#49 許せない
フレルティが集落に現れてから、シュリは出来るだけ彼と二人きりにならないようにしていた。
住民達はすっかり彼を信用している。
壊れた家を直し、食料を探し、怪我人の手当てもする。
頼まれれば何でも引き受け、いつも穏やかに笑っている。
誰が見ても善人だった。
だからこそ、シュリは余計に気味が悪かった。
神社には近付かない。
皆が祈っている時も、鳥居の外から眺めているだけ。
そしてあの日、木陰で虫を指先に乗せ、まるで人間と話すように何かを囁いていた。
あの光景を思い出すだけで、身体がぞわぞわする。
虫が嫌いだからなのか。
それとも本当に、あの男の何かがおかしいのか。
シュリには分からなかった。
そんなある日。
―――――
『シュリさん!』
家の前で声を掛けられた。
振り返るとフレルティが立っている。
『……なに?』
『少しお話し出来ませんか?』
『ここで?』
『出来れば中で』
シュリは眉をひそめた。
家族がいなくなってから、ほとんどこの家には戻っていない。
近所の人の家で寝かせてもらい、必要な物を取りに来る時だけ入る。
あの夜の事を思い出すからだ。
『やだ』
『そうですか?ですが、少しだけです』
そう言いながら、フレルティは既に玄関へ足を踏み入れていた。
『……もう入ってるじゃん』
『これは失礼』
いつもの笑顔。
シュリは露骨に嫌な顔をしたが、フレルティは気にした様子もなく室内を見回した。
片付けはされている。
けれど完全に元通りにはなっていない。
倒れた家具。
傷の残る床。
壊れたままの物。
見ないようにしていても、あの夜の記憶が勝手に蘇る。
『ウンメェ……ウンメェ……』
シュリは唇を噛んだ。
『ここで暮らしていたのですね』
『……うん』
『ご家族と?』
『…………』
答えない。
フレルティは少しだけ目を細めた。
『辛い事を思い出させてしまいましたね。申し訳ありません』
謝っている。
優しい声。
なのにシュリは、ますます嫌になった。
フレルティは棚の前で足を止めた。
そこに一枚の写真が置かれていた。
家族写真だ。
父。
母。
生まれたばかりの弟。
そしてシュリ。
あの日より前に撮った、最後の家族写真。
『これは……?』
フレルティが手を伸ばした。
白い指。
その指先が写真へ近付く。
シュリの視界に、別の光景が重なった。
木陰。フレルティの指先。
そこに止まっていた虫。
追い払うどころか、優しく撫でていた。
虫と話していた指。
その指が、家族の写真に触れようとしている!
『触るなっ!!』
シュリは叫んだ!
――ドクンッッ――
その瞬間、シュリの身体に衝撃が走った!!
身体中に電流が走ったような感覚が走る!
フレルティの表情から笑みが消える!
シュリの目の前に巨大な何かが現れた!
『……えっ!?』
人間一人では到底扱えそうにない巨大なハサミ!
刃は淡い光を帯びている。
シュリ自身が一番驚いていた。
『な、なにこれ……!?』
どうやって出したのか分からない。
どうやって動かすのかも分からない。
だが一つだけ分かる!
こいつには触らせたくない!
家族に!家族の思い出に!
『触るなって言った!』
ハサミが動いた。
ジャキンッ!
フレルティが咄嗟に身体を引く。
刃は空を切った。
床に何かが落ちる。
長い黒赤の髪。
切れたのはフレルティの髪だけだった!
『何だこのハサミは…………』
フレルティが自分の髪を見る。
いつもの穏やかな顔ではない。
明らかに動揺している。
シュリは初めて見た。
この男の焦った顔を!
『あなた……それをどこで……』
『知らない!』
本当に知らない。
でも、今はどうでもいい。
『出てって!』
巨大なハサミはユラユラと浮かんでいる。
先程のフレルティへの攻撃もシュリの意思なのかハサミの意思なのかも分からない。
ハサミが壁にぶつかり、床を削る。
フレルティは距離を取った!
『シュリさん、少し落ち着いて?』
『出てけ!!』
シュリはとにかくこの男を家から追い出したかった!
フレルティは会話を断念した。
そして――家から飛び出る!
やっと出ていった…それだけで良かったはずなのに散らかった部屋、倒れてひびの入った家族写真……
――許せないっ――
遅れてシュリも外へ飛び出す!
不思議とそのハサミはシュリについてくる。
集落の中を走る!
『シュリちゃん!?』
『何だあれ!?』
『ハサミ!?』
住民達が驚いている。
そんな声は耳に入らない!
フレルティだけを見る!
逃がしたくない!
許せないだけじゃない!この男をここに置いてはいけない気がする!
しかしフレルティは速かった!
それでもシュリは必死に追う!
集落を抜け、外れまで来た頃。
ようやくフレルティの足が止まった。
『はぁ……はぁ……』
シュリは息を切らしながら無意識に片手を構える!
するとハサミはシュリから離れフレルティへと向かって飛ぶ!!
フレルティの身体を巨大なハサミが捉えた!
『クッ………』
シュリは脳内に浮かんだ言葉を呟く!
『……チョッキン』
ゆっくりと刃が閉じていく。
フレルティの表情が強張った。
その時だった!!!
『阿・吽!!』
知らない男の声が響く!
地面から光が走った。
二体の巨大な狛犬が現れる!
一体が刃の間へ飛び込み、フレルティを口に咥えた。
そしてもう一体が握り手側へ身体をねじ込み、ハサミが閉じるのを止める!
『え!?』
シュリが叫ぶ。
『ちょ、ちょっと待って!落ち着いて!』
見知らぬ中年の男が走ってくる。
白一色の遍路姿。
穏やかそうな顔。
やけに慌てて知らないおじさん。
『誰?』
『それは後で!まずはそのハサミを……』
おじさんの声が途中で止まる。
フレルティを咥えた狛犬。
その口元から青白い炎が立ち上がる!
『ぐっ……!』
フレルティが苦しそうに身体を捻る。
青白い炎は瞬く間に全身を包んだ。
『え……?』
シュリは固まった。
自分は何もしていない。
ハサミも動いていない。
なのにフレルティが燃えている。
知らないおじさんも表情を変えた。
『これは……』
その時!!
上空から低い羽音!
ブィィイイイン……!!
空気が震える。
シュリが顔を上げる。
巨大な蜂!
赤と黒の縞模様。
大きな顎。
透明な羽。
見た事もないほど巨大な蜂が、一直線にこちらへ飛んでくる!!
狙っているのは……私!?
『危ない!』
知らないおじさんが叫んだ!
『阿!吽!その子を守れ!』
二体の狛犬が同時に動く。
フレルティを咥えていた阿がシュリの前へ戻る!
その瞬間、フレルティが地面へ落ちた。
巨大な蜂が急降下する!
シュリは目を閉じた…
だが衝撃は来ない!?
恐る恐る目を開ける。
巨大な蜂は地面に倒れたフレルティを掴んでいた。
『あっ!』
羽音が一気に大きくなる。
ブィィイイイン――!!
フレルティを抱えたまま空へ舞い上がる。
『待て!』
おじさんが叫ぶ!
狛犬を動かせない。
追えば、シュリを守れなくなる。
そして巨大な蜂はそのまま遠ざかっていった。
シュリは空を見上げたまま動けなかった。
ハサミ。
狛犬。
青白い炎。
巨大な蜂。
何が起きているのか、さっぱり分からない…。
『大丈夫かい?』
おじさんの声が遠く聞こえる。
身体から力が抜けた。
視界が暗くなる。
『おっと!』
おじさんが駆け寄る。
最後に見えたのは、心配そうに自分を覗き込む知らないおじさんの顔だった。
―――――
目を開けると、見慣れない天井があった。
『ここは…』
身体を起こす。
ハサミの神社。
正確には拝殿の中だった。
『気がついたようだね。ここがどこか解るかい?』
横から声がした。
さっきのおじさんが座っている。
『ハサミの神社……』
『うん。良かった。ちゃんと覚えてるね』
おじさんは安心したように笑う。
『僕の名前は坂巻。君はシュリちゃんで間違いないかな?』
『うん』
どうして名前を知っているのかと思ったが、住民の誰かから聞いたみたいだ。
坂巻は水を差し出した。
『飲める?』
『うん』
シュリは少しずつ水を飲んだ。
喉がからからだった。
『あいつは?』
『逃げられちゃったよ』
『そっか……』
『あの人、突然燃えた』
『……そうだね』
坂巻は少し考えるような顔をする。
『あれは君のハサミが燃やした訳じゃないよ』
『そうなんだ』
正直それはどうでも良かった。
『燃えたのはきっと僕の狛犬の効果。阿と吽。あの子達は神社の神聖物なんだ』
『犬なのに?』
『狛犬だからね』
『犬じゃん』
『……まぁ、犬みたいなものかな』
変なおじさん。
でも不思議と怖くない。
フレルティと話していた時とは全然違う。
坂巻は自分を大きく見せようとしない。
知らない事は知らないと言う。
困ると困った顔をする。
シュリはそれだけで少し安心した。
それから二人は沢山話した。
世界が突然変わった事。
変な力を使える人が現れ始めている事。
今まで見た事もない生き物が現れている事。
そして坂巻が、ここより西にある集落で暮らしている事。
そこにある神社の宮司である事。
坂巻は奥に祀られている大きなハサミへ目を向けた。
『僕の神社で祀ってるのは猫なんだ』
『猫の神社?可愛い』
『可愛い猫ちゃんだけ集まってる神社とはちょっと変わって来ちゃったんだけどね。あははは』
少し困ったように笑う。
『大停電が起きたよね?あの後、気がついたら僕は五匹の猫に囲まれてたんだ』
『猫?』
『そう。それが人の姿にもなれるみたいでさ』
『猫が人になるの!?』
『僕も最初は信じられなかったよ…はは』
その五匹と一緒に、坂巻は周辺の集落から人を集めているらしい。
安全に暮らせる場所を作る為。
狸や巨大な虫と戦いながら、皆で暮らしている。
シュリは黙って話を聞いていた。
『ここも危ない』
坂巻の声が少し真面目になった。
『昨夜みたいな事が、また起きるかもしれない』
その言葉で、頭の奥からまた声が聞こえた。
『ウンメェ……ウンメェ……』
シュリは俯く。
坂巻は少し間を置いてから続けた。
『だからね。僕はここの人達にも、一緒に来ないかって話をしてみようと思ってる』
『みんなで?』
『うん。みんなで』
坂巻は笑った。
『僕一人じゃ何も出来ないけどさ。人も猫も沢山いる。ここにいるよりは安全だと思う』
その後、坂巻は集落の住民達と長い時間話をした。
反対する者もいた。
ここは自分達が暮らしてきた場所。
家もある。
神社もある。
離れたくない気持ちは当然だった。
だが昨夜の襲撃で多くの人を失った。
食料も奪われた。
そして、また狸達が来ない保証はない。
話し合いは続いた。
最後には、生き残った住民全員が坂巻と一緒に行く事になった。
シュリも行く。
家族はいない。
一人でここに残る理由もなかった。
出発する前。
シュリは自分の家へ戻った。
棚の上に置いてある家族写真を手に取る。
父。
母。
弟。
そして自分。
今度は誰にも触らせない。
胸の前で大事に抱える。
外へ出ると坂巻が待っていた。
『忘れ物はない?』
『たぶん』
『たぶんかぁ……。まぁ僕もよく忘れ物するから人の事言えないんだけど』
『宮司なのに?』
『宮司は関係ないよね??』
シュリは少しだけ笑った。
本当に少しだけ。
フレルティはいつも綺麗に笑っていた。
何でも知っているような顔で話した。
真実の神を知っているとも言った。
坂巻は違う。
変なおじさん。
少し頼りなさそうで、よく困った顔をする。
だけど、
『シュリちゃん、行こうか?』
『うん』
このおじさんは嘘をついてない。
シュリはそう思った。
港の集落を離れる。
少し歩いたところで振り返った。
小さな神社が見えた。
沢山のハサミが祀られた神社。
役に立たないと思っていた神様。
あの時、自分の前に現れた巨大なハサミ。
あれが何だったのかは、まだ分からない。
シュリは家族写真を抱き締めた。
そして坂巻達の後を歩き出す。
向かう先は――
猫の都。




