26話:母の背中と、古都への道すがら
最寄りの私鉄駅から電車に揺られ、新横浜駅へと向かう車内。
「一ノ瀬さんのお母様、本当に素敵でしたわ……! あの凛としたキャリアウーマンの立ち居振る舞い、まさに大人の女性の気品にあふれていました!」
「わかる! バイクで突っ走ろうとしたあたしを、一言で平伏させるあの気迫……マジでカッコよかったし、ちょっと憧れるわ」
向かい側の座席に並んで座る天宮さんとサキは、先ほどまで我が家で見せた母・冴子の仕事モードの姿を思い出し、興奮冷めやらぬといった様子で目を輝かせていた。
「……お前らはいいよな。あんな風に言ってもらえてさ」
オレは窓の外の流れる景色に視線を投げながら、少し自嘲気味に呟いた。
「え? 悠、どういうこと?」
「……母さんはさ、いつでも正しくて、仕事ができて、全部の最適解を指示してくれる人なんだ。子供の頃から、母さんの言う通りにしていれば間違いない人生を送れた。だけど……だからこそ、今のオレは母さんが少し苦手なんだよ」
二人が怪訝そうに聞き返す中、オレは自分の過去と、オブザーバーという生き方を選んだ理由をぽつりぽつりと零し始めた。
「母さんの完璧な指示に従っていれば、失敗することは無い代わりに、自分で考えて悩んで、泥臭く間違える経験を一切せずにここまで育ちちまった。その結果、極端にコミュニケーションが苦手になって、現実の人間関係から逃げるようにネットの世界や正しいソースばかり漁るようになったんだ」
「……それが、悠が『中立』にこだわる理由なの?」
サキが息をのんでオレを見つめる。
「あぁ。派閥のどちらかに属することを頑なに拒んだのも……結局、どちらかを肯定してどちらかを否定するという二者択一を迫られたとき、否定された半分に対して『一方を悪として切り捨てた』という正当化をしてしまうのが怖かったからだ。そんな傲慢な判断を、今のオレには下す自信がないんだよ。まあ、遅れて来た反抗期ってヤツだよ」
自分の不器用さと、ずるい逃げの姿勢をさらけ出すような告白。
気まずい沈黙が落ちるかと思ったが、天宮さんとサキは驚くほど静かに、そして真摯にオレの言葉を受け止めていた。
「……ふふ。それじゃあ、貴方があのクラスでどちらの派閥にも与せず、誰も傷つけない『オブザーバー』として立ち回っていたのは——貴方なりの、精一杯の優しさだったのですわね」
天宮さんは扇子を閉じ、どこか胸を打たれたような優しい笑みを浮かべた。
「なんだよ悠、そんなこと一人でずっと悩んでたのかよ。……不器用すぎでしょ、マジで」
サキは呆れたように笑いながらも、そっと自分の手をオレの袖口に重ねてきた。その温もりに、心の奥の緊張がふっと緩むのを感じる。
完璧ではない自分の過去と弱さを、初めてそのまま受け止めてもらえた気がした。
◇
やがて電車は新横浜駅に到着し、私たちは指定された集合場所へと急いだ。
そこにはすでに、出発のワクワク感を隠しきれない他のクラスメイトたちや、引率の古賀崎先生の姿があった。そして——。
「おっ、一ノ瀬! こっちだこっち!」
手を振ってきたのは、同じ班の志摩瑠璃と神原智樹だった。
だが、近づいてきた二人を見た瞬間、オレは「あ、これやばいな」と直感した。
志摩は神原の腕に自然に手を回し、神原もどこか誇らしげに、しかし甘い空気を隠しきれないデレデレの笑みを浮かべている。出発の朝だというのに、すでに世界に二人きりのような新婚旅行オーラが全開だった。
「「……っ!?」」
その光景を目の当たりにした瞬間、サキと天宮さんの背後に、文字通りの黒いオーラがメラメラと立ち上った。
「なっ……なんだあいつら……! 修学旅行の初日から、なんでそんなイチャコラしてやがるんだよ……!」
「我が天宮派の参謀だったはずの神原さんが……あんな腑抜けた顔をして……! 一ノ瀬さん、私たちがこんなにピリピリしているというのに、あの二人、完全に一線を越えていませんこと!?」
二人から放たれる殺気は、先ほどまでの穏やかな空気感を一瞬で焼き尽くし、更なる臨戦態勢へと突入していた。
「あ、あの……そろそろ新幹線の時間だし、乗車しようぜ……?」
冷や汗をダラダラと流しながら二人の間に割って入るオレ。
これから始まる京都への新幹線の座席、そして現地での移動。この甘酸っぱすぎるカップルを間近に挟んだことで、サキと天宮さんの闘争心に火がつき、さらなる激しいポジション争いが巻き起こることは確実だった。
(……京都の寺社仏閣を巡る前に、オレのHPが持たなくなる未来しか見えないぞ……!)
絶望的な予感を噛み締めながら、オレは重い足取りで新幹線の改札をくぐるのだった。




