古木と紅葉と秋の空
秋の花が咲き誇る群生地――秋色の絨毯を存分に楽しみ、佐伯と水上は初めてのハイキングを満喫していた。
「ねぇ、早苗ちゃん。そろそろお腹空いてきたね」
「もう少し歩けば休憩用の広場があるみたいです。そこまで行ったらお弁当にしましょうか」
「やったー!お弁当!」
二人にとっては、ただの楽しい秋の行楽のワンシーンである。
だが、二人がそんな呑気な会話をしている一方で、
(へ!? 広場!? お弁当!?ど、どうしましょうぅ……)
白沢にまんまと乗せられて、案内役に任命された修行中の素狸が、今まさに人生最大級の難題に直面していた。
――
(残りの見どころ候補は、紅葉と一番大きい木……だったよね?)
(えぇ、それに休憩とお弁当を加味して案内をしてもらいたいわけですが、ふふ、悩んでますねぇ)
佐伯と水上はまだスマホで花々の写真を撮ったりして足を止めているが、それが終わればそろそろ歩きだしてしまいそう。なのに、タヌキは両前脚で頭を挟み、うーむむむと唸っている。
(木霊さんたちがいて?見どころで!?広場でお弁当!?あれ!?そんなところありますぅ!?)
登場時のように今にも転がりだしそうなタヌキだが、これも修行の一環だと必死に考えを巡らせる。一ヶ所目の経験で木霊たちが集まる場所が候補なのはわかっている。あとは人間たちの希望であるお弁当を食べられる休憩場所という部分だが......
(お弁当……休憩……ゆっくりご飯を食べられる場所……あたしの巣じゃなくて……そうだっ!あそこなら!)
どこかいい場所を思いついたのか、抱えていた頭をぱっと上げたタヌキが、またしても佐伯と水上に向けて鳴き声を上げ、その前を歩きだした。
「きゅきゅっ!きゅうぅぅ~、きゅっ!」
「あ、また案内してくれるの?ありがとう!」
「一本道ですけどね。でもなんだか心強いですね」
(さぁ、次はどこへ連れて行ってくれるんでしょうね)
(絶対面白がってる……白沢様、性格悪いよ?)
すねこすりの非難のまなざしも気にせず、白沢もその後ろに続く。秋の山の名所巡りゲーム、次なる目的地はどこなのだろうか。
――
「また道が木々に囲まれてきたねぇ」
「山道ですから、さっきみたいな開けた場所の方が少ないのかもしれないですね」
二人は順調に歩いているが、先導するタヌキは何やら落ち着かない様子。
(あ、あそこなら木霊さんたちのお気に入りですぅ。でも見どころかといわれるとぉ?いやでも広くて静かですしぃ、大丈夫です!)
とことこ歩いていた足が、突然自信なさげにぽてぽてと遅くなり、しかしまたすぐに頭をあげてしゃんと歩き出す。一本道に見えるがここは迷いやすい狭間の山道。ときどき道の端や木立の根元の匂いをふんふんと嗅いで道を確かめることも忘れない。
そんなタヌキの後ろをついて歩くことしばらく。これまで木々に挟まれていた道が突然開け、その先に大きな空間が現れた。その中心にはこの広場を作り上げた主、大人が数人で手を広げなければ囲むことができないほど太い幹を持ち、頭上に悠々と枝を広げ、葉を茂らせたケヤキの大木が鎮座していた。
「うわぁ、おっきい!」
「立派な樹ですねぇ。でも、包まれるような安心感」
ケヤキの周囲は太陽の光を枝葉に遮られ、ひんやりと涼しく下生えも少ない。だが、代わりに積もった落ち葉が柔らかく靴底を受け止めてくれる。
(見て見て!すごいでしょ!)
(大きいでしょ!)
(ずっと昔からここにいるんだよ!)
(この山の、森の長老様!)
橙色に色づいたケヤキの葉を揺らしながら、待ち構えていた木霊たちが教えてくれる。この大樹は、この山の植物や動物たちの営みをずっと見守ってきたケヤキの古木、森の長老であった。
(よかったぁ、木霊さんたちいらっしゃいましたぁ)
(それに、ここなら広くて静かで、お弁当を食べるのにもピッタリだね)
(人間たちに知られていれば、ご神木と祀られても不思議ではない立派な樹ですね。タヌキさん、いい場所に案内してくれました)
ケヤキの古木、森の長老は木霊の示す名所に間違いなかった。かつ佐伯と水上がお弁当を広げるのに最適、最高のロケーション。化け狸未満の鈍臭タヌキは、いつの間にやら有能なツアーガイドに成長したらしい。
「さぁ!お待ちかねのお弁当!昨日頑張って唐揚げを揚げてきました!」
「わっ、美味しそうですね!先輩、わたしのサンドイッチと一つ交換してくれませんか?」
「もちろんどうぞ!というより、最初から早苗ちゃんのお弁当目当てで多めに作ってきちゃった!タヌキさんには……唐揚げはダメだよねぇ」
レジャーシートの上で足を伸ばし、二人は楽しいお弁当タイム。だがここまで一緒に来たタヌキにお裾分けできるものがない。
どうしたものかとあたりを見回すと、当のタヌキがケヤキの幹の向こうからひょっこり顔を出した。
「あれ?なんかくわえてる?」
「柿ですかね?さすが、この山に住んでるだけありますね。ちゃんとお昼も自分で用意できるみたいです」
(案内ご苦労様!)
(ご褒美だよ!)
(美味しいでしょ!)
木霊からの差し入れでタヌキもひとときのお昼休憩。ここまで気を張り、頭を使ってだいぶ疲れてしまった。ほっと一息入れていると、そこに優しい声が降ってきた。
ーー人が来るとは珍しい
(ひょえっ!もしかして、長老さま!?)
ーー木霊が招んだか だが、あの熊鈴……そうか……
(おおお、お騒がせしまして!も、申し訳ありません!)
ーー良いのだ タヌキよ その二人 待つものがいるようだ 帰り道は開いておく しっかり案内してやりなさい
(はっ、はひっ!はいぃ!)
木霊たちですら滅多に聞かない長老の声だが、なぜか今はタヌキにだけ語りかけたらしい。暖かな労いと期待の込められた言葉に、タヌキの疲れも吹き飛んでしまった。
(よ、よ、よしっ!残りもがんばりますうぅ!)
ーー
これで残るはあと一ヶ所となる。花を見て、一番大きな木の下でお弁当を食べ、最後に残るのはなんだろうか。
(僕の予想だと紅葉かな)
(おお!やりますね、すねこすり!見事な洞察力ですよ。タヌキさんとガイドを代わりますか?)
(……今日の白沢様はやっぱり意地悪だね。ふんっだ)
すねこすりは拗ねているが、木霊たちの言っていたことを考えると、確かに残りは紅葉だろう。だが、タヌキを見ると先程まで以上に考え込んでいた。
(紅葉、紅葉……って!?今の時期はお山のどこも葉っぱが色づいてきれいですぅ。木霊さんたちが特に好きなところぉ……特別なところはぁ……)
(フフフ、わかんない?)
(間違えてもいいんだよ?)
(そしたら、まだ遊べるよ?)
遊び足りない木霊たちは、佐伯と水上を帰さずにまだ名所巡りを続けたいらしい。
二人もお弁当を食べ終えて、今は荷物をまとめている。早く行き先を決めなければと焦るほど、候補になりそうな場所が増えて決められない。
(こっちにきれいな楓があるよ)
(それよりあっちの谷に行こうよ)
(ほら、もう少しだけ奥の方に)
(おいでよ、おいでよ)
さわさわ、ざわざわと四方から聞こえる葉擦れに混ざって、木霊たちの誘う声が降ってくる。そのうちに、
……リリン、リン
……カラン、カランカラン
ハイカーたちの熊鈴の音まで響かせ始め、木霊たちは本気で佐伯と水上を山の奥、狭間のその先へと誘い始めてしまった。
「よし!そろそろ行こう!ここから先は道がいくつかあるみたいだね!」
「えぇ、ただパンフレットだけだとどの道が下山口行きなのかちょっと分かりにくいですね」
「他のお客さんの熊鈴が聞こえるし、あっちの道じゃない?」
(うわ、これ大丈夫なの?)
(確かにちょっとまずいですね……)
(このままだとまずい気がしますうぅ。でもぉ、次の場所がまだぁ……でもこのままだとぉ……)
カラカラコロ、コロコロ、コロカラ
パニックに陥りそうなタヌキの耳に、立ち上がった佐伯の腰の熊鈴の音が届く。同時にタヌキは長老の言葉を思い出した。
ーーしっかり案内してやりなさい
「ギャッ!ギャッギャッ!」
他のハイカーの熊鈴の音を追って歩き出そうとした佐伯に向かって警戒の鳴き声を浴びせるタヌキ。
「えっ!どうしたのタヌキさん!?えっ!」
大人しくて可愛いと思っていたタヌキに突然吠えかけられて、佐伯が戸惑いに歩みを止めたその瞬間、タヌキは一気に駆け寄り、佐伯の腰の熊鈴を奪ってしまった。
「先輩!!大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫だけど、でもなんで!?」
タヌキは熊鈴をくわえたまま、頭を大きく振って音を鳴らしたあと、いくつかある道のうちの一つの前で正しい道を示すように熊鈴を離して落とした。その後は別の道の手前まで行っては、奥に向かって吠えかけて回り始める。
(木霊さん!やめてください!お二人を連れて行かないで!)
熊鈴を拾いに二人が道の入り口に近づくと、タヌキもこちらに駆け寄ってきた。
「えっ?なに?今度はなに?」
「先輩!とりあえず離れましょう!タヌキさん、何かを警戒してるみたいです」
一体どうしたと言うのか?
わけもわからずタヌキに追い立てられて、佐伯と水上は道の先へと進むことになった。
ーー
その後、タヌキは二人に走り寄るような素振りは見せなくなったが、とぼとぼ、ぽてぽてと、しきりにため息をつきながら、付かず離れずの距離でついてきている。
(さっきはびっくりしたよ。どうしたの、タヌキ?)
(も、申し訳ありません……どうしても次の場所が分からなくてぇ、でもあのままだと木霊さんたちがぁ……)
(二人を狭間の奥、悪くするとその向こうに誘い込みそうでしたね。だから無理をしてでも下山口に追い立てた、と?)
(……はいぃ。幸い、道は長老様が開いて下さっていたのでぇ、このまま行けば山を下りられますぅ。でもぉ、紅葉は案内できませんでしたぁ。木霊さんたちも、きっと怒ってるだろうなぁ)
案内を続けながらも、しょげかえっているタヌキ。しかし、そんなタヌキにまた声がかけられた。
(よくわかったね!)
(紅葉がきれいな場所!)
(別の道に誘ったのは悪い子たち!)
(気にしないで!)
(それより!)
(振り返ってみて!)
なんと、先に下山口で待っていたらしい木霊たちが、しきりに山を見るように言ってくる。どういうことかとすねこすりと白沢が背後を振り返ると、
(おおっ!これはすごいね!)
(なるほど、これは絶景です)
これまで歩いてきた山を振り返ると、その山肌は赤、橙色、黄色に彩られ、見事な紅葉に描き出された一幅の絵のよう。しかもその中にはひときわ大きなケヤキ、森の長老の姿も遠目に見えている。
(こ、これって……あたしは……この人たちを、ちゃんと帰せた……?)
(大成功だよ!やったねタヌキ!)
(お見事です。あなたに頼んで良かった)
(や、やりましたぁ!ご案内できましたぁ!)
大役を果たし、すねこすりと白沢の賛辞に感極まるタヌキ。思わずきゅうきゅうと鳴き声を出してしまい、気がついた前を歩く佐伯と水上も振り返った。
「うわぁ、きれい。紅葉ってこんなに鮮やかなんだ!」
「すごいです。わたしたち、この中を歩いてたんですね」
立ち止まり、しばし秋の山を眺めていると、山を吹き渡る一陣の風が、赤や黄色の葉を舞い上げた。
どこまでも高く澄み渡った青い空と、鮮やかな紅葉に染まった山の風景。
「……綺麗だねぇ」
「はい。本当に……来てよかったですね」
景色を堪能した二人が、視線を空や山から歩いてきた道に戻すと、さっきまでいたはずのタヌキの姿が消えていた。
「あれ?帰っちゃったのかな?お礼したかったのに」
「最後にちょっと驚かされましたけど、とてもいいガイドさんでしたね」
「うん、また会えるといいな……それじゃ!次は栗だよ!栗拾い!」
「えぇ、予約の時間まで余裕がありますし、ゆっくり向かいましょう」
思わぬ経緯で狭間の山道に迷い込んだ二人。
ガイドの役目を果たしたタヌキは山へ戻った。きっと、長老に報告をしたり、木霊と今日を振り返ったりしながら、自分の活躍を森の仲間に自慢して回るのだろう。
もしまた会うときは、より優秀なガイドになっているに違いない。
こうして、佐伯と水上のハイキングは、人にも怪異にも、そしてタヌキにもそれぞれに異なる思い出を残しつつ、どうにか無事に終えることができた。残るは待ちに待った栗拾い。さて、こちらはどうなることか。




