9.
夜の港には、重たい潮風が吹いていた。
人気の少ない倉庫街。
昼間は交易で賑わうその場所も、深夜ともなれば静まり返っている。
けれど、その一角だけは違った。
薄暗い倉庫の中では、数人の男たちが慌ただしく木箱を運び出している。
「急げ。今夜中に終わらせるぞ」
苛立った声を上げたのは、隣国の伯爵だった。
机の上には帳簿や書類が散乱している。
その時だった。
ガンッ!!
突然、倉庫の扉が勢いよく開かれる。
「動くな!」
鋭い声と共に、クラウスたちが一斉に踏み込んだ。
「なっ……!?」
伯爵の顔色が変わる。
逃げ出そうとした商人たちを騎士たちが取り押さえていく中、フィデルは素早く机へ向かった。
散らばる書類を確認し、目を細める。
「……ありました」
ホルスト公爵家の印章。
裏取引の記録。
不自然な金の流れ。
探し続けていた証拠だった。
その瞬間、静まり返った倉庫の奥から、ゆっくりと靴音が響く。
カツ、カツ、と一定の音。
「やあ、伯爵……素敵な夜だね」
暗がりから姿を現したのはライアンだった。
伯爵の顔から血の気が引く。
「な、ぜ……お前がここに……」
ライアンは小さく笑う。
「少し、君に聞きたいことがあってね」
◇◇◇
その頃、アリアは自室で静かに紅茶を口へ運んでいた。
窓の外はすっかり夜が深い。
揺れるランプの灯りの中、ティーカップを置いたアリアは小さく息を吐く。
「……そろそろ始まった頃かしら」
緊張していないわけではない。
けれど不思議と心は静かだった。
ここまで来たのだ。
あとは信じるしかない。
ふと窓の外へ視線を向ける。
遠く離れた港町。
今頃、フィデル達が動いているはずだ。
そして……ライアンも。
アリアはそっと目を伏せた。
「どうか……無事に終わりますように」
◇◇◇
同じ頃。
ホルスト公爵の屋敷では、重たい沈黙が流れていた。
「……連絡が遅いな」
低い声が部屋へ落ちる。
机へ肘をつきながら、ホルスト公爵は苛立たしげに指先で机を叩いた。
港へ向かった者から、まだ何の報告も来ない。
その時だった。
慌ただしく扉が開く。
「公爵様!」
現れた使用人は、顔を青ざめさせていた。
ホルスト公爵はゆっくり顔を上げる。
「……何があった」
「港の倉庫が……押さえられました」
その瞬間、ホルスト公爵の表情から、初めて余裕が消えた。
◇◇◇
夜明け前の空気はまだ冷たかった。
静まり返った廊下で、テオドールは窓の外へ視線を向ける。
遠く、空がわずかに白み始めていた。
やがて背後からクラウスの声が響く。
「準備は整っております。いつでも」
テオドールは静かに目を閉じた。
長かった。
けれど、ようやく終わる。
「……行こう、クラウス」
ゆっくりと振り返る。
「決着をつける」
その言葉と共に、一行はホルスト公爵邸へ向かった。
◇◇◇
重々しい扉が開かれる。
まだ朝も早い時間だというのに、屋敷の中はどこか慌ただしかった。
突然現れた騎士たちに、使用人たちがざわめく。
その中央を、テオドールは真っ直ぐ進んでいった。
「これはこれは……朝早くからどうされましたかな、殿下」
応接間へ現れたホルスト公爵は、いつも通り穏やかな笑みを浮かべていた。
だが、その目だけは鋭く細められている。
テオドールは静かに書類を机へ置いた。
「西側交易における不正取引、裏資金の流れ、隣国貴族との非公式取引——全て証拠は揃っている」
空気が張り詰める。
ホルスト公爵は書類へ視線を落とし、そして小さく笑った。
「……何かの間違いでは?」
「港の倉庫から押収した帳簿です。関係者の証言も取れております」
クラウスが静かに告げる。
その瞬間、ホルスト公爵の表情が僅かに歪んだ。
「……まさか」
低い声が漏れる。
そこで初めて、公爵は部屋の後方に立つ人物に気づいた。
淡い青のドレス。
静かにこちらを見つめるアリア。
ホルスト公爵は目を見開く。
「……君か」
アリアは何も言わない。
ただ静かに視線を返すだけだった。
その沈黙が、何より雄弁だった。
ホルスト公爵はゆっくりと拳を握り締める。
「まさか……最初から……」
「ホルスト公爵」
テオドールの低い声が響く。
「貴方を、王家への反逆及び不正取引の罪で拘束する」
部屋の空気が一気に張り詰めた。




