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公爵令嬢アリアの不敵なシナリオ  作者: ぽかぽか


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6/12

6.

 翌日の学園。


 そこには、いつもの温室ではなく、中庭のベンチで話すテオドールとソフィアの姿があった。

 木陰になっているとはいえ、ここは温室のような閉ざされた場所ではない。

 誰に見られてもおかしくない場所だった。


 ソフィアは昨日のお茶会を思い出していた。


『まずは、学園にいるあちらの派閥の方たちへ、お二人が最近親しくしているという噂を流しましょう』


 アリアの静かな声。


『ソフィア様。きっと噂はすぐに広がりますわ。そうなれば、貴方へ良からぬ感情を向ける方も現れるでしょう』


 その言葉を聞いた時、正直怖いと思った。

 私は昔から社交界の空気が苦手だ。

 視線も、噂も、誰かを値踏みするような会話も。

 だけど……


「ソフィア、本当にいいのか」


 隣から、気遣うような声が聞こえる。

 ソフィアはゆっくりと顔を上げた。


「昨日のアリア様、とても素敵でしたよね」


 風が柔らかく髪を揺らす。


「凛としていて……私もあんな風になりたいって思ったんです」

「しかし……」


 不安そうに眉を寄せるテオドールに、ソフィアは小さく笑った。

 そして、まっすぐ彼を見る。


「私も同じです」


 少しだけ緊張したように息を吸う。


「テオドール様……私にも、諦められない思いがあるんです」


 その言葉に、テオドールは小さく目を見開いた。

 “王子様”ではなく、“テオドール様”。

 初めて変わった呼び方。


 胸の奥がわずかに熱くなる。

 けれど同時に、それ以上に強く込み上げてきたのは不安だった。

 この先、彼女はきっと傷つく。

 噂も、悪意も、すべて自分が巻き込むものだ。

 それでも彼女は、逃げずにここへ立っている。

 テオドールは静かに息を吐き、困ったように微笑んだ。


「……敵わないな、君には」


 最近、ソフィアへ話しかけてくる生徒が増えていた。

 特に同じ宮廷科の下級貴族の令嬢たちだ。

 以前は遠巻きに見ているだけだった彼女たちも、最近では休み時間になると自然に声をかけてくる。


「最近、テオドール殿下とよくご一緒されていますよね」

「この前も中庭でお見かけしましたわ」


 探るような笑み。

 けれど、その奥にあるのは純粋な好奇心だけではない。

 ソフィアは曖昧に微笑みながら、そっと視線を落とした。


(もう、噂は広がり始めている)


 廊下を歩けば感じる視線。

 ひそひそと交わされる声。

 その中心に自分がいるのだと、嫌でもわかってしまう。

 それでも……ふと、中庭で困ったように笑っていたテオドールの姿を思い出す。

 ソフィアは小さく息を吐き、静かに顔を上げた。

 もう、逃げたくはなかった。


◇◇◇


 机の上にはいくつもの招待状が並べられていた。

 舞踏会、夜会、茶会——季節が変わるこの時期は特に社交の誘いが多い。

 アリアはその中から一枚を取り上げた。


「ローゼン侯爵家、夜会……」


 開催は二週間後。

 ちょうど良い頃合いだろう。

 学園で流れ始めた噂が、社交界へ届く頃だ。


「こちらになさいますか?」


 背後のマーサの問いに、アリアは静かに頷いた。


「ええ。……そろそろ皆様の反応も見ておきたいしね」


 そして迎えた夜会当日。

 煌びやかなシャンデリアの光の下、色鮮やかなドレスが広間を彩っていた。


 談笑する貴族たち。

 流れる音楽。

 グラスの触れ合う音。

 その中でアリアは、一人の令嬢に声をかけられる。


「アリア様、最近学園で面白い噂を耳にいたしましたの」

「まあ、どのような?」


 アリアは微笑みを崩さない。

 令嬢は扇子で口元を隠しながら続けた。


「テオドール殿下が、随分親しくされている方がいるとか」


 周囲の視線がわずかにこちらへ向く。

 探っているのだ。

 噂は本当なのか。

 婚約者はどう思っているのか。


 アリアはグラスへ静かに口をつけた。

 そして穏やかに微笑む。


「ふふ、殿下は昔からお優しい方ですもの」


 それだけ言って視線を流す。

 否定もしない。

 だが、動揺も見せない。

 その余裕ある態度に、逆に周囲は言葉を続けられなくなっていた。


 アリアはグラスを傾けながら、静かに周囲を見渡した。

 噂は確かに広がっている。

 好奇の視線。

 探るような会話。

 同情混じりのため息。

 だが……肝心のホルスト派には、まだ大きな動きは見られなかった。


「……さすがに慎重ですわね」


 小さく呟く。

 けれど、それでいい。

 焦って動けば警戒される。

 今はまだ、“様子見”の段階なのだ。


◇◇◇


 夜会から戻ったアリアは、自室で髪をほどきながら小さく息を吐いた。

 大きな収穫はない。

 だが、噂が十分に広がっていることは確認できた。

 その時、控えめなノックが響く。


「お嬢様、お客様です」

「こんな時間に?」


 訝しげに眉を寄せると、扉の向こうから静かな男の声がした。


「お久しぶりです、アリア様」


 部屋へ入ってきたのは、隣国に仕える青年——フィデルだった。


「ライアン様よりお手紙を預かって参りました」


 アリアは目を細め、封を切る。

 そこに書かれていた内容を読んだ瞬間、表情が僅かに変わった。


「……なるほど」


 ホルスト公爵と、隣国のある伯爵家との繋がり。

 ようやく見えてきた一本の線。


「それと、今後はアリア様の指示に従うようことづかっております」


 アリアは小さく目を見開いた後、ふっと笑みを漏らした。


「相変わらず仕事が早いのね」


 そして机へ向かい、便箋を取り出す。

 さらさらとペンを走らせた後、封をしてフィデルへ差し出した。


「ライアン様へ」


 フィデルが恭しく受け取る。


「それと悪いのだけれど、もう一度向こうへ戻って調べてきてほしいことがあるの」

「……例の伯爵ですか」

「ええ。どのような方なのか、もう少し詳しく知りたいの」


 フィデルは少し呆れたように肩を竦めた。


「女好きで、金にもだらしない方ですよ」

「……そう」


 アリアは静かに考え込む。

 慎重なホルスト公爵本人ではなく、その周囲から崩す。それならば……

 窓の外へ視線を向けながら、アリアは静かに目を細めたのだった。


◇◇◇


 二週間後。ブラウン侯爵家主催の夜会。


 煌びやかなシャンデリアの光が広間を照らし、色鮮やかなドレスと礼装が行き交っている。

 そしてその中心には、当然のように視線を集める三人の姿があった。


 第一王子であるテオドール。

 その婚約者、アリア。

 そして、最近噂になっている令嬢、ソフィア。

 囁き声があちこちから聞こえてくる。


「本当にいらしてるのね」

「噂は本当だったのかしら」

「アリア様はどうお考えなのかしら……」


 ソフィアは視線に気づかないふりをしながら、小さく息を吐いた。

 すると隣にいたクラウスが穏やかに声をかける。


「大丈夫ですか、ソフィア様」


 テオドールの側近であるクラウスは、さりげなく周囲との距離を取るよう立っていた。


「殿下は少しご挨拶へ向かわれております。その間、私がお側におりますのでご安心ください」

「ありがとうございます……」


 以前の自分なら、この空間に立っているだけで逃げ出したくなっていただろう。

 けれど今日は、不思議と背筋を伸ばしていられた。


(アリア様のように)


 そんなことを考えていると、不意にクラウスが別の貴族に呼び止められる。


「少しだけ失礼いたします」

「はい」


 クラウスが離れた、その直後だった。


「ソフィア様でしたかしら?」


 数人の令嬢たちが、柔らかな笑みを浮かべながら近づいてくる。

 どの顔にも見覚えはない。

 けれど、その纏う空気だけで分かった。


(上位貴族)


「最近、殿下と随分親しくしていらっしゃるとか」

「学園でも有名ですのよ」


 扇子越しに向けられる笑み。

 柔らかな口調。

 だが、その輪の中からは逃げられない。


「あ、あの……」

「アリア様もお可哀想ですわね」

「……その辺りでやめておけ」


 静かな声が割って入る。

 その瞬間、空気が凍りついた。


 振り向くと、そこにはテオドールが立っていた。


 令嬢達が一斉に顔色を変える。

 テオドールは感情を露わにはしていない。

 だが、その視線は冷たかった。


「夜会で一人の令嬢を囲むなど、あまり褒められた振る舞いではないな」

「も、申し訳ございません……」


 令嬢達は慌てて頭を下げ、その場を離れていく。

 残されたソフィアは、ほっとしたように小さく息を吐いた。


「大丈夫か」

「……はい。ありがとうございます」


 少し離れた場所でその様子を見ていたアリアは、静かにグラスを傾けた。


(あら)


 その瞬間の殿下の表情。

 気づく者は少ないだろう。

 けれど長年隣にいた自分には分かってしまった。


 アリアはわずかに目を伏せ、ほんの少しだけ困ったように微笑んだ。

 その小さな変化に、近くで様子を窺っていた婦人達が目を見開く。


「……まあ」

「やはり……」


 ひそやかな声が広がっていく。

 アリアは何事もなかったかのように再び微笑み、静かに視線を逸らした。


 噂はもう十分に広がっている。

 そして今日、この場でさらに確信へ変わったはずだ。

 ホルスト派はまだ慎重に様子を窺っている。

 だが、それでいい。

 焦る必要はない。

 アリアは小さく口元を緩める。


(今夜の夜会は、上出来ですわね)

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