#54 コレカラ
シュリがこっそり魔法を試した日の翌朝。
ユアピが、神社に残っていた巫女服を一式持ってきた。
『多分これでいけるっしょ』
『多分って……』
『他にサイズ無いんだもん』
シュリは渡された巫女服に袖を通してみた。
『……』
鏡を見る。
胸元…カパカパ。
袴…床についている。
『……大きい』
『あはははは!』
外から笑い声が聞こえた。
『笑わないで!』
『だって…似合ってない訳じゃないのよ!』
シャムが笑いながら言う。
『ただ完全に服に着られてる』
ルナも笑いを堪えている。
ミケは口元を押さえている。
クロは無言だったが、ほんの少しだけ顔を逸らした。
『クロが胸元ばかり見てた!』
『……』
『エッチ!!』
ユアピは腕を組んだまま、シュリを見ていた。
『……やっぱ無理だわ、それ』
『最初から分かってたでしょ!』
『着てみないと分かんない事もあるって』
『絶対分かってた!』
その横で、素敵なボスがじっとシュリを見る。
そして、ふっと笑った。
『このままじゃ素敵じゃないわね。クロにとっては素敵か…』
『……』
『仕立て直しましょう』
『できるの?』
『鶴子さんには遠く及ばないけれど…できるわよ』
素敵なボスは胸を張る。
『素敵にしてあげる』
『本当に?』
『ええ』
『……じゃあお願い』
『任せて』
それから少し時間がかかった。
丈を詰め形を整え。
シュリの体格に合わせて細かな部分まで直していく。
そして。
『できたわ』
渡された服に、もう一度袖を通す。
今度は違った。
白と深紅を基調にした巫女服。
小柄なシュリの身体に合うように整えられ、裾も引きずらない。
白い小袖は袖口を幾重ものフリルと赤い組紐で飾り、深紅の袴は膝上丈のふんわりとしたキュロットへ仕立て直され、腰の大きなリボンと裾の花模様が少女らしさを添えていた。
鏡の中の自分を見て、シュリはしばらく黙っていた。
『どう?』
素敵なボスが聞く。
シュリは少し照れながら答えた。
『……変じゃない?』
『素敵よ』
『本当に?』
『私が仕立てたんだから素敵で当然でしょ?』
『それ自分で言うんだ』
坂巻が笑う。
『いいじゃない』
素敵なボスは満足そうだった。
『素敵なんだから』
シュリはもう一度鏡を見る。
これから自分が働く姿。
まだ見慣れないその姿を、鏡の中でしばらく見つめた。
そして、仕立て直された袖をそっと握る。
『……頑張る』
小さな声だった。
それでも、シュリの顔には僅かな笑みが浮かんでいた。
―――――
それから数日が過ぎた。
朝から神社の掃除をしていたシュリは、境内の隅でようやく箒を置いた。
掃除、洗濯、供物の準備。
やる事はいくらでもある。
最初から全て出来た訳ではない。
それでも、何もせず守られているだけになるよりはずっと良かった。
ここには自分の仕事がある。
名前を呼んでくれる者達もいる。
『シュリ』
本殿の縁側から、素敵なボスが呼んだ。
その周りにはルナ、クロ、ミケ、シャム。
そしてユアピも集まっている。
『少し休んだら?』
『……まだ終わってない』
『残りはあとでも出来るわ。働き過ぎは素敵じゃないもの』
素敵なボスが自分の隣を軽く叩く。
シュリは少し迷ってから、縁側へ腰を下ろした。
『シュリちゃんって、猫は好きなんだよね?』
ミケが聞いた。
『……好き』
『じゃあ、嫌いなものは?』
『虫』
小さく答えると、シャムが首を傾げた。
『無視?』
『虫、嫌い』
『まあ、無視されて喜ぶ者はいないわね』
ルナが納得したように頷く。
シュリが言ったのは虫だった。
だが、五人衆には無視と聞こえたらしい。
『他には?』
ミケが続けて聞く。
シュリの表情が僅かに曇った。
『……“ウンメェ”』
『運命?』
『“ウンメェ”は大嫌い……』
今度は、素敵なボスが腕を組んだ。
『無視が嫌いなのは分かるけれど、運命が嫌いというのはあまり聞かないわね』
『自分の運命が嫌いということ?』
ルナが優しく問いかける。
『こんな世界で暮らすことになった運命が嫌なの?』
『……』
話が噛み合っていない。
だが、シュリはそれに気づかなかった。
頭の中では、あの夜の声が繰り返されていた。
ウンメェ…ウンメェ…
『そう』
素敵なボスが、静かにシュリを見つめる。
『運命に抗いたいのなら、その運命を断ち切る強さを身につけたらいい』
『“ウンメェ”を……断ち切る……』
シュリの意識が、一瞬であの夜へ引き戻された。
暗い家の中。
床を擦る音。
肉を引き千切る音。
茶釜の鎧をまとった化け狸。
その口元から聞こえてくる声。
ウンメェ…ウンメェ…
ウンメェ――。
『あ……』
息が出来ない。
胸の奥が強く締め付けられる。
『ああああああ……!』
シュリは両手で頭を抱えた。
『シュリちゃん!?』
ルナが肩へ手を伸ばす。
『どうしたの!?』
ユアピが立ち上がる。
ミケは坂巻を呼びに行こうと、縁側から飛び降りた。
その時だった!
シュリの頭上で、白い光が弾けた!
『なに!?』
ユアピが思わず腕で顔を庇う。
光の中から姿を現したのは、巨大なハサミだった。
神々しい輝きを放つ刃。
人の身体さえ容易く断ち切れそうなほど巨大でありながら、その姿は不思議なほど美しい。
シュリはゆっくりと顔を上げた。
その名を、誰かに教えられた訳ではない。
それでも、言葉が頭の中へ浮かんでくる。
『――神断ノ鋏』
シュリがその名を呟いた直後。
巨大なハサミは光の粒となり、跡形もなく消えた。
静寂。
誰も動かない。
『……今の、何?』
最初に声を出したのはユアピだった。
『分からない……』
シュリ自身にも、何が起きたのか分からない。
素敵なボスは縁側へ座り込んだまま、ハサミが消えた場所を見上げている。
ルナも。
クロも。
ミケも。
シャムも。
五人揃って、完全に腰を抜かしていた。
『これが、シュリの中に眠っている力……』
素敵なボスが呟く。
『神断ノ鋏……』
『名前まで格好良いじゃない』
シャムが僅かに震える声で言った。
『もう一度出せる?』
ミケが尋ねる。
『……分からない』
全員の視線がシュリへ集まっている。
凄い!
何だったの、今の?
どうやって出したの?
次々と声が飛ぶ。
その輪の少し外で、ユアピは一人立っていた。
胸が高鳴っている。
今のハサミが、とんでもない力であることはユアピにも分かった。
シュリがそんな力を持っていたことも、素直に嬉しい。
だが…
今まで一番注目を集めていたのは自分だった。
世界が変わった翌日に魔法を使えるようになった、天才魔法少女。
猫神社の権宮司。
実務を取り仕切る、頼れる先輩。
それなのに今は、誰もユアピを見ていない。
『……そういえば!』
ユアピが突然、大きな声を上げた。
全員が振り返る。
視線が戻ってきた。
ユアピは満足そうに胸を張った。
『こないだ鶴子さんの話してたじゃん?』
『こないだ?』
シャムが首を傾げる。
『したでしょ! シュリの巫女服を仕立て直そうとした時にボス…素敵なボスが言ってた!』
『ああ』
素敵なボスが頷く。
ユアピは勢いのまま続けた。
『樹海の中って、猫又達みたいに……人獣? 人じゃないけど人みたいな姿で、凄い力を持ってる人達が他にもいるんでしょ?』
『そうね』
素敵なボスは少し考える。
『全員を覚えている訳ではないけれど。千年も生きていれば、それなりに知り合いは増えるわ』
『だったらさ、おじがこれからも人を連れてくるなら、ここをもっとちゃんとしないと駄目じゃん?』
港の集落からやって来た者達は、今も仮の住居で暮らしている。
食料も衣服も、十分に足りているとは言えない。
『確かにそうかもしれないわね』
『でしょ?』
ユアピはますます得意そうな顔になった。
『鶴子さんとか、衣食住に長けた人達をここへ呼んで、猫の都を本当の都にしちゃえば良くね?』
『衣食住……』
シュリが呟く。
『先生が言ってたよ! 人々の暮らしって、衣食住で成り立ってるって!』
ユアピは腰へ両手を当て、これ以上ないほど得意げな顔をしていた。
『鶴子さんが“衣”だから、足りないのは……“食”と“住”!』
少し溜める。
『ねぇねぇ、いないの? 食と住が得意なやつ!』
『食と言えば……』
ルナがミケへ視線を向けた。
『ねぇ、ミケ。あなたが食べようとした雀達、料理が凄く上手だったんじゃない?』
『食べようとしたのはシャム……』
ミケが小さく訂正する。
『あぁ、あの雀ね』
シャムは悪びれる様子もない。
『それがどうしたの、ルナ?』
『見逃してくれたお礼にって、振る舞ってくれた料理がとても美味しかったの』
ユアピの目が輝いた。
『じゃあルナ、ミケ、シャムは、その雀さん達を呼んできて!』
『ううん』
ルナは首を横へ振った。
『私はクロと、残りの“住”のところへ行くわ』
『住も当てがあるの? ルナちゃん凄い!』
『ルナの記憶力は、五人衆の中でも最強……』
クロがぼそりと言った。
『転移前の名前を忘れていないのは、ルナだけだ』
『クロ……普通は何年生きようが、名前は忘れないものじゃないの?』
ユアピが真顔で聞く。
クロは少しだけ考えた。
『俺達は猫だからな』
何の説明にもなっていなかった。
だが、残る三人は揃って納得したように頷いている。
『じゃあ、うちとボスは鶴子さんを呼びに行こう!』
『素敵な……』
『うちと素敵なボスは――』
『私は行かないわ。ここに残る』
『言い直させた意味ないっつーの!』
『ユアピには護衛は不要だもの』
素敵なボスは、何でもないことのように言った。
ユアピは口を尖らせたが、すぐに気を取り直す。
『じゃあ決まり! ミケとシャムは“食”! ルナとクロは“住”! うちは“衣”!』
次々と指を差し、最後に自分の胸を叩く。
『猫の都発展計画、開始!』
いつの間にか、全員の注目は再びユアピへ集まっていた。
権宮司として。
先輩として。
新入りのシュリに、立場の違いを見せつける。
その目的は、どうにか達成されたらしい。
ただし。
シュリはそんなユアピの思惑には全く気づかず、自分の頭上に現れたハサミのことだけを考えていた。
――神断ノ鋏。
自分の中に眠る、“ウンメェ”を断ち切る力。
猫の都で始まった新しい生活は、少しずつ大きく動き始めていた。
―――――
話は再び、フクちゃんのアジトへ。
先ほど元に戻した碑石が、平将門を封じるものだとは夢にも思わず、りゅと達は食事の後片付けを続けていた。
『そういえばさ』
りゅとがふと思い出したように口を開く。
『フクちゃんって、なんで人がいるところに住まないの?』
『人がいるところ?』
『双山村とかさ。安全だし、ご飯にも困らないでしょ?』
あちも頷く。
『うん。フクちゃんだったら村に来ても普通に歓迎されると思うけど』
フクちゃんは少し笑った。
『今の君達はそう言ってくれるけどね』
『今の?』
『僕達にとっては、人間の住んでいる場所の方が突然現れたんだよ』
りゅととあちが首を傾げる。
フクちゃんは少し昔を思い出すように続けた。
『ずっと昔から、この世界にあったのは樹海と海。それから、どうやっても立ち入れない場所くらいだった』
『立ち入れない場所……』
『そう。近付いても入れない。何かに隔てられているみたいな場所だね』
キュエさんが頷く。
『わっちらにとっては、それが普通じゃった』
『それがある日、突然だよ』
フクちゃんは指を一本立てる。
『今まで入れなかった場所が見えるようになって、その中に人がいて、家があって、集落まである』
『それは驚くな……』
りゅとが呟いた。
『驚いたなんてもんじゃないよ。僕達からすれば、人も村も突然湧いて出たようなものだからね』
あちが少し考える。
『でも、それなら余計に話して仲良くなればいいんじゃない?』
『そう簡単でもないんだ』
フクちゃんは苦笑した。
『僕は元々梟だし、キュエさんだって普通の人間とは違う。こっちは普通に話しかけたつもりでも、怖がられたり、気味悪がられたりすることもあるしさ』
『むぅ……失礼な話じゃの』
キュエさんが口を尖らせる。
『まあ、向こうからしたら仕方ない部分もあるよ。知らない化け物みたいなのが急に来たら怖いでしょ?』
『フクちゃん、自分で化け物って言ってる』
『例えだよ、例え』
少し笑ったあと、フクちゃんは肩を竦めた。
『それに僕、人間のあざといところって結構知ってるんだよ。目立つやつを妬んだり、怖がったり、多い方が正しいみたいな顔をしたりさ』
りゅととあちは黙って聞く。
『別に僕、義侠心があるわけでも博愛主義者でもないし。だったら樹海でのんびり、好きな魔法の研究をしてる方がずっと楽しいよ』
重く語るでもなく、フクちゃんはいつもの調子で笑った。
『それに、僕達は自分自身の霊力が高いからね』
『前にキュエさんが言ってたやつ?』
『そう。聖地や居住区域には神聖な物があって、そこから霊力の恩恵を受けられる。でも僕達は自分の霊力で補える部分が大きい』
キュエさんも胸を張る。
『わっちらには、狭いところに籠もるより、この広い樹海を好きに歩く方が性に合っとる』
『なるほど……』
りゅとはようやく納得したように頷いた。
あちはそこで、ふと思い出したように顔を上げた。
『じゃあさ、フクちゃんも一緒に来れば?』
『どこへ?』
『霊場巡り!』
『僕も?』
『うん。どうせ私達、まだいっぱい回るんでしょ?』
キュエさんが豪快に笑う。
『旧関東には百八つあるからの! まだまだ先は長いぞ!』
フクちゃんは少し考えるように顎へ手を当てた。
そして、りゅと達を順番に見る。
天狗。
朱雀。
玄武。
それぞれ性質の違う力を持つ三人。
『……それ、結構面白そうだね』
『でしょ?』
『りゅとの縮地も、あちの炎も、キュエさんの玄武も、僕の魔法とは仕組みが違う。組み合わせたら何が起きるかも調べられそうだし』
フクちゃんの目が少し輝く。
『魔法との複合効果も試せる。僕は研究が進む。君達は戦い方が増えるかもしれない』
『おお!』
『それ、得しかないじゃん!』
『Win-Winってやつだね』
フクちゃんは笑った。
『じゃあ僕も行こうかな』
『決まりじゃな!』
キュエさんが勝手に話を締める。
こうして。
りゅと、あち、キュエさん。
そこへフクちゃんが加わり。
旧関東の百八霊場を巡る旅は、三人から四人になった。
そしてフクちゃんにとって、その旅はただの巡礼ではない。
絶好の研究旅行でもあった。




