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公爵令嬢アリアの不敵なシナリオ  作者: ぽかぽか


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5/12

5.

 青い空。

 優しい風。

 暖かい陽射し。

 丘の上に立つ大きな木まで駆けていく。

 木にもたれて座ると、目の前には青い花畑が広がっていた。


(はぁ……気持ちいいなぁ)


「リアー!」


 名前を呼ばれ、アリアは振り返る。

 そこにいたのは——


「……お嬢様、お嬢様」


 ゆっくりと瞼を開ける。

 視界に映ったのは、心配そうにこちらを覗き込むマーサの顔だった。


「そろそろお目覚めください」

「ええ……おはよう、マーサ」


 懐かしい夢を見た。

 心の奥にしまい込んだはずの風景。

 こんな夢を見るなんて、きっと……

 アリアは小さく息を吐いた。


 朝食を終えると、マーサが一通の報告書を差し出した。


「お嬢様、こちらを」

「ありがとう。相変わらず仕事が早くて助かるわ」


 受け取りながら微笑むと、マーサはどこか不満そうに眉を寄せた。

 私を大切に思ってくれているからこそ、この内容が気に入らないのだろう。


 殿下の様子が変わったと気づいたのは、いつ頃だっただろうか。

 けれど、その理由を無理に確かめようとは思わなかった。

 知ってしまえば、今まで通りではいられなくなる気がしたからだ。


 アリアは静かに報告書へ視線を落とす。

 そこに記されていた内容を読んで、最初に胸に浮かんだ感情は、ただ、『よかった』だった。


 殿下と初めて会った日のことを覚えている。

 優しく微笑みながら、少しも笑っていなかった瞳。

 今となっては、あの頃の方がまだ分かりやすかったと思うほど、年を重ねるごとに彼は感情を隠すのがうまくなっていった。

 特に、王城では。

 だから、もし学園で、殿下が心から落ち着ける場所を見つけられたのなら。

 それは、きっと喜ばしいことなのだと思う。


 ふと、今朝の夢を思い出す。

 青い花畑。

 風の匂い。

 遠い日の記憶。


(また、あの場所へ帰れるかもしれない)


 そして同時に、机の上の別の報告書へ視線を向けた。

 西側交易の調査記録。

 ホルスト公爵家に繋がる、不自然な金の流れ。


(この件も、私一人ではもう限界ね)


 アリアは静かに目を細める。


(協力者が必要だわ)


◇◇◇


 その夜、テオドールは自室で昼間のことを思い返していた。

 突然温室へ現れたアリア嬢。


「な……なぜ、ここに」


 思わずそう問いかけた自分に、彼女は温室を見渡しながら静かに微笑んだ。


「素敵な場所ですね。……一度、どんな所なのか見てみたくなって」


 柔らかな声音。

 けれどその表情は、一瞬だけどこか寂しげに見えた。

 しかし彼女はすぐに顔を上げる。


「お二人にとっても、決して悪い話ではないと思いますわ」


 そう言ってアリアは二人を見た。


「ただ、ここでこれ以上お話することはできませんので……殿下、そしてソフィア様。お二人を我が家のお茶会へ招待いたしますわ」


 机の上に置かれた招待状。

 アリア嬢はそれだけ告げると、静かに温室を後にした。

 彼女のことだ。

 きっと何か考えがあるのだろう。

 だが、一体何を……

 テオドールは小さく息を吐く。


(ソフィアは、大丈夫だろうか……)


◇◇◇


 同じ頃。

 隣国の公爵家では、一人の青年が報告書へ目を通していた。


「へえ……なるほどね」


 彼は小さく笑う。


「フィデルには王宮を出て、一度戻ってくるよう伝えて」


 従者が静かに頭を下げる。

 トントン、と机を指先で叩きながら考え込んでいた青年は、やがて顔を上げた。


「あと、少し調べてほしいことがある」


 その瞳は、静かに細められていた。


◇◇◇


 数日後。ブランベル公爵邸。

 部屋へ案内されると、そこにはすでに彼女が待っていた。

 大きな窓から柔らかな光が差し込み、白を基調とした室内には青い花が静かに飾られている。


「本日はお越しいただきありがとうございます。殿下、ソフィア様」


 アリアは優雅に一礼した。

 いつも通り完璧な所作。

 けれどその微笑みは、どこか柔らかかった。


 二人が席につくと、使用人たちが静かに紅茶を用意していく。

 やがて最後の一人が部屋を下がるのを確認すると、アリアはふっと肩の力を抜いた。


「……今日は堅苦しいお茶会にするつもりはありませんの」


 そう言って小さく笑う。


「細かいマナーなど気にせず、お話を聞いてくださいませ」


 その言葉に、張り詰めていた空気がほんの少しだけ和らいだ。

 そしてアリアは静かに紅茶へ口をつける。


「アリア嬢、話というのは……」

「ええ、殿下。単刀直入に申し上げますと……私達の婚約、解消いたしましょう」


 テオドールは驚いて言葉を失った。


「……だが、それは……」


 ガタッ。

 ソフィアが勢いよく椅子から立ち上がる。


「あの……待ってください! 私は……」


 その顔は青ざめていた。

 アリアはそんな彼女を見上げ、柔らかく微笑む。


「ソフィア様、どうか落ち着いてください。ごめんなさい、少し唐突すぎましたね」

「ソフィア……」


 テオドールは気遣わしげに彼女を見る。


「あっ……申し訳ありません」


 ソフィアは不安そうに俯きながら、ゆっくりと席へ座り直した。

 少しの沈黙。

 アリアは改めてテオドールを真っ直ぐ見つめる。


「殿下。私はこの婚約を受け入れたことも、この七年、貴方の婚約者でいた時間も、一度も後悔したことはありません」


 その視線が、ふと部屋に飾られた青い花へ向けられる。


「だけど、私にもどうしても諦められない思いがあるのです」


 静かな声だった。

 けれど、その瞳には迷いがない。


「……殿下も、そうでしょう?」


 アリアはゆっくりとソフィアへ視線を向けた。

 突然見つめられ、ソフィアは小さく肩を揺らす。


「ですが、私は……」


 膝の上でぎゅっと手を握る。


「お二人の婚約を壊すようなこと、したくありません」


 その言葉に、アリアはゆっくりと首を横に振った。


「ソフィア様。私は誰かに壊されたなどと思ったことはありませんわ」


 その声音は穏やかだった。


「むしろ……安心したのです」

「え……?」

「殿下が、心から落ち着ける場所を見つけられたのだと分かりましたから」


 ソフィアは言葉を失ったようにアリアを見つめる。

 アリアは小さく微笑んだ。


「私たち、少しばかり素直になってみてもいいのではありませんか」

「それは……アリア嬢、君の諦められない思いとは」


 テオドールの問いに、アリアは胸にそっと手を当てた。


「私にも、大切に思う方がいるのです」

「……え?」


 思わず声を漏らしたのはソフィアだった。

 テオドールもまた驚きに目を見開いている。


「……そんなこと、一度も」


 アリアはそんな二人を見て、くすりと笑った。


「あら、殿下。女性に秘密は付きものですわよ」


 楽しげに笑ってみせる。

 だが次の瞬間、その表情は静かに引き締まった。


「ですが……このお話、本当に大事なのはここからですの」


 アリアはゆっくりと紅茶へ口をつける。

 そして、ひと呼吸置いてから静かに口を開いた。


「殿下。最初に一つだけ確認させてください」


 その声音は穏やかだった。


「以前、自分は王位に就きたいわけではないとおっしゃったことを覚えていますか?」

「ああ……覚えている」

「今でも、そのお気持ちに変わりはありませんか?」

「ああ。もちろん王族としての責務を無責任に放り出すつもりはない。だが……」


 テオドールは静かに目を伏せる。


「セドリックは優秀だ。彼が王太子になっても問題はないと思っている」

「……問題はない。本当にそう思われますか?」


 その言葉に、テオドールは顔を上げた。

 アリアは静かに立ち上がる。

 後ろの棚から数枚の書類を取り出し、二人の前へ置いた。


「こちらをご覧ください」

「これは……」

「西側交易に関する調査記録です」


 テオドールの表情が僅かに変わる。


「……確か以前、気になることがあると言っていたな」

「ええ。そしてこれは……ホルスト公爵にも関係する話です」


 その瞬間、テオドールは反射的にソフィアを見た。


「あの……私が聞いても……」


 不安そうに視線を揺らすソフィアに、アリアは申し訳なさそうに微笑む。


「ごめんなさいね、ソフィア様。ですが、この先のお話をするためにも知っておいていただきたいのです」


 そう言ってから、再びテオドールへ向き直る。


「先ほどのお話へ戻りますが……たとえセドリック殿下がどれほど優秀でも、ホルスト公爵がいる限り、不安は残るでしょう」


 テオドールは静かに息を呑んだ。

 今までの出来事が頭をよぎる。 

 王宮での空気。

 派閥争い。

 側妃派の動き。

 そして、アリアが密かに調べていた交易の話。


 部屋に沈黙が落ちる。

 その中で、アリアだけが静かに紅茶を置いた。


「ですから……」


 穏やかな微笑みのまま、彼女は告げる。


「あの方には、そろそろ退場していただきましょう」


 その瞬間、部屋の中には耳が痛くなるほどの静寂が広がった。


「……だが、退場と言っても」


 テオドールの低い声に、アリアは静かに頷く。


「色々と調べてはみたのですが、決定的な証拠は何も見つかりませんでした」


 そして小さく息を吐く。


「ですから……証拠を掴むため、ひと芝居打つことにしたのです」


 ソフィアが息を呑む音がした。

 アリアは二人を真っ直ぐ見つめる。

 その瞳には迷いがなかった。


「殿下、ソフィア様」


 そして、ゆっくりと頭を下げる。


「どうか私に、協力していただけませんか」


 沈黙。

 テオドールとソフィアは、困ったように互いの顔を見合わせたのだった。

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