美術館と光と芸術の秋
【第五部】第十七話 美術館と光と芸術の秋
思っていたより明るいし、想像していたより広い。そして、意外なことにそれほど静かではない。
美術館とは、もっと薄暗くて、壁にかかった絵やそこかしこに置かれた彫像たちがライトアップされていて、誰もが押し黙って難しい顔でそれらをじっと見つめているようなところではなかったのか。
「先輩、通路の真ん中で立ち止まったらだめですよ。まずは順路に沿って進みながら鑑賞しましょう」
「ねぇ早苗ちゃん、美術館ってお話ししながら観てもいいの?なんか思ってたよりにぎやか……」
「えぇ、展示内容にもよりますけど、小声でまわりの邪魔にならなければ大丈夫ですよ」
五連休四日目。初めて訪れた美術館、その入り口で思わず立ち止まってしまった佐伯を促し、水上は順路を進む。
(楽しみにしてたのよ。ゆっくり鑑賞しましょ、ふわぁ)
(今日のために、昨夜は頑張ってらっしゃいましたからね)
なぜか寝不足気味の座敷童子、それに目目連。計画段階から美術館行きを楽しみにしていた二体も一緒のようだ。
順路を確認して一行は進む。最初のフロアへ足を踏み入れると、そこにはまず大きな風景画が、来場客たちを迎えるように展示されていた。
「わっ!おっきい!」
「美術館だと、普段目にできないような大きな絵が観られるのも魅力ですね」
(この絵のサイズは縦1120mm、横1940mm、P120号です)
(それはどうでもいいけど、本当に大きいのよ。でも雄大で落ち着いた絵だわ)
「こんなに大きいの、どうやって描いたんだろう。わたしじゃ背が届かないよ」
「どうなんでしょう、はしごとかを使うんですかね」
「イーゼルから下ろして描いたり、もっと大きい絵だと脚立を使ったり、現代アートなら場合によっては高所作業車を使うこともありますよ」
二人の会話が面白かったのか、近くにいた学芸員さんが解説をしてくれた。
「いーぜる?」
「キャンバスを置く台のことです。この先にはイーゼルに載せた展示物もありますから、良かったらご覧になってください」
「すみません、お忙しいのに解説ありがとうございます」
気になることがあればお気軽にどうぞと言葉を残して、親切な学芸員さんはフロアの巡回に戻っていった。どうやら美術館とは、楽しく優しい場所らしい。実は緊張していた佐伯も、おかげで美術展を楽しむ心の準備は整ったようだ。
――
壁に架けられた絵画を眺めながらゆっくり歩く。わかりやすいと思う絵もあれば、なんだかよくわからない絵もある。そして意外なことに、好きかどうかというのは分かりやすさとは別のところにあるらしい。
気になる絵があったら、少し離れてみる。全体を観てから、今度は近寄って細部を観る。水上に教えてもらった鑑賞のコツを実践して、気に入ったと思ったらこれまた水上が用意しておいてくれたメモ帳にタイトルと作者を書き込んでおく。
「先輩、丁寧に観るのはいいことですけど、まずは人の流れに合わせて順路通り周りましょう」
「えっ……うん。でも、よく観てみたい気もするんだけど……」
「メモもとってますし、気になる絵は二周目でじっくり観たらいいですから」
「へ?二周目?」
なんと水上が言うには、美術館とは一通り周り終わっても退館しなくていいらしい。混雑具合などにもよるそうだが、こんなにたくさんの素敵な絵が、時間制限も追加課金もなしで見放題とは、なんとも太っ腹だと佐伯は感心、そして感激することしきりである。
(芸術とはお金のかかるものか、かからないものなのか。わたくし解釈に悩むところです)
(それなりにお金はかかるけど、お金には換えられないものなのよ)
初めての美術館で多くの絵画をその目で鑑賞し、まずはその美しさ、そして水上が言っていた芸術を意識して味わう楽しさもぼんやりと感じる佐伯。
「早苗ちゃん、ありがとうね」
「どういたしまして?」
子供のころ、近所に今まで知らなかった公園を見つけ、新しい遊び場を手に入れたときのような高揚感を覚えて、佐伯は美術館を見回すのだった。
――
時々足を止めながらも美術展を一通り巡り、今は佐伯と水上、そして一緒にやってきた憑き物たちもそれぞれに二周目の絵画鑑賞を楽しんでいるようだ。
(これはまさに、わたくしの見ている世界!)
最初はなぜかキャンバスの規格を計測してしまったが、キュビズムの絵画に出会い、普段から多視点で捉えている自分の世界が絵筆によって表現されていることに感動する目目連。
(懐かしいのよ、あの頃の町の匂いまで思い出すわ)
座敷童子はといえば、ある日本人画家が描いた数点の絵画、そこにあるいつかの風景や人々の姿を前に、どこか感慨深げである。
そして二周目も終わりに近づく頃、佐伯と水上は、一枚の絵画の前に並んで立っていた。
明るく日の差し込む庭園で、白いドレスをまとった婦人が日傘を差し、ガーデンチェアにゆったりと座っている。
「先輩の言葉に影響されたのか、わたしも今日は光の演出が素敵な絵が気になって」
静かで平和なワンシーンだが、ドレスに当たる光や日傘の落とす影が印象的で、絵画全体が淡く光っているようだ。水上と一緒に絵を見つめる佐伯も、キャンバスに描かれる光に目を輝かせている。
「昨日も言ったけど、光を絵に描くなんて、ほんとにできるんだね……光源とか構図とかはわかんないけど、とっても素敵だって思う」
「実はわたしも本格的な知識はないので解説はできないんですけど、でも先輩のいう通り、素敵な絵ですよね」
「光をキャンバスの上に描き出す。それは近代の芸術家たちにとって大きなテーマだったんです。そのために色を選び、影を描き、さらには同じ風景を時間帯別に描いたりもしたんですよ」
二人が絵の前で時間を忘れていると、そっと声をかけてくれたのは入館のときにもお世話になった学芸員さんだった。
「もしご興味があればガイドツアーなどもご用意しておりますので、次回ご来館の際はぜひご利用ください。それと、こちらの絵でしたら、確かミュージアムショップにポストカードがあったはずです。良かったら見ていってください」
恐縮する水上と、感激を言葉にしようとして「すごい」「とっても素敵」を連発する佐伯。その後もいくつか質問へ答えてもらい、二人と憑き物たちは充実した美術展鑑賞を終えたのだった。
――
「すごかった!素敵だった!本当に楽しかった!芸術の秋、ちょっと尻込みしてたけど本当に来て良かった!わたしちょっとはまっちゃいそう!次はいつこようか!」
「気に入ってもらえてよかったですけど、先輩ちょっと落ち着いてください。わたしもガイドツアーには興味があるので、また今度一緒にきましょう」
ミュージアムショップでポストカードもしっかり購入した佐伯は、美術館をあとにしてからも興奮冷めやらぬ様子である。
「お部屋に帰ったら早速ポストカード飾らなくちゃ。それにしても夢中で見てたらこんな時間だ。さすがにお腹空いたね」
「ちょっと遅めですけど、どこかでランチをして帰りましょうか。それに夕飯は栗ご飯パーティーですからお買い物もって……栗!?うわ、忘れてた……どうしよう?」
(今更なのよ。ちゃんと皮むきも下処理も済んでるけど、どうするつもりだったのかしらね)
「どうしたの早苗ちゃん?栗がどうかした?」
「先輩、栗の下準備、何もしてないですよね……?」
「ん?栗だったらすっかり剥いて冷蔵庫にしまってあったよ?」
「え?」
「ん?農園の人がすぐに調理できますっていってたけど?そういうことじゃなくて?」
(なるほど、そう解釈するわけですね。わたくしの想像の上でした)
(こうやってわたしの努力はいつもいつも……まぁいいのよ。せっかくだから美味しく食べなさい!)
「あれ?鬼皮までついたままじゃ?え?」
「まぁまぁ、とにかく何か食べに行こう!それと栗ご飯のおかずも買いに行こう!頭つかったし、わたし何か甘いものも食べたいな!」
「ええ?あれ?でもまぁ、わかりました。とりあえず行きましょうか」
水上はまだ頭のまわりにハテナマークを浮かべているが、芸術のあとは食欲の秋の出番。美術館では初心者だった佐伯もここからは本領発揮、ただし食べる側で。
午前中からの美術展鑑賞を終えて、今は昼食には遅く、おやつにはまだ早いくらいの時間。気を取り直した二人は、遅めのランチとパーティーのための買い物に向かうことにした。
五連休四日目はまだまだこれからである。




