一人暮らしと体調不良
これは一人暮らしが始まってまだ間もない、いつかのある朝のこと。
ーー
スマホのアラームが鳴っている。
止めなくちゃ。そう思うのに、腕が重い。布団がやけに重い。寒い。
(あら、顔が赤いのよ。熱でもあるの?)
声がした気がした。
でもわたしは一人暮らし。どうにか起き上がる。そのまま、床に座り込む。
「あぁ、風邪ひいたかも……」
梁が鳴る。ぴし。
(無理しないで……)
ぱき。
(寝てなよ。ゲームは我慢する)
……幻聴かな。
頭がふわふわ。体がくらくら。
でも、仕事は休みたくない。
(……まったく、仕方ないのよ)
気づいたら、レンジで温まっていた冷凍ご飯。
いつの間に。
とりあえずお茶漬けにして流し込む。味がしない。それでも家を出た。
ーー
電車のホーム。立っているのがつらい。視界が揺れる。
体が弱ると心も弱る。
(新生活……全然ちゃんとできてない)
(仕事だって、新人だからって、みんなに迷惑かけてばっかり……)
(きっと、わたしなんていなくてもかわらない)
涙が滲む。線路が、やけに近い。
すぅっ、と膝から力が抜けた。体がかしぐ。
そのとき
(ダメ!危ない!)
足元から、何かが飛び上がった。
とん。
肩を押される。はっと目を開く。同時に、近くにいた男の人が体を支えてくれた。
「大丈夫ですか?顔色が良くないようですが?」
男の人の顔は、どこか山羊のようで。
肩には、ふわふわの小さな生き物。心配そうにこちらを覗いている。
「あ、あり……と……ざ……ます……」
知らない人。でも。なぜか、もう大丈夫だという安心感。そこで意識が落ちた。
ーー
気が付くと自宅のベッドだった。
スマホには同僚からいくつかのメッセージ。
"大丈夫?今日はゆっくり休んでね"
“先輩、無理しないでください。早く元気になってくださいね”
どうやら、駅で倒れたわたしは、居合わせた親切な人が会社に連絡してくれて、そのまま帰宅したらしい。
まったく覚えていない。
テーブルにはスポーツドリンク。軽食。ゼリー。
……こんなの買ったっけ?
しかし、考える余裕もなく、再び眠りに落ちた。
ーー
(まぁ、大事にならず良かったです)
山羊の顔の男――
白沢が、静かに言う。
(たまたま連れていたすねこすりが良い仕事をしました。しかし、こんなところにお住まいとは。)
(こんなところとは失礼なのよ)
座敷童子が腕を組む。
(でも、あの娘を助けてくれたことには感謝しているわ)
梁。天井。壁。ぴし、ぱき、ぎしと同意の音。
(いえ、出来ることをしたまで)
白沢は穏やかに目を細める。
(どうかしら?)
座敷童子はじっと見つめる。
(あなた、あの娘からわたしたちの気配を感じたのではなくて?)
(……さすが、おわかりですか。確かに、あの娘からは憑き物の匂いがしました。)
(すねこすりがあの娘に懐いたようでしたし、良くないモノなら気まぐれに助けの手を差し伸べても良いか、などとも……)
一瞬。
壁が、ぴき、と緊張した音を鳴らす。
(しかし、ご安心を)
白沢は静かに続ける。
(あなた方に敵意はありません。あの娘に危害を加えるつもりもない。)
(むしろ、なにより興味深いことです。これほど穏やかに憑き物と暮らすとは。実際、あなた方とは、良い関係のようだ)
(……まぁいいわ)
座敷童子は息を吐く。
(あの娘はこの部屋の主よ。面倒は、わたしたちがみるわ)
(ええ、わかりました。しかし、今回のように部屋の外で何かあったら大変でしょう。よろしければ、会社の方は私にお任せを、適任を手配しておきます。それと、何かありましたら此奴に)
白沢は、すねこすりを一匹残し、座敷童と家鳴りに軽く目礼をすると去っていった。
ふわふわとした新参者は、きょとんとした顔。しかし特にここに残ることに異論はないようである。
座敷童子の匂いを嗅ぎ。家鳴の梁を見上げ。満足そうに、ベッドで眠る娘の足元で丸まった。
ーー
座敷童子は額を押さえた。
(はぁ……白沢さまだなんて、なんてモノを連れてきたのかしら)
ぴし。梁の奥で家鳴が小さく鳴る。
すねこすりが顔をあげる。少し誇らしげに。
(……仕方ないわね)
台所から、湯気が立ち上る。座敷童子は、お粥を作り始めた。
ーー
彼女も明日には、きっと回復するだろう。
そして、おそらく、彼女は言うのだ。
「いや〜、ちょっと無理したかな。危なかった〜」
それで済むのが、一人暮らし。
それで済むようにするのが憑き物。
ベッドの足元で、すねこすりが小さく鳴いた。




