30話:ホテル夜想曲、早者勝ちの泥仕合
京都の定番スポットを駆け足で巡り、寺院の荘厳な歴史的ロマンと、土産物屋の鮮やかな彩りを交互に浴びせられ続けた結果——オレの脳と体力は完全に限界を迎えていた。密度倍の情報量に押し流され、ホテルに到着した時点ですでにHPは赤ゲージである。
だが、本当の戦いは「部屋割りと荷解き」が終わったここからだった。
大広間に用意された豪華な夕食の席。
並んだ御膳には、京野菜の炊き合わせや湯豆腐、旬の天ぷらなど色鮮やかな料理が所狭しと並んでいたが、オレにとって目の前の料理はもはや「味のしない固形物」に等しかった。
なぜなら、オレの左右の席には、文字通りピタリと密着するように天宮さんとサキが陣取っていたからだ。味覚に情報を割く余裕など、オレの中には存在しなかった……
「——はい、一ノ瀬さん。このお出汁がしみた京豆腐、とてもお上品なお味ですわよ。お口を開けてくださいな」
ふわりと上品な香りを漂わせた天宮さんが、小皿に取り分けた湯豆腐を箸でつまみ、オレの目の前へとスッと差し出す。
「ちょっ、待ちなさいよ天宮! んな上品なもん食わせたって腹の足しなんないでしょ! ほら悠、こっちの特大エビフライ、アツアツだぞ! あーんしてやるから早く食べろって!」
対するサキは、揚げたてのエビフライにたっぷりとソースを絡め、野性味溢れる満面の笑みで強引に口元へ迫ってきた。
「「さあ、早く!」」
左右から同時に突き出されるお箸とフォーク。
大広間の他のクラスメイトたちが「おいおい、あいつ両側から攻められてやがるぞ……」「修羅場すぎんだろ……」とコソコソ噂話をしている視線が痛い。逃げ場などどこにもなかった。
(くっ……ここでどちらか片方だけを受け入れれば、もう片方の怒号が飛んで大惨事になる……!)
冷や汗を流しながら限界まで目を泳がせたオレは、意を決して左右同時に顔を突き出し、奇跡的なバランスで両方から一口ずつ口に放り込むという荒業をやってのけた。
「「……っ!?」」
サキと天宮さんは目を丸くし、それから「ずるい! なんで同時なのよ!」「私のほうを先に召し上がれと言ったはずですわ!」と、さらに激しい火花を散らし始めるのだった。夕食の席は、最初から最後まで息つく暇もない攻防戦となった。
◇
夕食後の自由時間。
オレは旅館の大浴場での入浴を済ませた。流石に温泉は男女キレイに分かれている唯一ひとりでゆっくりできた時間かもしれない。
充分ひとりを満喫し、火照った体を冷ましながら廊下を歩いていた時のことだった。
「あら、奇遇ですわね、一ノ瀬さん」
ふわりと甘いシャンプーの香りと共に、湯上がりでしっとりとした黒髪を揺らしながら現れたのは、天宮さんだった。
浴衣の襟元を少しだけ緩め、湯冷めのせいか普段よりもほんのりと上気した頬で、彼女は艶やかに微笑んでいる。
「た、たまたまだな……。オレはもう部屋に戻るところだから……」
(たまたま……じゃない?オレを待ち伏せていたのか?どうやって……オレのふろの時間を……)
「……ねえ、一ノ瀬さん。少しだけ、私の部屋の近くの廊下でお話ししませんか? 昼間の観光のことで、まだお伝えしたい歴史的資料があるのですわ」
偶然を装いつつも、完全に計算し尽くされたタイミングでの天宮さんの接近。
彼女はスルスルと距離を詰め、気づけばオレを窓際の壁へとそっと追い詰めていた。薄暗い旅館の廊下、浴衣姿の隙のある横顔。そして、彼女の体がふれそうになるほどの至近距離。
「……修学旅行の夜、ですわよ? 昼間はあんなにサキさんに邪魔されてしまいましたけれど……今、私たちの周りには誰もいませんわ」
天宮さんは潤んだ瞳でオレを見上げ、その唇がゆっくりと近づいてくる。
(やばい、これは本当に危ない……! 理性のタガが外れかける……っ!)




