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公爵令嬢アリアの不敵なシナリオ  作者: ぽかぽか


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11/12

テオドール


 書類の山が、机の上へ高く積み上げられている。

 ホルスト公爵が失脚してから数週間。


 押収された帳簿、不正取引の記録、関係者たちへの聴取。

 長年水面下で広がっていたものはあまりにも多く、その処理は未だ終わりが見えなかった。


「……疲れたな」


 ぽつりと零れた声は、静かな執務室へ小さく消えていく。

 テオドールは椅子へ深く身体を預け、ゆっくりと目を閉じた。


 ふと浮かぶのは、柔らかく笑う少女の姿。

 温室。

 夕暮れ。

 少し照れながら、自分の名前を呼んでくれた声。


(会いたいな)


 忙しさを理由に、最近は手紙すら満足に書けていない。

 事件の後処理が落ち着けば迎えに行くと約束したのに、思った以上に時間がかかってしまっていた。

 小さく息を吐いた、その時だった。


 コンコン、と控えめなノックの音が響く。


「……入れ」


 扉が開く。

 姿を見た瞬間、テオドールはわずかに目を見開いた。


「……セドリック」

「やっと会えましたね。兄上、最近僕のこと避けてたでしょ?」


 テオドールはわずかに視線を逸らした。


「……忙しかったんだ」

「便利な言い訳ですね、それ」


 セドリックは呆れたように笑う。

 その軽い口調に、テオドールは困ったように眉を寄せた。

 沈黙が落ちる。

 やがてテオドールは静かに口を開いた。


「……ホルスト公爵の件だが」

「兄上」


 セドリックがその言葉を遮った。


「気にしないでください」


 いつものように軽い声音。

 けれど、その目はどこまでも冷静だった。


「祖父にとって、僕はただの駒でしかありませんでしたから」


 その言葉に、テオドールは小さく目を伏せる。

 セドリックは肩を竦めた。


「それより、王籍を抜けるそうですね」

「ああ」


 テオドールは静かに頷く。


「今回の件の褒美として、伯爵位を頂くことになった」

「伯爵、ですか」


 少し意外そうに目を瞬かせるセドリックへ、テオドールは苦笑する。


「自分には、それくらいが合っている」


 その表情は不思議と穏やかだった。

 しばらく沈黙が落ちる。

 やがてテオドールは、小さく息を吐いた。


「……大変なものを押し付けてしまって、すまなかったな」


 その言葉に、セドリックはきょとんとした顔をした後、ふっと笑った。


「そんな風には思ってませんよ」


 そして少しだけ悪戯っぽく続ける。


「兄上と違って、僕は案外この立場、嫌いじゃないので」


 思わずテオドールも小さく笑った。

 その表情を見て、セドリックは静かに目を細める。


「心配しなくても大丈夫です」


 真っ直ぐな声だった。


「兄上より上手くやれるかは分かりませんけど」


 少し肩を竦める。


「それでも、この国を良くしたいとは思っています」


 テオドールは静かに弟を見つめた。

 そしてゆっくり頷く。


「ああ……お前ならきっと大丈夫だ」


 窓の外へ視線を向ける。

 王都を離れる日も、そう遠くない。


「離れた場所にはなるが、何かあればいつでも力になる」


 その言葉に、セドリックは少しだけ驚いたように目を見開いた。


「遠慮なく頼らせてもらいますよ、兄上」

「そうだ、ひとつ頼みがある」


 ふと思い出したように、テオドールが口を開く。


「僕のところにいるクラウスなんだが……」

「ああ、それ」


 セドリックはすぐに苦笑した。


「もう本人に断られました」

「……は?」


 珍しく間の抜けた声を出した兄へ、セドリックは肩を竦める。


「“自分は最後までテオドール殿下の側近ですので”って」


 そして少しおかしそうに笑った。


「兄上のこと、本当によく分かってる人ですね」


 その言葉に、テオドールは小さく目を伏せる。

 やがて困ったように笑った。


「……そうだな。優秀なやつだ」


◇◇◇


 それからしばらくして。

 ようやく一通りの処理を終えたテオドールは、王城の長い廊下をゆっくり歩いていた。


 大きな窓から差し込む夕陽が、赤く床を染めている。

 その後ろを、いつものようにクラウスが静かについてきていた。


「クラウス」

「はい」

「王都を離れることになって……本当に良かったのか」


 ふと漏れた問いに、クラウスはきょとんとした顔をした。

 そして次の瞬間、どこか呆れたように笑う。


「何を今更」


 その声音は、昔と変わらない。


「私はあなたの側近ですよ」


 テオドールが静かに目を見開く。

 クラウスは淡々と続けた。


「それに、先に領地へ向かった者たちが色々準備しております」

「……先に?」

「ええ。ソフィア様を迎える準備もありますので」


 その言葉に、テオドールは思わず小さく笑った。


「……ありがとう」


 クラウスは軽く一礼する。


「勿体ないお言葉です」


 王城の扉がゆっくり開く。

 夕暮れの風が、静かに吹き抜けた。

 テオドールは空を見上げる。

 その先に浮かぶのは、柔らかく笑う少女の姿。


「行くか」


 穏やかな声だった。

 そしてテオドールは、ソフィアの待つ場所へ向かって歩き出した。


◇◇◇


 最初の頃は、紅茶を零さないようにカップを持つだけでも緊張していた。

 けれど最近では、公爵夫人とのお茶会にも少しずつ落ち着いて参加できるようになっている。


「姿勢が良くなりましたね」


 そう微笑む夫人に、ソフィアは照れたように笑った。


 翌日。

 柔らかな陽射しが降り注ぐ庭園の木陰で、ソフィアは一人スケッチブックを広げていた。


 風がそよぎ、木々が優しく揺れる。

 静かな時間。

 ソフィアが描いていたのは、記憶の中にある一枚だった。

 あの温室で穏やかに笑っていた人。


「……ずいぶん熱心だな」


 突然聞こえた声に、ソフィアはびくりと肩を震わせた。

 慌てて振り返る。

 そこに立っていたのは。


「テオドール……!」


 思わず立ち上がる。

 同時に、テオドールも何かを言いかけて目を瞬かせた。

 ソフィアが慌ててスケッチブックを隠したからだ。


「……何を描いていたんだ?」


 どこかおかしそうに尋ねられ、ソフィアは顔を赤くする。


「ひ、秘密です」

「余計気になるな」


 困ったように笑うテオドールに、ソフィアはますます恥ずかしくなった。

 

「……笑わないでくださいね」


 しばらく視線を泳がせた後、観念したように、そっとスケッチブックを差し出す。


 テオドールはそれを受け取り、静かに目を見開いた。


 そこに描かれていたのは、温室で穏やかに笑う自分の姿だった。

 柔らかな表情。

 優しい光。

 まるで、ソフィアが見ていた“テオドール”そのものだった。


 ソフィアは恥ずかしそうに俯く。


「……すごく、上手ですね」


 テオドールがぽつりと零す。

 その声音があまりにも優しくて、ソフィアは思わず顔を上げた。

 視線が重なる。

 次の瞬間、どちらからともなくふふっと笑い声がこぼれた。


 穏やかな空気。

 テオドールはそっと手を伸ばし、優しくソフィアの頬へ触れる。


「待たせてごめん」


 ソフィアは小さく首を振った。


「いいえ。本当に、お疲れ様でした」


 その言葉に、テオドールは静かに目を細める。


 そして今度こそ、迷うことなく彼女を優しく抱き寄せた。

 そのまま二人は並んで庭園を歩く。

 気付けば空はゆっくりと茜色へ染まり始めていた。


「……綺麗ですね」


 ぽつりとソフィアが呟く。


「そうだな」


 テオドールも静かに空を見上げた。

 次の瞬間、二人は同時に顔を見合わせる。

 そしてどちらからともなく、くすっと笑い声が零れた。

 穏やかな夕風が吹き抜ける。


 テオドールは柔らかく目を細めた。


「また一緒に絵を描こう」


 その言葉に、ソフィアは嬉しそうに微笑む。


「はい」


 夕焼けに染まる庭園で、二人の笑い声が静かに重なっていた。

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