不安そうに顔を覗き込んできたサキの声が、まるで水中のように遠くで聞こえる。
「……オレは……自分の足で、いったい……」
かすれる声を最後に、視界の端が急速に真っ暗に染まっていく。
バランスを取り続けようと無理を重ねてきた脳の回路が完全にショートし、オレの体はそのまま図書室の冷たい床へと崩れ落ちた。
「「――っ、悠(一ノ瀬さん)……!?」」
教室の窓から差し込む夕日を背に、倒れ込んだオレに駆け寄り、青ざめた顔で名前を叫ぶ二人の声を聞きながら、オレの意識は完全に闇の中へと沈んでいった。




