秋の山と木霊と熊もどき
五連休初日の早朝。
ハイキングへ向かうべく電車に乗り込んだ佐伯は、座席に座って荷物を前抱えにし、うつらうつらと舟を漕いでいた。
「うふっ……あっ、栗……ぐうぅ……」
(これから山道を歩くのですよね?)
(楽しみすぎて、昨日眠れなかったんだって)
(本当に、定番もいいところな理由ですね。まるでお稚児ではないですか)
それに対して、隣りに座る水上はどうか?
「うん……うん……なるほど、そうするとこっちは……」
これから行くハイキングコースと予約をした観光農園はもちろん、さらに山頂に向かうトレッキングコース、周辺の観光スポット、追加して地元自治体発行のパンフレットまで揃え、書き込みや付箋のついたそれらを今も熟読していた。
(知識は力です。ですが……彼女は今日、一体何をする気なのですか?村おこしの現地調査でもするんですか?)
(ただのハイキングだと思う)
先程から問いと回答を繰り返しているのは、危険な山の怪異にも詳しいからという理由で突然呼び出された白沢と、熊対策を呼びかけ続けていたすねこすり。
(確かに山には危険な輩も居るにはいますが……)
(そう、熊とかね)
これは過保護がやめられない座敷童子による采配である。
当の本人である座敷童子、それに家鳴と目目連は、家憑きとも呼ばれる建築物に関わりの強い怪異のため大自然に対して適応力が低い。
秋の行楽に興味はあれど、足手まといになってはいけないと涙を飲んで同行を辞退したのだ。
別に、わざわざ苦労などしたくない、家でのんびりする方がいいなどと、山歩きを嫌ったわけではない。決して違う。
とにかく、デコボコもいいところな佐伯と水上コンビの初ハイキングは、このメンバーでサポートすることになる。知識の神獣白沢と、熊への警戒を怠らないすねこすり。無事に楽しく帰ることができるか、活躍に期待である。
ーー
「着いた!よく寝た!」
「何よりです。でも出発前にあらためて水分補給とトイレを済ませましょう」
ハイキングコース最寄りの駅で下車した一行は、同じく秋の行楽に訪れた他の観光客同様、入山前の準備中である。
(早苗さん、的確ですね。お稚児の世話は完璧です)
(ふふん、早苗ちゃんだからね)
子連れ客の子供かのようにお世話される佐伯。世話を焼く水上に感心する白沢。何故か誇らしげなすねこすり。
お世話されている佐伯は気にしていないようだが、それでいいのだろうか。
「先輩、そういえばあの鈴は持って来たんですか?」
「もちろんだよ!ちゃんとリュックに入れてあるよ!」
取り出した熊鈴をいそいそと腰に付け、準備万端の佐伯。おそらく同じハイキングコースへ行くのだろう人達も歩き出している。佐伯と水上も流れに乗り、お揃いのトレッキングシューズで山へと続く道へ踏み出した。
林道か遊歩道かというようななだらかな道を行く一行。だが、しばらくすると少しずつ傾斜もきつくなり、周りの木々も大きくなっていく。
カラカラコロ、コロコロ、コロカラ
リリン、リン、リリン
カラン、カランカラン、カラン
山の中に響く熊鈴の音。同じ道を前後して歩くハイカー達の腰やストックに付けられた鈴の音がそれぞれ混ざり合い、賑やかながら、なんだかのどかな秋の山道。
「この音を聴くと、山の動物たちは離れていくんだよね?」
「そうらしいです。音そのものを嫌うというより、人間が近づいて来ていることの合図になってるみたいですね」
(それだと、人間とか鈴の音が好きなヤツがいたら逆に寄ってきちゃわないの?)
(野生の動物は基本的に臆病ですから、そういうことはないでしょう)
カラカラコロ、コロコロ、コロカラ
佐伯の腰の熊鈴が歩みに合わせて鳴る。一行は気付いていないようだが、その音に合わせて周囲の風が変わり始めていた。
ーー
カラカラコロ、コロコロ、コロカラ
「いい天気だけど涼しいねぇ。木漏れ日は綺麗だし、山って気持ちいいんだねぇ」
「空気も澄んでいて、でもしっとりと優しいです。山歩きが秋の楽しみに数えられるのも納得ですね」
カラカラコロ、コロコロ、コロカラ
「葉擦れの音が波みたいだよ。リラックス効果とかありそう」
「確かに、耳に心地よいです。都会の喧騒を離れて、贅沢な時間ですね」
カラカラコロ、コロコロ、コロカラ
「……自然の音しか聞こえないね」
「……そういえば、他のハイカーの熊鈴の音も聞こえないです」
立ち止まり、顔を見合わせる二人。ここまで道に分岐などなかったし、歩き始めてから時間もそれほど経っていない。山深くに分け入っているわけではないはずなのだが。
……カラカラコロ、コロコロ、コロカラ……
……カラカラカラ、コロカラコロ……
「あっ、熊鈴の音!この先に誰かいるよ!きっと、ちょっと離れちゃっただけだよ!」
「わたしにも聞こえました……でも、あれ?」
聴こえてきたのは佐伯の熊鈴と同じ音だったような気がする。どちらにせよ一旦ハイキングコースを確認しようと、水上はパンフレットを見直そうとするが、
「早苗ちゃん!あっち!あっちだよ!」
「えっ!ちょっと!先輩待ってください!」
道の先へと走り出してしまう佐伯を追い、水上も進まざるを得ない。
(まったく典型的なお稚児の行動ですね。しかし、この状況は……)
(遭難とは違うけど、これって、もしかして……)
白沢とすねこすりは、何やら思い当たるところがありそうだ。だが、とにかく今は佐伯を見失わないよう追いかけることが先決だろう。
一行は更に先へと進んで行く。
ーー
「先輩!……はぁっ、はぁっ……止まってっ、ください!」
やっと追い付いた佐伯の肩に手をかけて、水上は息を乱しながら声をかける。
「あっ、早苗ちゃんっ、はぁっ、はぁっ、ごめん……でも……」
足を止めた佐伯は、珍しくその顔に不安をのせていた。周りの木々の様子に変わりはなく、道も変わらず手入れのされたハイキングコースに見える。だが、それほどの距離ではないにしろ一本道を走ったにも関わらず、先行のハイカーには追いつけなかった。
息を整えつつ、二人は今の状況を確認する。
「最初は結構、歩いてる人多かったよね?わたしたちだって、そんなにゆっくり歩いてたわけじゃないし……」
「とにかく一旦休みましょう。少し待っていれば、後続の人達が来るかも知れませんし」
道脇の倒木に腰掛けて、しばらく休憩を取ることにした二人。水を飲み、走ったせいでかいた汗を拭く。足を落ち着けてみると心も落ち着いてくるもの。
「えっと、早苗ちゃん。さっきはごめんね、いきなり走っちゃダメだよね」
「いえ、いいんです。びっくりはしましたけど、先輩走りながら後ろのわたしのことも見てましたよね」
佐伯も水上もどうやら落ち着きを取り戻した様子だが、
(これはどうやら……招かれましたね。面倒なことになりました)
(山の怪異ってやつ?でも、熊よりいいでしょ?)
(恐らく悪意はないでしょう。ですが、それが一番手に負えない)
白沢がいうには、どうやら事態は思っているより悪いらしい。
そんなやり取りをしつつ、一行が少し油断をしたところで、山肌の茂みからガサガサと音がした。
「え!何っ!」
「あっ!先輩!熊鈴鳴らしてない!」
座って休憩していたため、少し前から熊鈴の音は途絶えていた。木々の間、下生えの茂みを揺らしながらナニかが二人に近づいてくる。
(うわっ!出たっ!熊だっ!)
ぶるぶると震え上がり身をすくませたすねこすり。だがそのとき、思い出した声があった。
『ボク、サナエチャ、ノミカタ』
『ミンナト、イッショ!』
かつて、家族のためにその命をも差し出した友を思い出し、すねこすりは総身の毛を逆立てながら二人を庇って茂みの前に躍り出た。
(くるならこいっ!絶対に二人は守ってみせる!)
小さな身体に精一杯の力を込めて、決死の面持ちで立ちはだかるすねこすり。
その目の前、茂みを騒がしながらハイキングコースにまろび出たのは、暗褐色の体毛に身を包んだ野生の獣。
ムクムクと太った身体でコロンと転がる大きめのタヌキであった。
ーー
(うわぁっ、転んだっ!カッコ悪いですぅ)
(へっ?タヌキ?熊じゃなくて?)
茂みから転がり出たタヌキは、身体中に落ち葉やら蜘蛛の巣やらをつけたまま自らの失態に身悶えている。
対するすねこすりも、必死、決死の覚悟を肩すかしにされて呆然の様子。
「あっ、タヌキ……」
「えぇ、タヌキです……」
佐伯と水上も緊張の糸をプツりと切られて呆気に取られている。
(……もしも熊なら下生えには隠れられないでしょう。まったく、冷静になりなさい)
白沢の至極もっともな一言が、秋の山風に吹かれて消えていった。
ーー
かなり怖い思いはさせられたものの、出て来たのは見るからに無害そうなタヌキ。しばらく観察してみても、じたじた、わたわたと身悶えたあとは逃げるでもなくうずくまって動かなくなってしまう始末。ちょっと撫でてみたい誘惑に駆られもしたが、野生動物に不要な接触は禁物。もしかしたらこれがタヌキ寝入り、もしくは死んだ振りかと思い至った佐伯と水上は、タヌキのことはそっとしておくことにした。
しかしそうはいかないのは白沢とすねこすり。今の不可解な状況について事情聴取が始まった。
(うぅぅ、転びましたぁ、失敗ですぅ)
(あなたの登場方法は……まぁ、インパクトはありましたよ?)
(熊かと思ったよ、紛らわしい)
転がり出たことが余程ショックだったのか、タヌキはまだ萎れている。さすがの白沢も慰めになるのか怪しい声かけしか出来ず、すねこすりに至っては未だご立腹である。
(あたしはただぁ、このままじゃ迷いそうだからと思ってぇ……)
(ほう?何かご存知なのですね?)
(そうなの?)
(お腰の鈴を鳴らすのはやめた方がいいとぉ……お伝えしようと思っただけなんですぅ。で、できれば格好良くぅ)
どうやらこのタヌキ、善意からアドバイスに来てくれたものの、鈍臭すぎて転んだだけらしい。格好がつかないのはこっちの方だといいたいすねこすりだが、さっきから縮こまりっぱなしのタヌキに絆されてトゲを引っ込めることにした。
(そうなんだ、ありがと。教えにきてくれたんだ)
(はっ、はい!そうなんですぅ)
だが、鈴を鳴らすと迷うとはどういうことか。熊避け以外になんの意味もない鈴のはずだが。
(今、この山道は狭間に近いようです。現世とも幽世とも繋がらない、行きも戻りも出来ない道。正直かなり面倒な状況ですが鈴の音に何か問題がありましたか?これを止めたら戻れると?)
白沢が思うに、今のこの不可解な状況はこのタヌキのせいではない。ならば、何か他の要因があるはずだ。
(こ、これはぁ、木霊の皆さんのぉ、ひぇっ!)
タヌキが説明を始めた途端、周囲の木立がざわざわと騒ぎ出す。
(ちょっと)
(ちょっと!)
(ちょっと!?)
(人のこと悪者にしないでよ!)
(どうなのそれ!)
(そっちが呼んだくせに!)
木々の葉や梢が擦れあう音に混ざって、周囲からいくつもの声が降ってくる。ざわざわ、ざわざわと止む気配のないその声は、口々に心外だとの抗議を伝えて来た。
(おや、もしかしてあなた方は……木霊ですか?)
(そう!)
(そうなの)
(木の精霊だよ!)
(ほら、やっぱり呼んでた!)
(いらっしゃい)
(お客さん?いらっしゃい!)
(え?違うよ、呼んでないし、それに鈴となんの関係があるの?)
どうも、木霊たちは呼びかけられたから歓迎に出てきたということらしい。しかし、こう言っては申し訳ないが特に呼んでなどいないし、鈴なら他のハイカー達も鳴らしていた。佐伯の腰の鈴だけが違うとでもいうのだろうか。
(ただの鈴ならいいんですぅ。でもその鈴からは、匂いがするんですぅ)
(匂い……ですか?一体どんな?)
(匂いというかぁ、木霊さんたちからすると音にのった気配というかぁ……人間じゃなくて、お仲間の強い気持ちが風に乗って流れてきたものでぇ……例えばそちらの、えっとぉ……)
(え?僕?僕はすねこすりだけど)
(あ、は、初めましてぇすねこすりさん。その鈴からはあなたや、他にも木霊さんたちみたいな匂いというかぁ、気配がしますぅ。それが、カラカラコロコロと鳴るたびに、来たぞ、ここにいるぞと言っているようでぇ……)
なるほど、すねこすりをはじめ今日は参加していない憑き物たちも、佐伯の熊鈴には安全を祈り、無事の帰宅を願う気持ちを託していた。
(うそぉ、僕らのせいってこと?)
(……まったく、余計なことを、とは言えませんね。皆さんそれだけお稚児と早苗さんが大事なのでしょう。それに、そういうことなら誤解を解けばどうにかなるでしょうか)
(そうなんですぅ。だからぁ、そこであたしが格好良く仲裁をしてぇ、化け狸修行の成果にしようとぉ……思ったところで転んでしまいましてぇ……)
自らの失態を思い出し、再びジタジタと悶えだすタヌキ。
(化け狸って、チンジュウ様のお仲間?)
(いえ、まだそうなる前の素狸ですね。木霊や我々の声を聞くことはできるようですが、それだけです)
怪異未満の鈍臭タヌキのおかげで状況は判明した。あとは木霊たちへの説明と説得である。
(木霊の皆さん、今回はお騒がせしたようで申し訳ありません。ですが、我々はあくまで秋の行楽に訪れただけなのです。ご招待はありがたいのですが、ここは元の道に戻していただけると)
(そうなの?)
(残念)
(でもせっかく来たし)
(ちょっと遊んでいけば?)
(そうだよ)
(そうしなよ!)
木霊たちには悪意などない。あくまで歓迎してくれているだけなのだが、白沢が懸念していた通り、だからこそ抜け出すのが難しい。
(仕方ありません。ではゲームをしましょう。皆さんには秋の山の見どころ三カ所へ我々を案内していただきたい。我々はそれを拝見しつつ、途中で迷わないように進みます。無事に三カ所周り終えたら、下山口に戻していただけますか?)
(何それ?)
(楽しそう!)
(見どころならまかせて!)
(山の綺麗な場所!)
(いっぱいあるよ)
(案内してあげる!)
白沢の機転で、どうにか狭間からの脱出にも光明が見えた。さぁ、秋の行楽、ハイキングは無事に終えることができるのか。




