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公爵令嬢アリアの不敵なシナリオ  作者: ぽかぽか


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3/12

3.

「はぁ……」


 思わずため息がもれた。

 学園に入学して、もう一ヶ月。

 王都にも学園にも、まだうまく馴染めずにいる。


 人の多い廊下を避けるように歩いていると、校舎の裏に小さな温室を見つけた。


「こんな場所があったんだ……」


 ガラス越しに見えた緑に、少しだけ心が惹かれる。


(気分転換に、何か描こうかな)


 そう思って、ソフィアは静かに扉を開けた。


「わぁ!」


 思わず小さな声が漏れた。


 ガラス張りの温室には、柔らかな陽の光が差し込んでいる。

 蔦は天井近くまで伸び、古びた棚や机には小さな鉢植えが無造作に並べられていた。

 手入れは完璧とは言えない。けれど、その少し寂れた空気が不思議と心地よく感じる。


(雰囲気があって、なんだかいいなぁ)


 中に入ると、先客がいた。

 何かを書いている様子の彼の手元を覗き込み、ソフィアは思わず声を上げた。


「すごく上手ですね!」


 彼は驚いたように顔を上げ、少し訝しげにこちらを見る。

 けれどソフィアは気づかないまま、温室を見渡して続けた。


「でも、ここ……とても素敵ですもんね。描きたくなる気持ち、分かります」

「君は……」


 彼は何か言いかけて、不思議そうに目を細めた。


(あれ、もしかして馴れ馴れしすぎたかな)


 急に不安になってくる。

 困ったような顔でこちらを見る彼に、どうしていいかわからなくなってしまう。


「お、お邪魔してごめんなさい!」


 ソフィアは勢いよく頭を下げると、逃げるようにその場を後にした。


 その日の夜、ソフィアは昼間のことを思い出していた。


(あの人、上級生かな)


 王都の人は洗練されているとは思っていたけれど、あんなに綺麗な人は初めて見た。


(変な子だと思われたかもしれない)


 思い出して少し恥ずかしくなる。

 けれど……ふと、陽だまりのような温室の景色が脳裏に浮かんだ。


(また、会えるかな……)


◇◇◇


 それから数日後の朝。

 登校中、前方から聞こえてきた黄色い声にソフィアは思わず顔を上げた。


「見て、テオドール殿下とアリア様よ」

「お二人は本当にお似合いね」

「素敵だわ……」


 皆が視線を向ける先を見る。

 そこでソフィアは思わず目を見開いた。


(あの人……)


 数日前、温室で出会った青年がそこにいた。

 その隣には、銀色の髪を揺らす美しい令嬢が寄り添っている。


(綺麗な人……)


 凛としていて、まるで物語の中の姫君みたいだった。

 そして二人は、誰が見ても並び立つのが自然に思えるほどよく似合っていた。


(王子様だったんだ……)


 その瞬間、温室で交わした何気ない会話が急に遠いものに思えた。


◇◇◇


 あの日から数日、ソフィアはずっと思い悩んでいた。


 彼が王子様だと知った以上、もう会いに行くようなことはしない方がいい。

 頭ではそうわかっている。

 でも、ただ単純にあの温室が気に入って、絵を描きたいという気持ちもあった。


(そうだよ。私は絵が描きたいだけだもん……)


 それに、王子様だってあの日はたまたまいただけかもしれない。

 私は心の中でそう言い訳しながら、再び温室へ向かった。

 中に入ると、今日は彼の姿はなかった。


(やっぱり、ここいいなぁ)


 柔らかな陽の光が差し込む温室の中を見渡しながら、私はそっと息を吐く。


 蔦の絡まる古い棚。 

 少し色褪せた机。

 静かな空気。

 やっぱりこの場所は落ち着く。

 私は指でフレームを作るように景色を切り取りながら、どこを描こうかとうろうろ歩き始めた。

 

 その時、後ろから小さく笑う声が聞こえた。

 振り向くと、そこには彼が立っていた。


「あっ……あの、この前は申し訳ありませんでした。王子様だと気づかず、本当に失礼なことを……」


 慌てて頭を下げようとした私を、彼は軽く手を上げて制した。


「ああ、大丈夫。謝罪はいらないよ。それに、ここは学園だ。身分は気にしなくていい」


 そう言って彼は温室の奥へ歩いていく。


「そういえば、この前も言っていたけど、君も絵を描くんだね。ここが気に入ったの?」

「あ……はい、そうなんです。あの……王子様はここにはよく来るのですか?」

「まあ、そうだね」


 彼は奥に置かれていた小さな椅子を持ってくると、『どうぞ』と私に勧めてくれた。


「私がここに絵を描きに来たら、お邪魔ではないですか?」

「いや、別に構わないよ」


 その言葉に少し安心して、私は笑みを浮かべた。


「この前描いていた絵、素敵でしたね。もっと大きなキャンバスで見てみたいと思いました」


 すると彼は少し驚いたような顔をした。


「僕のは落書きみたいなものだよ。ちゃんとしたものを描いたことはないんだ」

「そうなんですか? どうして……」

「まあ、時間がなくてね」

「あっ……そうですよね。お忙しいですものね。でも、もったいないです。きっと素敵な絵になると思います」

「ありがとう」


 そう言って、彼は少しだけ目を細めた。


「僕も君の描いた絵を見てみたくなったよ。……そういえば、まだ名前を聞いていなかったな」

「あっ、まだ名乗っていませんでしたね。ソフィア・ハーヴィーです」


◇◇◇


 それから、週に一度、放課後に温室へ通う日が続いた。

 遅くなると家族が心配するため長居はできなかったけれど、それでもその時間は私にとって特別なものになっていた。


(絵が完成するまで……)


 ただそれだけの理由で通っているのだと、自分に言い聞かせながら。

 王子様は相変わらず小さな手帳にスケッチを描いていたし、時々私の絵を覗き込んでは感想を口にした。


「その色、綺麗だな」

「この花、昼より夕方の方が好きかもしれません」


 そんな何気ない会話を交わす時間は、不思議と心地よかった。


 その日は、いつもより少し遅れて温室へ向かった。

 中に入ると、彼は椅子に腰かけたまま静かに寝息を立てていた。


(疲れているのかな)


 起こさないよう、私はそっと足音を忍ばせる。

 でも、今日でこの絵も完成するだろう。

 そうしたら、もうここへ来る理由もなくなってしまう。

 胸の奥に広がった寂しさを振り払うように、私は筆を取った。

 そして、ついに絵が完成した。


 気づけば、外はすっかり夕暮れになっていた。

 赤く染まった光がガラス越しに差し込み、温室の中をやわらかく照らしている。

 昼間とはまるで違う景色だった。

 蔦の影も、古びた机も、金色の光の中でどこか幻想的に見える。


(わぁ……)


 思わず息を呑む。


(これも、素敵だなぁ)


 それに、どうしてだろう。

 なんだか泣きそうになる。


「……ソフィア嬢?」


 振り向くと、いつの間にか彼が目を覚ましていた。


「すまない……眠ってしまったみたいだ。ずいぶん遅くなってしまったな」

「いいえ、気にしないでください。それより見てください」


 嬉しくなって、私は両手で絵を掲げた。


「ほら、完成したんです」


 ソフィアが嬉しそうに掲げた絵を見て、テオドールは静かに目を見開いた。


 陽の光が差し込む温室。

 柔らかな光の中で揺れる花々。

 そして、その景色を見つめるように描かれた空気までもが、驚くほど丁寧に閉じ込められていた。


「……綺麗だな」


 思わずそう呟く。

 ソフィアは少し照れたように笑った。


「ありがとうございます。これでやっと完成しました」


 その言葉に、テオドールは小さく眉を動かす。

 完成した。

 つまり……


「……もう、ここへは来ないのか?」


 自分でも驚くほど自然に言葉が出ていた。

 ソフィアは少し困ったように笑う。


「ええ……元々、この絵を完成させるまでのつもりでしたから」


 明るく答えているはずなのに、どこか寂しそうだった。

 温室に沈黙が落ちる。

 赤い光が静かに二人を包んでいた。

 ふと、以前自分が言われた言葉を思い出す。

『もっと大きなキャンバスで見てみたいと思いました』

 気づけば、口が動いていた。


「……なら、今度は一緒に描かないか?」

「えっ……」


 ソフィアが目を丸くする。


「僕も……ちゃんと描いてみたくなったんだ。だから、その……手伝ってほしい」


 言った後になって、自分でもなぜそんなことを口にしたのかわからなかった。

 ただ……この時間が終わってしまうことが、少し惜しいと思ったのだ。


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