#55 来ちゃいなよ
『猫の都発展計画、開始!』
そう宣言してから、ユアピが動き出すまでに大した時間はかからなかった。
坂巻が今後も連れてくるであろう人々を迎えるため、衣食住に長けた者を猫の都へ呼ぶ。
“食”を担当するミケとシャム、“住”を担当するルナとクロも、それぞれ出発の準備を始めている。
そして“衣”を任されたユアピは、一人で鶴子の養蚕場へ向かっていた。
白と赤の巫女装束に、黒紫の外套。そして、巫女には不釣り合いな大きな魔女帽子。
ユアピが身につけている衣装のすべてを仕立てたのが、鶴子という女だった。
―――――
『鶴子ちゃーん! 遊びに来たよー!』
森の外れにある養蚕場へ着くなり、ユアピは戸の向こうへ声を張り上げた。
『遊びなら帰って~』
中から即座に返事が飛んでくる。
『今日は大事な話もあるって!』
『大事な話ねぇ…』
戸が開き、背の高い女が姿を現した。
白を基調とした着物に、すらりと伸びた手足。鶴子はユアピの姿を上から下まで確かめると、満足そうに小さく頷いた。
『ほつれはないようだな』
『大事に着てるもん。鶴子ちゃんが作ってくれた、世界で一着の魔女っ子巫女服だし!』
ユアピは両手を広げ、その場でくるりと回ってみせた。
大停電の翌日。
ユアピは魔法について何一つ知らないまま、感覚だけで三種類もの魔法陣を出現させた。
その話を聞いた鶴子は、ユアピの才能を誰よりも早く高く買った。
巫女らしさと魔法使いらしさを一着へ押し込み、仕立て上げたのが今の衣装である。
『それで、素敵なボスは一緒ではないのか?』
『今日は神社でお留守番。なに? ボスに会いたかった?』
『別に、そういうわけではない』
『ふーん?』
鶴子と五人衆は古くからの親友だった。
中でも素敵なボスとは特に仲が良く、顔を合わせれば時間を忘れて語り合う。
ユアピがにやにやと顔を覗き込むと、鶴子はその額を指先で押し返した。
『用件を話せ』
『そうだった! 鶴子ちゃん、猫の都に来ない?』
あまりに軽い誘い方に、鶴子が眉をひそめる。
ユアピは構わず、猫の都を大きくする計画を語り始めた。
人が増えてきたこと。
衣食住を整え、誰もが安心して暮らせる都にしたいこと。
そのためには、糸から反物、そして衣まで作れる鶴子の力が必要であること。
最初こそ勢い任せだったが、その言葉には飾り気のない期待が込められていた。
『鶴子ちゃんなら、みんなが着たいって思う服を作れるじゃん。あーし、この服を初めて見た時、すっごく嬉しかったもん。今度は都のみんなにも、その気持ちを味わってほしいんだよね』
鶴子は何も答えず、ユアピの衣装へもう一度目を向けた。
しばらく考えたのち、静かに口を開く。
『いいだろう。ただし、条件がある』
『やった! なになに?』
まだ条件を聞いてもいないのに、ユアピの中ではすでに交渉が成立していた。
『まず、ここよりも立派な養蚕場を用意すること。蚕を育てられなければ、糸も反物も作れん』
『分かった!』
『次に、猫の都で私に相応の位を与えること』
『いいよ!』
返事が早すぎる。
『……お前に決める権限があるのか?』
『あるある! たぶん!』
鶴子が疑わしそうに見つめても、ユアピの笑顔は揺らがない。
今より立派な養蚕場を、誰がどうやって建てるのか。
高い位とは、具体的に何なのか。
ユアピは何一つ考えていなかった。
(なんとかなるっしょ)
その一言ですべてを片づけると、鶴子の両手を握る。
『これで決まり! 絶対いい場所にするから!』
『まだ最後の条件が残っている』
鶴子はユアピの手をほどくと、養蚕場の奥にある閉ざされた一室へ目を向けた。
『私が織っている間は、決して中を覗かないこと』
『鶴なのは知ってるけど、分かったよ! 絶対に誰にも覗かせないね☆』
『お前もだぞ』
『もちろん!』
返事だけは立派だった。
こうしてユアピは、建てる者の決まっていない養蚕場と、名前すらない高い位を勝手に約束し、衣を担う職人を確保した。
―――――
一方、シャムとミケは猫の都から西へ向かっていた。
頼りになるのは、出発前にルナから聞いた数百年前の記憶だけである。
まだ猫又五人衆が今のようにまとまって間もない頃、ルナ、シャム、ミケの三人は西にある小さな丘の先で、不思議な雀たちと出会った。
最初は獲物として追いかけた。
しかし、追い詰めた二羽の雀が人の姿へ変わったことで、三人は食べる気を失った。
猫又にとって雀は日常的に口にする獲物だが、人の姿を知ってしまった相手まで食べ物として見ることはできなかった。
その後、二羽から料理を振る舞われた――らしい。
シャムとミケの記憶に残っていたのは、ただ美味しかったという感想だけだった。
二羽の名前も、何を食べたのかも、とっくに忘れている。
それでも記憶力に優れたルナだけは、場所も出来事も覚えていた。
『確か、あの丘を越えた先に……』
シャムが遠くに見える小さな丘を指す。
『本当にいるかな』
『さあ? 数百年前の話だもの』
『忘れてたの、シャムだけじゃない』
『ミケもでしょ』
二人は互いの顔を見て笑い、そのまま丘を越えた。
ルナの話では、その先に小麦畑があるはずだった。
だが、目の前に広がっていたのは、記憶とはまるで違う光景だった。
強靱な薔薇の茎が複雑に絡み合い、小さなドーム状の敷地を作り上げている。
茎には鋭い棘が隙間なく並び、獣が無理に踏み込めば全身を傷つけることになるだろう。
『こんなの、あった?』
『なかったと思う』
近づいてみると、薔薇の隙間から内部が見えた。
中にあったのは花畑ではない。
小麦や稲をはじめとした、いくつもの穀物の田畑だった。
かつての小麦畑は消えたのではなく、薔薇に守られた農地へ姿を変えていたのだ。
『間違いないね。ここだよ』
シャムは薔薇の壁へ近づくと、両手を口元に添えた。
『お~い、ぴーちゃんたち、いませんか~? 食べたりしないので、お話を聞いてもらえませんか~?』
『その呼び方、余計に怖くない?』
『じゃあミケが呼んでよ』
返事はない。
風に揺れる薔薇の葉と、穀物が擦れる音だけが聞こえてくる。
『留守かな?』
シャムが首を傾げた、その時だった。
薔薇のドームから、無数の影が飛び出した。
『うわっ!』
数十匹の雀が、二人目掛けて一斉に突っ込んでくる。
嘴が頬や額を狙い、羽音が耳元を埋め尽くした。
『ちょっと! 話を聞いてって言ったでしょ!』
シャムの右腕が猫のものへ変わる。
鋭い爪が伸びかけた瞬間、ミケが声を張り上げた。
『シャム! 爪は絶対立てちゃ駄目だよ!』
『分かってるって!』
二人は腕だけを猫の姿へ変え、爪を肉球の中へ引っ込めた。
襲いかかる雀を、柔らかな肉球で一羽ずつ叩き落としていく。
ぱふっ。ぱふっ。
勢いを殺された雀たちが、草の上へ次々と転がった。
傷つけないよう手加減しているため、すぐに起き上がって再び飛びかかってくる。
『きりがないんだけど!』
『だから、怪しい呼び方だって言ったのに!』
『何、この騒ぎ……?』
薔薇の奥から、一人の女性が顔を覗かせた。
シャムとミケの姿を見るなり、その顔が引きつる。
『ぎゃっ! 猫の人たちだ!』
女性は慌てて奥へ引き返していった。
『猫の人って……』
『間違ってはいないよ』
間もなく、その女性が金髪の女を連れて戻ってきた。
先頭を走る金髪の女は長い棒を手にし、血相を変えてこちらへ向かってくる。
シャムは飛び交う雀を肉球で押し返しながら、嬉しそうに手を振った。
『お! いたいた! おーい、ぴーちゃんたち! 私だよ! わ・た・しー!』
金髪の女は棒を構えたまま、馴れ馴れしく呼びかけてくる二人を睨んだ。
なんだ、この猫たちは。
そう思った直後、派手な衣装の背後で揺れる二本の尻尾が目に入る。
女の表情が変わった。
『あなた達は、猫神社の……』
『思い出した? お久しぶり~! 私はシャム! こっちはミケ!』
シャムがにこりと笑う。
女はしばらく二人を見つめたあと、飛び交う雀たちへ向き直った。
『皆、攻撃をやめて! この人たちは敵じゃないわ!』
その声が響いた途端、雀たちの動きが止まる。
一羽、また一羽と薔薇の上へ戻り、周囲を警戒しながら二人を見下ろした。
金髪の女は地面に落とされた仲間たちへ目を向ける。
羽を痛めた者はいない。血を流した者もいない。
あれだけ襲われながら、シャムとミケは一度も爪を立てなかったのだ。
それを確かめると、女は棒を下ろした。
絡み合った薔薇の一部が動き、その奥に隠されていた扉が静かに開く。
『シャムさん、ミケさん。お久しぶりです。お元気そうで何よりです』
『二人も元気そうじゃん!』
『本日は何か御用で……?』
『そうなのよ! ぴーちゃんたちに話があってさ!』
金髪の女が、わずかに目を細める。
『セイナです』
先ほど猫の人たちと叫んだ女性も、その隣から顔を出した。
『フーラ・ボーです』
『セイナとフーラね。今度は覚えた!』
その言葉がどこまで信用できるのか、セイナは何も言わなかった。
『お話ですか……。分かりました。どうぞ、こちらへ』
セイナは二人を薔薇園の奥へ招き入れた。
―――――
薔薇の内側には、外から見えていた以上に多くの穀物が育っていた。
稲や小麦だけではない。種類ごとに区画を分け、雀たちの手で丁寧に守られている。
空を見上げれば薔薇の枝葉が格子のように重なっているが、その隙間から陽の光は十分に差し込んでいた。
『数百年振りですね』
歩きながら、セイナが静かに口を開いた。
『そうだよね! 正直、忘れてたもん!』
あまりにも堂々としたシャムの返事に、フーラが目を丸くする。
『住む場所も違いますし、お互い様です。それより、お話というのは?』
『ぴー……セイナとフーラのご飯が美味しかったのを思い出したんだよ!』
危うく元の呼び方に戻りかけ、シャムは慌てて言い直した。
『ご飯ですか』
懐かしむかと思いきや、セイナの反応は薄かった。
『料理に熱を持っていた時期もありましたね』
『んー、どうしたの?』
『手に入る食材の種類が、何百年経っても変わらないんです。作れる物も増えませんし……もう料理なんて、すっかりしなくなってしまいました』
薔薇の中にいれば、外敵から身を守ることができる。
穀物を育てていれば、生きていくこともできる。
だが、ただ生きるだけの暮らしは、何百年経っても変わらなかった。
『そんなぁ、もったいないよ! ねぇ、ミケ!』
『うん。勿体なさすぎる』
シャムはしばらく考え、突然ぽんと手を打った。
『でも、ちょうど良かったかも!』
『え?』
シャムとミケが、同時に二人へ身を乗り出す。
『YOUたち! 猫の都に来ちゃいなよ!』
『来ちゃいなよ!』
『……はい?』
セイナとフーラの声が重なった。
シャムとミケは二人が口を挟む隙も与えず、ここへ来た理由を畳みかけるように話し始めた。
猫の都へ人が集まり始めたこと。
これから都を大きくするため、衣食住を担う者たちを捜していること。
そして、数百年前に食べた二人の料理を思い出し、ぜひ食を任せたいと考えたこと。
『私たち雀が、猫の都に……』
セイナが考え込む隣で、フーラが不安そうに袖を引いた。
『ねぇ、セイナ。それって、虎の檻になんちゃらって話だよね……?』
『言いたいことは分かるわ』
天敵の住処へ、自分たちから入っていく。
言葉を正確に思い出せなくても、それが危険な提案であることは理解できた。
セイナはすぐには答えず、薔薇の上や穀物畑にいる雀たちを見渡した。
『もし可能なら、ここにいる全員で。もちろん、身の保証と最低限の住処を用意してくれるなら、ですが』
『ちょ、セイナちゃん、本気で言ってるの? 私たち、食べられちゃったりしない?』
フーラが顔を青くする。
セイナは、先ほどシャムとミケに叩き落とされた雀たちへ目を向けた。
『食べる気があるなら、あの子たちはとっくに爪で引き裂かれているわ』
セイナが心配しているのは、シャムやミケではなかった。
『問題は、猫又以外の住民が本当に私たちへ手出ししないかどうかよ。移り住めば、どうせ私たちが一番弱い種族になるでしょうし』
『セイナたちは最弱なんかじゃないよ?』
シャムは待ってましたと言わんばかりに立ち上がった。
『聞いて驚いて! まず、私たちの猫神社が復活しました!!』
両手を大きく広げ、そこで一度言葉を切る。
『そして、そこには何と……人間がいます!!』
薔薇園が静まり返った。
『人間……?』
セイナとフーラだけではない。話を聞いていた雀たちまで、信じられないものを見るように目を見開いている。
彼らはこの薔薇園で、長く閉鎖的な生活を続けてきた。
樹海の中に時空の歪んだ地区があることすら知らない。
ましてや、千年の時を越えて人間の居住地が姿を現したことなど、知るはずもなかった。
『猫神社の復活? それに人間が? この樹海の中に住んでいたの!?』
セイナは、元の世界の話として聞いた猫神社のことを懐かしく思い出していた。
古い物語の中にしかなかった場所と人間が、今、この世界へ戻ってきている。
『そういうこと!』
シャムが胸を張る。
『私たちが人間と一緒に暮らせてる。それを見れば、安全かどうか分かるはずだよ! それに、さっき言ってた食材なら、うちらの都にはたくさんある!』
『たくさん……』
その一言に、セイナの目がわずかに動いた。
何百年も変わらなかった食材。
作る物も、食べる物も、暮らし方さえ変わらなかった日々。
猫の都へ行けば、そのすべてが変わるかもしれない。
『まあ、決めるのは都を見てからでいいよ!』
シャムは急に声を柔らかくした。
『まずはセイナとフーラの二人で、気が済むまで見たらいいじゃん。数日離れたって、この薔薇園なら問題ないでしょ?』
セイナとフーラは、互いの目を見た。
言葉はない。
それでも、二人は同時に頷いた。
『シャム、ミケ。決めたよ!』
セイナが晴れやかな顔を上げる。
『全員で移住する!』
『そうそう! まずは二人で……えっ!?』
シャムの笑顔が固まった。
『視察なんていらないわ』
セイナは迷いなく言い切った。
『元々、もうここで生きることに全員飽きていたの。雀だけでは、何の変化も生み出せなかった。この薔薇園を作るだけで精一杯だったわ』
安全を得るために薔薇を育てた。
生きるために穀物を育てた。
そして、同じ毎日を何百年も繰り返した。
『だから私達は、全員で外の世界を見に行く』
セイナは大きく息を吸い込み、薔薇園中へ声を響かせた。
『皆! 急いで身支度を整えて! 全員でこの薔薇園から飛び立つよ!』
一瞬の静寂。
次の瞬間、辺りにいた雀たちが一斉に人の姿へ変わった。
薔薇の内側が、瞬く間に人の姿で埋め尽くされていく。
総勢、五十二名。
薔薇園を揺らすほどの大歓声が上がった。
『み、皆、人になれたの?』
ミケが目を丸くする。
『最初にそれを教えてよ……』
シャムは、増え続ける人影を呆然と見つめた。
二人だけを誘い、気軽に見学へ連れて帰るつもりだった。
それがどういうわけか、五十二名の大移住になってしまった。
雀たちは米、麦、そして薔薇の種を手分けして荷へ詰め始める。
長く閉ざされていた薔薇園から、外の世界へ。
猫の都へ向かう五十二名の旅立ちが、ここに決まった。




